塔2024年2月号気になった歌10首⑧
巨峰やシャインマスカットのような粒の大きい葡萄が浮かんだ。房になった葡萄から、粒の葡萄がもがれていく。葡萄は、食べられるために作られるものであり、粒ごとに分けられるのは運命でもある。はじめから決まっていた別離の場面であったとしても、別れの言葉をお互いに発することで、運命が少しだけ揺れる。
圧倒的な出来事は、言葉を尽くせば尽くすほど、その言葉は空虚に響く。下の句は、話者が、あるものを必死に「リアリティ」あるものとして語っているが、鏡がないことで、客観性を持っていないがために、その言葉が誰にも届いていないような感覚が浮かんだ。
言いさしの妙。上の句で「平穏な」とあることから、下の句の「雨」はその対比としての不穏さの象徴のよう。平穏な日々を過ごした代償のように雨を受けさせられている水甕には、主体自身の姿が重ねられているようにも感じられる。
セイタカアワダチソウは、その名の通り、背の高い雑草で、空き地や荒廃農地などに生い茂る。高いものは、3m近くにもなるというセイタカアワダチソウの群れの中でする「ひとりぼっちのかくれんぼ」は、セイタカアワダチソウが黄色みがかった鮮やかな緑色であるがゆえに、寂しさが際立つ。
「ろりめく」。「ロリ(コン)めく」という言葉が浮かんでしまった自分を恥じたい。「ろりめく」は、心配や驚きなどのために落ち着かず興奮することを意味するとのこと。確かにそうした状況は、日常生活の中でよくあるもの(納期とか、納期とか、納期とか)。いい感じの言葉なので、「いやあ、俺、今日、ろりめいててさ」と使うことを想像してみたが、部下がひきつった笑顔を浮かべながら、コンプライアンス通報窓口に連絡する未来しか見えなかったので、自重したい。
美しく寂しい情景。なかぞらが、金木犀でいっぱいなのは、金木犀の樹木の量だけでなく、その香りによって空間全体に金木犀があふれているよう。弔いの場面に、自然の力が働くことで、人間の感情が自然に交わっていく。
いっそ殺してしまいたいものだが、そうもいかないのがビジネス。殺してしまえば、相手方は、その弔いとしてより強い力を行使してきかねない。急所を外すことで、生きながらえさせ、私たちに二度と刃向かわないよう教育することが必要である。
「聳える」が的確。新宿三丁目は、すぐ近くに歌舞伎町のある繁華街。「職業、イケメン」は、ホストクラブの広告で使われている文言で、ルックスそのものが付加価値になり、人間性を壊し、壊されるほどの強力な欲望の渦巻く街の雰囲気をグロテスクに浮かび上がらせる。
日常の中のちょっとした感覚のズレにより生じる違和感。コーラの容器に入ったものであれば、それはコーラにほぼ違いないのだが、「どず黒い液体」という把握をした瞬間に、その無批判の推測が揺らぐ。
主体は、神様のようだ。ちっぽけな人間が船を浮かべて遊んでいるのをほほえましく感じ、たまに揺らしてあげたという場面は、優しげだが、人間を超越した神様である。「揺らしてあやして」の揺れは、人間にとっては大震災のような揺れかもしれない。逃げ惑う人間を見ながら、サイコパス神様は、「人間ってかわいい」とうっとりしているかもしれない。
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