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塔2024年2月号気になった歌10首⑩

「休肝日多過ぎるやろ健康に良くない」彼はやはり悪友/王藤内雅子

塔2024年2月号作品2(新樹集)

悪い遊びに悪い友だちはつきもので、休肝日の多さを不健康なものとして指摘する人は確かに悪友。しかし、悪友とする悪い遊びほど楽しいものがないのも事実である。

夜の霧 きみにこどもはいないのにきみのこどもの声がきこえる/田村穂隆

塔2024年2月号作品2(新樹集)

「きみ」は恋人だろうか。こどもがいないのに、その人のこどもの声が聞こえるのは、その人がこどもを持つ世界が主体の中で現実世界とは別にあるよう。「夜の霧」が象徴的で、夜というだけで十分闇深いイメージがあるが、そこにある霧となれば、よりもやがかかって、不確かになる。

わたしには想像上の兄がいて誰にも言ったことはなかった/石田犀

塔2024年2月号若葉集(新樹集)

秘められたイマジナリーブラザーの存在。日本は、内心の自由が憲法で保障されており、心の中に想像上の兄を存在させることは絶対的に自由な権利。主体と兄の関係は、そっとしておくことが粋というものである。

食パンをそのまま食べる幼少期してほしかったすべてのように/君村類

塔2024年2月号作品2(新樹集)

三句切れと読んだ。食パンになにもつけずに食べていた幼少期を回想している主体。下の句はその行為を全肯定するような過剰な言葉に引っかかりがある。本当は何か付けて食べたかったのに、言えずに心に蓋をしているようで、そのことを思い出しているよう。

トムけふもうんちでましたよかつたね ラインで娘に報告をする/永田和宏

塔2024年2月号月集

トム、君は甘やかされている。永田先生だぞ。歌会始の選者だぞ。私たちは、みな永田先生に褒められたくて歌を詠んでいるというのに、一向に君のうんちに勝てないんだ。トム、君は甘やかされている。

くきくきと働く手が好き鬼皮のなかの渋皮のなかの栗の実/前田康子

塔2024年2月号月集

「くきくきと働く」が独特な表現が、栗をむいている動作にしっくりくる。栗の実にたどり着くまでに硬い皮を剥き、渋皮を剥いていくという面倒な過程をせっせとこなす手。その手が好きという感覚に、生活の中の人間らしい営みへの優しい目線がある。

暗くなると走り出す人多き町きぬずれの音また過ぎてゆく/相原かろ

塔2024年2月号月集

「きぬずれ」は、歩くときに着物の裾が擦れあうこと。走ると、着ているものがこすれやすくなるので、その音は、周囲で走る人が多ければその分大きくなる。暗くなると走り出す人が多くなる中、主体は走らず、その音を冷静に聞いている。

神社からカセットテープののびきった祭り囃子が聞こえてきたり/岡本幸緒

塔2024年2月号月集

最近はスマートフォンでアプリを使って音楽を聴くことが多く、音質は常に同じものだが、昔、カセットテープで音楽を聴いていたとき、何度も聴いているものほど、テープが伸びて原音から変わってしまったことを思い出した。神社の祭りに使っているカセットテープとなれば何十年と同じものを使っているのだろう。のびきった祭り囃子に、歴史と風情がある。

自分の身体で汚した服を捨ててゆくシュシュも丸めて花のように捨てた/川本千栄

塔2024年2月号月集

景としては、服とシュシュを捨てた、というものだが、服の形容に「自分の身体で汚した」がつくことで、きれいな服を自分の営みによって汚しているという罪悪感のようなものを感じた。下の句は、シュシュを花に見立てているが、その結末は「捨てた」であり、用途を終えれば捨てられるものの例えとして挙げられている「花」へのまなざしは冷たい。8/7/5/7/9と、初句と結句が大きく字余りしているのが印象的。

いわね歯科いいわねと読み風受ける いいねをあげる習慣なきに/北神照美

塔2024年2月号月集

「いわね」「いいわね」「いいね」が言葉遊びのように並べられているのが楽しい。看板にあるひらがな表記は、慣れ親しんだ言葉に読み間違えることはよくある。下の句からはSNSに親しんでいない主体が浮かぶ。「いわね(歯科)」を「いいわね」と読み間違えたというSNSではフォロワーからちょっとしたいいねを稼げそうな小ネタに遭遇しても、「風受ける」という地に足のついた行動をしているところに、SNSに左右されない主体の健康な姿がある。

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