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深夜残業の正しい乗り切り方(南関東返歌推進協議会会報#3)

何回も印刷プレビューしてるのに思い通りにならない、恋かよ/真島朱火

「月の食べかた」『サバイバル』

正確に読み取られればモノクロになるはずだけどちゃんと色づく/中型犬

自作短歌

働き方改革前夜

2019年に残業時間の上限規制などの働き方改革関連法が成立するなど社会的にも働き方改革の機運が高まる中で、数年前から弊社においても労働環境は劇的にホワイトになったのですが、その前は惨憺さんたんたる状況で、優秀な若者から順番に続々と離職し、定期イベントとして明け方のオフィスの床に野戦病院がごとくスーツメンが倒れているような状況でした。

夜明け前が一番暗いとはよく言ったもので、個人的にしんどかったのは、徐々にホワイト化していく過程の時期でした。

仕事量は減らないのに残業時間の短縮が全社的な至上命題として圧力が強まる中で、まず管理職は率先して残業を行わないこととなり、まだ仕事を覚える段階の若者もきちんと帰らせることとなると、必然的に30代前半に仕事が集中することとなり、運悪く自分は30代前半でした。

「働き盛り」という言葉でごまかされているが、周りの花は早々に店じまいする中で、なんで俺だけ咲き乱れなあかんねん、と使ったことのない関西弁になってしまう。

終電ギリギリまで資料を調整して、関係各所へ確認依頼のメールを出して、翌朝出勤すると、始業前から十分な気力みなぎるおじさんから確認依頼のしょぼいミスを指摘するメールが届いたりして、「うるせえ、死ね」と呟きながら、「ご指摘ありがとうございます!その通りですので、後ほど修正いたします!」とメールを打ったりしていると、ちゃんと気が狂ってきます。

もちろん30代前半ですので、家庭もうまくいっておらず(みんなもそうだよね!後半はもっとうまくいかなくなるよ!)、夜風に当たりながら窓の外などを見ていると、飛び降りちゃおうかなとか、ガチで思ったりしてたもんですが、あるとき本当に飛び降りた人がいたりして、窓が10cmくらいしか空かないように工事が施されました。

そんな時期を支えてくれたのは、アイドルでした。

もうなんか朝から理由もなく頭がガンガン痛いけど、アイドルの楽曲とかライブ映像とかラジオとかを聴いている時間だけが心が休まって、普通に通勤電車で泣いてたりしました。
(みなさんもおじさんが通勤電車で泣いていたらそっとしておいてあげましょう。)

オフィスでのひそやかな楽しみとしてステルス推し活がありました。

身の回りの日用品を推しの担当カラーで揃えたり、資料の大事なところにこっそり推しの担当カラーを忍ばせたりすることで心の安定を保っていました。

そして、最終的にはエスカレートして、ホームページに載せるファイル名を「sayamasuzuka.pdf」として載せようとしているとき、さすがに我に返って、適切なファイル名に修正するとともに心療内科に行きました(そもそもなんでシステム担当でもないのにホームページをいじっていたのかな☆)。

そのころは一人だけオフィスに残って働いていることも多かったので、ささやかな楽しみとして深夜に推しの生誕Tシャツに着替えるというのもありました。

一度だけ飲み会で酔っぱらった上司が忘れ物を取りに来た時に見られてしまったのですが、「お疲れ!いつもありがとう!」と言って去ってくれてことなきをえたのですが、ちょっと興奮しました(変態!)。

あと、当時の推しが中2だったため、特典会で中間テストとかの話をしてたら、職場で子持ちの方が家に早く子供が帰ってきて大変と言っていて、「ああ、中間テストの時期ですもんね」と言ったら、「そうそう。中型犬さんのところのお子さんいくつでしたっけ?」とか聞かれ窮地に陥ることもありました。
「いやあ、うち子供いないんですけど、なんかNHKでやってて、はは」みたいなことを口走ってしのいだわけですが、NHKは中間テストをニュースにしねえよ。

あときっと「推しが中2」というパワーワードであなたの心にざわめくなにかを作ってしまったことを心よりお詫び申し上げます。

生活をすること、働くこと、恋をすること、それらすべてのこと

今回返歌を書かせていただいた真島朱火さんの短歌は、2022年3月に発表された真島朱火さんの短歌集「月の食べかた」からの1首である。

引用した1首は、事務系仕事あるあるというような場面ですごくおもしろいなと思うとともに、「、恋かよ」の鮮やかさにしびれた。

あとがきで、

ここに登場する主体は、形を変えた等身大の私です。

真島朱火「月の食べかた」あとがき

とあるように、この短歌集は、一人の人間の様々な生活の場面のスナップショットのような短歌が並んでいて、とても共感性が高い。
加えて、その切り取り方の感性が独特で、なんでもない一コマがキラキラ輝いたり、暗く影を持ったりする。
生活とは、有機的に関連する営みの連続である。
1首ごとの短歌で持った気持ちが、連作の中の文脈を読んだときに、違う感情に置き換わることもある。

