塔2022年11月号気になった歌10首④
宗教的信念を背景にいわゆる毒親のように子どもを抑圧していた亡母との関係の一連。子どもの幸せを親が祈るのは世の常だが、その目的が「自分への褒美」と見抜かざるをえない状況に置かれる子どもの気持ちを思うとやりきれない。一連では、清純であることを宗教により求めており、それに沿えなかった主体の内省がつづられるが、その宗教を背景にする母は、「高値」という清純さと離れた俗世的価値観を持っているのがよりやりきれなく、宗教信者の欺瞞を暴いている。
朝早い出勤の日。職場近くの駅まで行ってはじめて行先表示の「各停 中央林間」という文字を読んだ。当然、電車に乗るときにも目には入っているのだろうが、読むに至っていないのは、朝の憂鬱な気持ちにより外の世界に気持ちが向かっていないからだろう。「 中央林間」の一字空けで、行き先が強調されることで、行き先すら読まずに電車に乗り込んでいたことのグロテスクさが際立つ。
「闖入」は、「急に入り込む」という意味。一連は、江ノ島で花火を楽しむ様子。闇の中で火花を散らす花火を振り回せば、光の筋ができる。仮定形を取っていることから、実際にはできなかった場面だろうか。実際には静かに花火を楽しんでいるが、闇を切り裂くように花火を振り回したらどうなるだろうか、と花火により一時的な解放感を夢見ていることから、逆に日常の抑圧感の暗示を感じた。
旅先の土産物屋で手に取ったが買わなかったオカリナ。もちろん買っていないので手元にはないが、土産物屋やそれをその後に買った人の家にあるオカリナに思いを馳せている。自分には必要がなかったが、誰かにとっては必要なものが急に気になる感じ。
信頼のできる友人との別れの場面。言葉遣いが丁寧で平易ですっと心に入って来る。結句の「信頼」という体言止めに主体と友人との関係性の強固さが表れている。
人はなぜ生きるのかという重い問いとレンチンした新玉ねぎにバターを乗せるという生活感にあふれた行為のコントラスト。とんでもない贅沢ではなくとも、一手間かけることで幸せを感じられる食事をとることが、実は生きる意味の一つではないかと感じさせてくれる。
幻想的な歌。雨の音を聴いているうちに、体のうち耳だけが横たわって、そしてその耳すらなくなってしまう。雨に体が溶けてしまうような感覚だろうか。雨音だけが聴こえる状況で、雨音に体が吸い込まれてしまうような感覚には実感がある。
「地球っぽいな」がすごくいい。野良猫に逃げられないようにゆっくり近づく人間と危険を察知してものすごい速さで逃げていく猫。人間はもちろん猫を傷つけたりしないのだが、その意図に猫に伝わらず、逃げられる。生き物同士がわかりあえなさを抱えながら、それでも関わろうとする光景は、いかにも地球っぽい。
フライパンで熱せられた水と油のけたたましい音を聴いて、夏の盛りを感じている。夏、暑い中で調理をしていると、調理の火も他の季節よりも激しい感じがする。日常のあらゆる場面で、夏を感じるヒントは隠れている。
参鶏湯はスタミナ料理で暑い夏こそ、夏を乗り越えるために食べる風習がある。主体と友人・恋人が参鶏湯以外の食事を終えて、改札で別れるシーンか。「暑いから参鶏湯でもよかったね」は主体の心の中のセリフと読んだ。改札に入っていく相手の背中が白に同化するのは、どこか健康の心配をしているからだろうか。上の句の具体に対して結句に向けてぼんやりしていくのがおもしろいと感じた。
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