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娯楽としての散髪(南関東返歌推進協議会会報#5)

ざぶざぶと春の湯船に浸かるとき傷口はいつまでも傷口だ/魚谷真梨子

「雨後」(Lily vol.1)

風邪にいざなわれるような秋風に浮くカレンダーの壁、仄白い/中型犬

自作短歌

さんぱつたのしい

昨年末に髪型を坊主にしてから、散髪が楽しい。

ずっと散髪が憂鬱だった。
切り終わったときに「どうですか?」と聞かれるが、髪型がしっくりきたことが全くない。
それでも「いや、なんかしっくりこないですね」と言ったところで、どう切られても永遠にしっくりこないので、「あ、大丈夫です」と毎回嘘をつかないといけない。
しっくりこない原因は、髪質にあって、髪が強くて外にはねる力が強いので、下手に短く切ると、ちょっと伸びた段階でウニみたいになってしまう。

uni

それが嫌で、はねないようにある程度残して切ってもらうのだが、なんか切った感がないというか、しっくりこないのだ。
そんな調子なので、どんな風に髪を切ってほしいか聞かれたときにうまいこと説明ができないのもストレスだった。

それで思い切って昨年末に坊主にしたら、散髪が楽しくて仕方ない。
0.3mmのバリカンが躊躇なく髪を刈り取ってゆく。
日頃、仕事ではメールを送る前に相手に失礼に思われないか何度も何度も書き直してから送信ボタンを押し、添付ファイルを添付し忘れてて、かえって失礼になっちゃうスーパーチキン野郎にとって、バリカンの躊躇の無さは、感動的である。

そして、散髪したときの爽快感たるや!
何も成し遂げていないのに、何か成し遂げたような気分になって、昼からビールを飲んでしまうくらいさ!

あと、これまでしっくりこないからどこでもいいやという考えで、散髪屋を転々をしていたのだが、いくつか回っている中で、ようやく固定の散髪店に行くようになった。

その散髪店は、寡黙男性・おしゃべり男性・寡黙女性・おしゃべり女性という4人の店員さんがいて、毎回ランダムで散髪してくれる。
散髪技術が4人とも同じくらいしっかりしているので安心である。

そのお店がいいのが、ポイントカードに髪型の注文も書いてくれているので、毎回説明しなくていいところである。
これが、かなり自分をストレスから解放してくれた。
それまではうまく理想の髪型を説明できない自分に幻滅することばかりだったので、髪型の注文をしなくていいというのはすごくストレスフリーなのだ。

とはいえ、基本コミュ障なので、雑談が苦手であるが、おしゃべり男性店員もおしゃべり女性店員も基本勝手にしゃべっているので、そんなにストレスじゃない。

ただ、やっぱり会話下手なので、おしゃべり男性店員に、「飲食店で働いてるんですか?」と唐突に聞かれ、うまく返せず、ふにゃふにゃしてたら、「Tシャツ個性的なんで、お店のかなって」と言われ、地方の土産物屋で買った動物のキャラクターがデカデカプリントされたTシャツが個性的であることに急に気付き、ドギマギしたまま終わってしまい、やっぱコミュ障しんどいな、でも散髪気持ちいいな、と謎の感情でお店を後にした。

こないだ散髪に行ったら、おしゃべり男性店員が、お客さんに突然「サーフィンするんですか?」と聞き、お客さんが「あ、いや、やってないですね」と戸惑っていると、「Tシャツ、サーフィンぽいんで」と言っていた。

Tシャツで人を判断するのは、やめておこうと思う。

短歌会のKICK THE CAN CREW

2022年8月、突如として魚谷真梨子、江戸雪、中井スピカをメンバーとする短歌同人誌「Lily」の創刊が発表された。

「魚谷真梨子」「江戸雪」「中井スピカ」
この並びのアベンジャーズ感よ!