透き通る雲を見上げて話し出す今朝ぶちまけた牛乳のこと

真島朱火「月の食べかた」『返事がほしい』

何でもない会話の一場面だが、一連を読むと好きな人と会っているときのことだとわかる。
会話すること自体が楽しい人との会話は、どんなテーマでも楽しい。
牛乳をぶちまけてしまうのは、なかなか面倒くさいことだが、そんなマイナスの出来事すら会話のきっかけになることを楽しんでいるかのよう。
雲と牛乳の白いイメージも合って、微笑ましい男女の会話の光景が浮かぶ。

電線が空を六つに分けていて好きに終わりをつくれると知る

真島朱火「月の食べかた」『歌えない歌』

一転して、この一連は、別れの歌が並ぶ。
無限に広がる空でも、人工的にひかれた電線が並んでいると区切られているように見える。
「好きに終わりをつくれる」と知った主体は、まだ「好きに終わりをつくれ」ていないのだろう。
なんでもない光景でも、気持ちのありよう次第で、影が差す。

二度寝するために早起きするような自給自足の幸せがいい

真島朱火「月の食べかた」『嫌われないわけがない』

二度寝の気持ちよさをセルフプロデュースできるという発想がユーモラス。
一方、自給自足の幸せを求めているのは、逆に幸せを他人の言動に左右されてしまう主体の心を浮き上がらせる。

元カレは上手かったとか下手だとかクレーンゲームの話をしてる

真島朱火「月の食べかた」『校舎が揺れる』

上の句を読んだときに、セクシュアルな意味合いを感じさせながら、下の句でクレーンゲームの話だったという種明かしがされる巧妙な歌。
この歌の作者も同様の思考過程をたどって、勝手に気まずい思いをしたことが推測され、この歌を読んだ我々読者も同様の羞恥心を抱く。

乱暴に保留にされた電話から流れ続けるホール・ニュー・ワールド

真島朱火「月の食べかた」『水面の熱帯魚』

繊細な心であればあるほど、仕事をしていて傷ついたり、違和感に苦しめられたるすることが多い。
価値観や常識の違う人たちと一緒に、もしくは取引先やお客さんとして接しなければならない。
この短歌集では、秀逸な職場詠が多く、この歌もその一つ。
ホール・ニュー・ワールドの保留音が頭にすぐ浮かぶとともに、曲の内容と対極の価値観である乱暴さや不快感が際立つ。

大人になっても届かないものばっかりで脚立は出したままにしておく

真島朱火「月の食べかた」『背景でいい』

優秀な妹への複雑な思いが透けて見える一連からの1首。
子どもから見た大人はちゃんとしていて、自分も大人になれば、なんでもできるようになるような幻想を抱いているが、実際にはそうではない。
脚立を使えば届くものなら、脚立は出しっぱなしにしておけばいいという強かさも感じられる。

おいしそう、って君と見上げた満月をどう食べようか考えている
狼と月ほどゆるい関係でけれど確かに続く同棲

真島朱火「月の食べかた」『狼と月』

タイトルの「月の食べかた」につながる一連。
恋人との同棲生活の光景や心情が丁寧に切り取られれている。
別々に暮らしながらデートを楽しみにしている恋人同士の関係や完全にお互いが生活の一部になる夫婦関係とは違う微妙な関係性の機微。

順番を守れなかったクエストで起こらなかったイベントがある

真島朱火「月の食べかた」『ネバーランド』

RPGゲームでは、ある手順を順番通りにこなすことでシナリオが発生することがある。
それは、現実世界でも、ある結果に至るまでにいくつもの原因となる出来事があることのメタファーである。
この1首は、単独で読んだときにこのような解釈が取れるが、一連で読むと、ここで言う「イベント」は「結婚(もしくは結婚に至る必須過程のイベント)」であることがわかる。
そのことに気付いた途端、一見ドライに分析しているような主体の複雑な思いが痛く迫って来る。

ケンカした数だけ食べたコンビニのスイーツ事情をよく知っている
平凡に暮らしていればこの星が丸いことさえ忘れてしまう

真島朱火「月の食べかた」『いつか』

この短歌集の最後の一連は、歌集を象徴するかのように生活の場面を丁寧に切り取った秀歌が並ぶ。
なんでもないことの一つ一つに光を当てて短歌を詠むことは、読者にとっても、作者にとっても、救いとなる。
この歌集を通じてそのことに改めて気付かされた。

最後に、私はこの歌集を渋谷ヒカリエ8階にある渋谷〇〇書店で長井めもさんが開設している歌集専門店「Long books」で購入しました。
私家版歌集にもたくさんすてきなものがあることを知れてとても感謝しています。


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