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塔2024年2月号気になった歌10首③

ブリブリと右手に響く一つずつ太いジッパー嚙み合っていく/井芹純子

塔2024年2月号作品2

「ブリブリと右手に響く」が独特ながら実感がある。太くしっかりした生地にあるジッパーが、重たい手触りとともに噛み合っていく感覚。「一つずつ」で読者の景の動きのスピードがコントロールされる。

自販機でかに雑炊が売っていてこの世の誰かは救われてくれ/音無早矢

塔2024年2月号作品2

いい。かに雑炊は、幸せの象徴だ。しかし、主体は、かに雑炊を買ったとしても救われない、またはかに雑炊が高くて買えないのかもしれない、それでも、自分以外の誰かがかに雑炊を買うことで救われることを祈っている。救済を叫ぶ主体の叫びは切実だが、「かに雑炊」によってその景により引き込まれる。

庭で採れたもので済ます昼ごはん小さな庭の実りの秋の/杉田菜穂

塔2024年2月号作品2

慎ましく幸せな生活が浮かぶ。庭で採れるものと言えば、野菜やちょっとした果物くらいだろうか。「実りの秋」を実際に感じつつ、自分の手で育てたものでとる食事は、とても豊かである。

靴擦れの足は熱もち夕月の浜をざんざくざんざくと踏む/空岡邦昴

塔2024年2月号作品2

痛みとともに熱をもった足を懸命に動かしながら、歩きづらい浜を歩く。夜になる前にどこかに到着しなければならないのだろうか。「ざんざくざんさく」には、止まってはいけない規則性みたいなものを感じる。的確な描写にどこか静謐な景が浮かぶ。

放送禁止用語をはきはき言っている白黒映画を観る昼下がり/西村鴻一

塔2024年2月号作品2

放送禁止用語は、性に関する言葉や差別を助長する言葉などがあるが、時代を下るごとに、民衆の人権意識の高まりや感性の多様性に配慮して増えていく。「はきはき」が秀逸で、白黒映画の世界では、その言葉そのものが発してはいけない世界などおよそ検討のつかないもの。それを見ている主体は違和を感じつつも、タブーを破る爽快感を感じているよう。

道頓堀に飛びこんでいく人たちがどっちかといえば長生きする夜/的野町子

塔2024年2月号作品2

真理。とかく世の中は不公平で、迷惑をかける人間が往々にして一生迷惑をかけ続け、特段罰を受けることなく安らかに死んでいく。「どっちかといえば」に投げやりな態度があり、そうした不公平な社会をあきらめているよう。

こんなにも秋の雨 雨 退屈な人生に歌を必要として/宮本背水

塔2024年2月号作品2

一字明けが印象的。二句目の「秋の雨 雨 」は、空白に音を当てると9音になり、3句目の「退屈な」が下の句に押し込まれる。となると「こんなにも/秋の雨 雨 /退屈な人生に/歌を必要として」の4句(はじめ2句が上の句、おわり2句が下の句)で読みたい。ゆったりとした2句目から、下の句の淡々とした言いさしに妙がある。

咲き乱れるコスモスだつた向かうから疎遠になつたひとはたいてい/宮下一志

塔2024年2月号作品2

「向かうから疎遠になつたひと」の比喩として提示される「咲き乱れるコスモス」。一見魅力的なコスモスだが「咲き乱れる」の乱暴で規律のない感じに、疎遠になった理由も主体のせいにされたり散々な目にあっていそう。一方、主体の来るもの拒まず去る者を追わずというイズムも垣間見える。

笹舟のかたちにからだを伸ばすときベッドはおんおん流れる運河/紫野春

塔2024年2月号作品2

ベットでは、思いっきり手足を伸ばすとぶつかってしまうので、手足の先を少し曲げたような態勢になっている姿が浮かんだ。「おんおん流れる運河」がユーモラス。自分の体が笹舟のようになっていることに気づき、ベッドの川に流れていく。

お豆腐でいいよ、ここのはうまいから、叔父貴は厨の母を気遣う/今井由美子

塔2024年2月号作品2

叔父貴と母は、兄弟関係。手の込んだ料理を作らなくていいという気遣い。一瞬、そこまで気遣うなら、料理も代わってあげればと思ったのだが、母は母で、自分の仕事を奪われたくもないのだ。血縁関係ならではの高度な気遣い。

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