これはもうKICK THE CAN CREWである。
誰がLITTLEで、誰がKREVAで、誰がMCUなのか、それだけで夜が明けるまで酒が飲める。
個人的には、
短歌へのアプローチが丁寧なのにときに大胆な歌を放り込む魚谷真梨子さんはLITTLEさん、
旅エッセイも秀逸で短歌のフィジカルが強い中井スピカさんはKREVAさん、
そして、飄々と楽しいことをやっているようですべての作品のクオリティが高い江戸雪さんはMCUさん、
ということで初手を打ちたい。

地下鉄の揺れはひとしく病む人も病ませる人も運ばれる午後
子を置きて子の歌を作りに入る喫茶店のほの暗き空間
雨後の街に夕光やわく降り注ぎなにもなかったみたいな世界

魚谷真梨子「雨後」(『Lily vol.1』)

「雨後」というタイトルではあるが、多く描かれているのは、雨が降っている最中のようである。
人が傷つけられる場面を想起させられる歌が随所にあり、仄暗い雰囲気が作品全体に漂う。
1首目、様々な人が一緒に載っている地下鉄の中では、被害者と加害者が同じ空間にいうる。
しかし、その加害者ですら「運ばれる」存在であり、誰かに使われ、指示を受けて誰かを病ませているだけかもしれない。
2首目、子育ての一場面。
親にだって息抜きの時間が必要であるが、そのことをわかっていても周囲の目を気にして、後ろめたさを感じている。
誰かに明確に責められたりはしていないからこそ、空間は、「ほの」暗くなるのだろう。
3首目、雨の暗さがなくなって明るくなる街。
しかし、一方で、その暗かった時間を忘れてしまうような明るさに疑問を持っている。
作品全体で、子育ての場面が複数登場するが、その光景は、生活における影という点で抽象化してとらえると、子育て以外の生活にも通ずる情緒がある。

言ってるうちにきっと還暦パンプキンサラダはもう馬車に帰れない
水切りをして首だけになってゆくガーベラそれでもきっと幸福
素裸で泣く夜もあって輝けるパンプルムースのムースはいかが?

中井スピカ「パンプルムース・ムース」(『Lily vol.1』)

ある種の暗さが魅力の魚谷さんの作品と対照的に、明るさが光る中井さんの作品。
ただ、その明るさは、一辺倒の明るさではない。
1首目、歳を重ねることの不可逆性を、つぶされてパンプキンサラダになったかぼちゃがかぼちゃの形に戻せないことに重ねているユニークな描写。
パンプキンサラダのおいしそうな響きから、老いを肯定的に軽やかにとらえているように感じられる。
2首目、上の句の描写でぎょっとするが、結句で「きっと幸福」と結ばれていることに希望がある。
茎を切られながら、花瓶に活けられ続けるガーベラの姿は、命を燃やしながら死へ向かっていく人間のようでもある。
3首目、「パンプルムース」はフランス語でグレープフルーツ・文旦を意味する言葉。
「ムース」と名を持つことに掛けた言葉遊びのようでありながら、悩みながら生きることの美しさが端的に表現された上の句と組み合わさることで、柑橘の爽やかな香りがイメージされる。
生活の中にある爽やかな希望の欠片を集めたような歌は、読んでいて、前を向いて生きる希望を授けてくれる。

花園という地を創りかえながらこの世は母に花をふらせる
来世から吹いてる風が見えそうで真夜中屋上小鳥命日
羽のあるペットボトルが飛びゆくを眺めておればいのちかろやか

江戸雪「花園」(『Lily vol.1』)

老いた母の姿に対する優しくもシビアな歌が並ぶ。
1首目、30首の連作中、タイトルにある「花園」が詠み込まれたこの歌は5首目に登場し、圧倒的な世界観に引き込まれる。
前の歌で「母は呆けて」と歌われていることで、母がよもや論理的な思考ができていないことがわかると、美しくも残酷なイメージが生まれてくる。
2首目、「来世」からはじまって、「真夜中」「屋上」「小鳥」「命日」という畳み掛けで、否応なしに「死」が近づいてくる。
生まれかわった小鳥に思いを馳せながら、あらゆるものに命の限りがあることのはかなさを感じている。
3首目、空のペットボトルは軽く、風に飛んでいく。
ペットボトルを鳥に見立てて、眺めていると、生けとし生けるものの命も軽やかに感じられる。
重い歌が続く中で、結句で「いのちかろやか」と詠われていることで、前向きに生きようとする主体の姿に心が揺さぶられる。
「花園」は、お花畑に代表される死後の世界のイメージに重なる。
死というどうしようもないことに直面せざるをえない中で、揺れ動く感情が丁寧かつ詩的に表現された一連は心に響く。

短歌同人誌「Lily vol.1」は、3人の短歌作品に加え、随筆に評論、そして3人のリレー日記+短歌と盛りだくさんである。
特にリレー日記+短歌は、もはや短歌のサイファーであり、やはり、LilyはHIPHOPユニットの側面があることに気付かされた。
今後、年に1度、夏に発行されるということであり、来年以降も楽しみに待っていたい。


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