塔2023年8月号気になった歌10首⑤
地下鉄の轟音。はじめて体感したときはあまりの大きさにビクッとしていたが、いつの間にか慣れてしまい、何も感じなくなってしまった。主体は、そんな慣れを感じながらも、意図的に慣れのなかったころの感情を忘れないように心がけようとしている。
MOROHAだ。塔会員の大半の人が何度も感じながらも、かっこつけて言えなかった感情を驚くほどストレートに吐露している。5/8/5/9/5という変則的な韻律も、最後の「ガックリし」でコミカルに肩が落ち込む感じがして楽しい。作品2の海の中から自分の名前を見つけるまでの期待感と見つけたときの落胆。
亡くなった母親とスクリーン上の推し(2次元か、3次元か)の存在を、「実体がない(けど、存在している)」ものとして、並列にしているのが印象的。「触れる」ということが、実体の有無のメルクマールになっているのは、独特な感覚。確かにそう考えると不可逆的な「死」とそもそも存在のないものは同価値なのかもしれない。
「さわれる」「ふれる」と読み方がわかれるところにルビがあるのもうまい。
劣化した洗濯ばさみは急に終焉を迎える。同じ形状で、同じパッケージに入っていて、同じ時期に製造されたであろうに。そのことが目に留まるのは、主体自身も老いてきており、仲間がいなくなってしまっているからか。同質的な同世代の人間たちを自分も含めて洗濯ばさみに重ねているよう。
手を合わせるポーズは、祈るときも謝るときも同じ。しかし、そのポーズを使うのは、圧倒的に生活や仕事の中で謝るときが多い。そのような視点でとらえたときの「手を洗う」という行為には、意味が伴う。謝るたびにすりへる心をいたわるように、手を清めている。
カリスマホストにして、現代のアイコンとして、すべてをほしいままにしているローランド。華やかな世界でなにもかもを手に入れているローランド。そんなローランドが主体より背が小さいことが主体の自信につながっている。低身長男性を揶揄した女性ゲーム配信者が炎上してスポンサーから契約を切られる時代でも、そういう理屈じゃないところに小さな自信が生まれるところに人間らしさがある。「俺」という一人称にローランド感があるのも味がある。
彩度は、色のあざやかさの度合い。夜に向かって徐々に色を失っていく街並み。「開け放ち」の開放感と変化していく街の様子を眺めている主体に落ち着いた情感がある。
母親との微妙な距離感。自立して生きていけば、自然と親との関係も希薄になっていく。そんな中でも主体は母の日に花を贈っていることから、関係に気を遣っているようだが、それでも血が薄くなるような感覚があるのは、当事者にとっては親子の距離感に思うところがあるのだろう。
好きな歌。つまるところ、腹が減って飯食ったから眠くなったと言ってるだけなのだが、あたかも論理的につめて有無を言わせないような口ぶりがおもしろい。ただ、特に大したことを言っていないのだ。そこがいい。
映画では、ストーリーに関係のある人だけがフォーカスされるため、そうではないモブキャラは捨象される。しかし、現実はモブキャラばかりだし、それぞれがそれぞれに一生懸命生きている。微笑みかけてくれるレジ打ちの店員が、主体にとっては捨象されない存在として現実にいる。
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