塔2024年4月号気になった歌10首②
「絞り出してみる」だから、主体は試しに生クリームを鎖骨に絞り出しているようだ。想像上か、実際にか、いずれであっても行為そのものに異常性がある。唐突な下の句は、主体が評価対象となっているのか、生クリームを鎖骨に絞るという概念上の行為自体だろうか。様々な思いが生まれる魅力的な歌。
屠殺場は、家畜が殺されて食料とされる場所。エスカレーターという自動で動くものに乗って移動する主体が向かっているのは職場か、学校か。どこであってももう抗えない運命に降伏しているような姿が浮かぶ。
初七日は故人が亡くなって7日目のこと。父が冷凍庫から見つけたカレーは、亡くなった母の手作りのものだろうか。生きていた証を見つけ、また保存する行為にまだ死を受け入れ切れていない様子が浮かぶ。
繁華街は、店のネオン看板や店の煌々とした明かりにあふれ、その光の強さに行きかう人々の影も隠れてしまう。結句「綺麗に消えて」は、強大な光により物理的に「きれいさっぱり」消えてしまう意味にも、繁華街を行きかう様々な業にまみれた人間の影が消えることを肯定的にとらえらようにも読める。
超いい。主体がラマと並んで夕焼けを見ている。わくわくしかない。きっと二人は言葉を交わしていない。それは、人間と動物で言葉をつかえないからではない。なにも言わずとも通じ合っているからだ。
映画のシークエンスのような描写。「尾行する如」なので、尾行そのものを主体はしていないのだが、猫からすれば単に尾行だ。目が合い止まった次の展開が待たれる。
白湯の優しさが際立つ。「落ちそうな体」という表現に実感があって、確かに夜が更けて光を失った暗黒に引っ張られるように、体が落ちてしまいそうな夜がある。その感覚を一杯の白湯は優しく支え、つないでくれる。
なるほど究極の味にたどり着くには三千里ではなく、三千日が必要になるのだろう。小豆雑煮は島根県や鳥取県の郷土料理で、小豆の煮たものに餅を入れた雑煮。ぜんざいやおしるこに比べ、あっさりとした甘さが特徴とのこと。うまそう。
コンビニは、公共料金の支払いだけでなく、ATMによる現金引き出しなどかつて銀行で行っていたことをできる。主体は、過去にあった銀行の面影を感じながら、コンビニで公表料金を払っている。街の記憶は、私たちの行動に沿って深く刻まれる。
上の句では立ち上がる女子が主役となり、下の句ではその女子に立ち上がられたパイプ椅子が主役になるというユーモラスな一首。「一斉に」というたくさんの人が浮かぶ言葉から、卒業式や入学式が浮かんだ。きりっと立ち上がる女子につられて、椅子もピシッとしているようで楽しい。
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