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声に出して読みたいアイドルソング~ミッドライフクライシスを生き抜くシンプルな方法~わーすた『マッシュ・ド・アート』

みなさん、お元気ですか。

絶賛、ミッドライフクライシス。
37歳、中型犬です。

職場では中堅として、
前に出過ぎず、
後ろに下がり過ぎず、
手柄は、上司と若者に、
愚痴は、手帳に殴り書いて破り捨て、
全ての人を誉め、
誰からも褒められず、
電車では若者に反吐を見るような目で見られ、
家庭では犬の糞尿を掃除し、
住宅ローン残高とカード請求金額にため息をつき、
コンビニで千円強の食事を買うことを贅の極みと呼び、
DXにおろおろ怯え、
ヘルプデスクニオコリモセズ、
テイジヨリハヤクシュッシャシ、
テイジニタイシャスル
サウイフモノニ
ワタシハナッテル
と、宮沢賢治みたいな気分で毎日を過ごしております。

俺たちの賢治

そう、ずっと夢みてきた安定した暮らし。
日々のご飯に困らず、
自尊心を失わないくらいに社会と家庭に貢献し、
まっとうな大人になれた。
環境にも恵まれ、穏やかに生きることができるはずである。

しかし、心は憂鬱である。

これを、ミッドライフクライシスと呼びます。

ミッドライフクライシス

人生の見通しが立ってしまい、
坂を転げ落ちないようにゆっくり下り続けるだけの人生に絶望を感じ、
落ちていく体力に思い通りにならなさを感じながら、
生活を続けるために、難易度の高い問題に対して、
点を取るのではなく、失点しないために頭と心を使い続けていると、
すっかり気分が落ち込んでしまうのです。

がんばらない、よく休む、それが大事なのはわかっていても、
キャリアがそれなりにあるがゆえ、
厄介案件を持ち込まれ、みんなで指差し確認しながら、
墓場まで持っていくってことでいいよね、と先導してみるも、
多分あの不服そうな若者、ICレコーダー回してんだろうな、とびくびくしながら、
とりあえずからあげクンをもしゃもしゃ食べ、
芸能人のゴシップをネットでみてるだけで1時間が経過してしまったりするわけです。

この憂鬱を乗り切るいい方法はないでしょうか。

ご安心ください。
あります。

感情のすべてを絵の具にしてしまうのです。

わーすた「マッシュ・ド・アート」を読む

まずは、2022年8月17日発売のわーすた新体制初のフルアルバム「我々はネコである。」のリード曲「マッシュ・ド・アート」をお聴きください。

金色のクジラが 星と☆を泳ぎ巡る
眺めてるぼくらは きのこの民 妖精
桃色のカモシカ 跳ねる音は淡くにじむ
おいかけて おいつかない
そんなかんじが いいね

わーすた「マッシュ・ド・アート」

この曲は、絵画、特に抽象画がモチーフになっている。
ゆえにクジラが金色だったり、カモシカが桃色だったりするのだが、特筆すべきは、「星」と「☆」という表記である。
どちらも意味するものはいわゆる空に見える星であるが、記号にすることで文字すらも抽象化してしまう。
また、「にじむ」は、液体が染みて広がるときに使う動詞であり、「音」が主語になることで言語体系を壊している。
ましてや誰が追いつこうとして追いつかないのか、私たちは民なのか妖精なのか、そんなことを考える間もなく、「そんなかんじがいいね」と言い切ってしまうのである。

ゆめうつつの間 言葉だけじゃ表せないから
頭の中 うかべた景色を アウトプット!

わーすた「マッシュ・ド・アート」

言葉では表せられないものが頭に浮かぶ、もしくは心にもやもやと残ってしまうとき、私たちは憂鬱になります。
しかし、それは言葉にしようとすると、当てはまる言葉がなかったり、文法や表現技法として誤ってしまうことを怖れて言葉にできないという正しくあろうとする心の問題でもあります。
そして、言葉で繰り出せないなら、言葉以外の方法で繰り出してしまえばいい。
この曲は私たちにそう語り掛けます。

吸って 吐いて おえかき
息をするように 筆はしらせて
上 下 左 右 奥 行
三次元をこえてゆけ
吸って 吐いて おえかき
キャンバス とっちらかって それも醍醐味
ぐちゃぐちゃな この感情すべて
えのぐにしちゃおう

わーすた「マッシュ・ド・アート」

理屈なんて考える必要はありません。
頭に浮かぶものをそのまま絵にしてみましょう!
上手いとか下手とか考える必要もありません。
息を吸って吐く合間に思いのままに描いたらいいのです!

今のあてくしの頭の中

ミッドライフクライシスに陥る人は、生真面目な性格が多いようです。
それゆえに、合理的な思考にとらわれ、自分で自分を縛ってしまいます。
得も言われぬ不安感や憂鬱感に押しつぶされそうになったら、とりあえず紙に絵を描いてみる。
ぐちゃぐちゃな感情をそのまま絵の具にしてしまうことが、私たちがミッドライフクライシスを生き抜くシンプルなの方法であると、わーすたは「マッシュ・ド・アート」で私たちに教えてくれるのです。

ん、ちょっと待ってほしい。

そういえば、タイトルの「マッシュ・ド・アート」の「マッシュ」とは、すりつぶして裏ごしすることである。
つまり、「マッシュ・ド・アート」は、すりつぶされたアート。

シュッて バッて おえかき
サンクス 感謝の念をこめて ひとふり
はちゃめちゃな この人生すべて
えのぐにしちゃおう

わーすた「マッシュ・ド・アート」

歌詞の最後には、感情だけでなく、人生ごと「えのぐ」にしてしまう。
一度作られた人生をまるごとすりつぶして「えのぐ」にしてしまうのである。
一度描かれたアートをマッシュして、原料に戻してしまう。
破壊的再生である。
しかし、誰が、こんなことをしてしまうのだろうか。

まぜこぜっぜっ 絶好調のきざし
もうあっちもこっちもいけちゃう フリーダム フリーダム
にゃん にゃん にゃんて爆発だ
芸術はどうなった? ドウナッタ?

わーすた「マッシュ・ド・アート」

この曲の収録されたアルバムのタイトルは、「我々はネコである。」
この「我々」はわーすたの4人である。
すなわち、この曲を聴いている我々の人生なんて、わーすたの4人が、「にゃんにゃんにゃん」って言った途端に爆発してしまうのである。

つまり、我々の人生は、わーすたの手の中にある。
マッシュされた私たちの人生を絵の具にして、ネコであるわーすたの4人が自由に絵を描く。
私たちがいくら悩んだところで、そもそも私たちは絵の具になるだけの人生である。
ゆえに悩む必要もないのである。

さあ、私たちも猫耳を付けて、好きに生きよう。
外に遊びに行ったって、家にこもっていたっていい。
そう、我々も、もうネコである。

あと、やっぱりわーすたかわいいです。
そのお話は、また今度。

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