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本八幡


 5月~6月にかけて千葉県市川市は本八幡で演奏する機会が二度あった。テューバ奏者の高岡大祐さんによるその続けてのブッキングはcooljojoという店で、この近年私も何度かお世話になっている。地下空間だが明るく、所謂ライヴハウスというよりもギャラリー的な感じもあり、生音も良い。
 さて、その日はサウンドチェック後に立ち飲み屋で喉を潤すことになったわけだが、その店が驚くほど安い。

 高岡の他、ドラムスの石原雄治、ギターの潮田雄一(敬称略)という私より一周りから二周りは若い顔ぶれ。皆とても知識が豊富で、見解も豊か、酒場での話は尽きることなく、開演時間を忘れてしまうほどで、私なんぞはそんな話を聞いているだけで、嬉しくなり、ついつい杯を重ねる。さらに面白いのが、皆とてもバカな部分を持っていて、そんなものを携えた人生の棒の振り方が誠に清々しく見えるのだ。よし、これだけで今夜のライヴが良い演奏になる確信を得る。
 それにしても普段あまり食べないもやしのナムルがこういう酒場ではやけにうまい。そして一人500円ほどの勘定。

 かつてこの市川には「りぶる」という店があり、私も何度か出演した。本八幡駅からは一つ東京よりの市川駅が最寄り駅だった。もう閉店してから十数年は経っているが、市川のライヴハウスと言えばこの「りぶる」を思い出す。それまで関西にいたトロンボーン奏者の故・大原裕さんが東京に居を移したころから、私はよくライヴに誘われ、りぶるでのブッキングも少なくはなかった。私が最初に会った頃の大原さんは豪快に吹き倒し、「これでいいのだ」というのが何とも魅力だった。ストラーダの2ndアルバム録音時の1998年夏には、特に声をかけたわけではないのだが、楽器を持って、瑞穂町のホールに現れた。ただ折角暑い中急な坂道を登ってきたのだが、既に録音は全て終了し、皆帰るところで、出くわした。全く彼らしい事の顛末だが、どうやらそのままこのバンドに入りたかったようなのだった。その後、私も録音に誘ったり、大原さんのライヴに最初に参加した頃までは良かったのだが、東京での生活で何かあったのか、躁鬱が激しくなる。躁状態でライヴをブックし、いざ演奏の時は鬱なのか、豪快さはなくなる。こちらが遠出をするライヴに現れなかったり、ツアーを組んでスケジュールを押さえたのに、何の連絡もなかったり、とそんなことが続いた。そして、何度目かのりぶるのライブでついに吹けなくなった。火事で亡くなってしまったのだが、その数週間前にライヴを観にきてくれたことがあり、その時、ちょっとしょぼくれてしまって元気が無いように感じた。その後、私は旅先で彼の訃報を知るが、その日は偶然にも演奏曲目に大原曲が含まれていた。まともに演奏できたかどうかは覚えていない。その旅先でふと思い出した。私がスケジュールがNGで断った大原さんのライヴがりぶるで決まっていたのかもしれないのだ。おそらくベースは松永孝義さんなので、連絡を取った。そしてその日のりぶるは松永さんがメンバーを集め、大原曲を中心に行われたとのこと。それはその翌年から始まった松永孝義 The Main Man Special Band につながる。その松永さんの命日が今年もそろそろ巡ってくる。

 さて、6月初旬のクールジョジョ、この日は高岡、潮田、桜井のトリオ。これは閉店直前の北浦和ちどりでもやったのだが、先の4人のoff fravor(バンド名)とは異なる感じだ。打楽器が無い所為か、潮田くんは何かを叩いている場面も少なくない。そしてこの日の彼のディドリィボウは凄まじい音だった。

 生音はここの木の床にも共鳴し、それがこちらの体にも伝わる。

 潮田くんはギターももちろん素晴らしく、その生々しさにいつもハッとさせられ、ぞくっとくるのだ。彼との付き合いは割と最近で日は浅いのだが、3月にご一緒した時に「ギターを交換してください」と言われた。彼のようなナイスガイからそんなことを持ちかけられたのがとても嬉しく、私は偽フェンダーのテレキャスターを彼に渡し、彼のNash Guitarのテレキャスター・シンラインを受け取った。価格換算だと私の方がだいぶ有利で、一ヶ月後のライヴで元に戻る約束をした。その後、彼は私のギターをツアーに持って行き、私は彼のギターをライヴで使い倒した。ギターを弾いて45年くらい経ったのだが、こんなことは初めてだった。

 これが私の偽フェンダーのテレキャスター。今は無いのかもしれないがギター工房PACOのマッシュルームというブランドでなかなかしっかりした作りだ。生産本数はそう多くなかったらしく、今ではプレミアがつく個体もあるらしい。購入したのは1997年の3月、よく覚えているには訳がある。その翌月の4月から消費税が5%になるのだ。偶然立川の楽器店で見つけて、1日悩んで購入。消費税値上がり直前セールでかなり割引されていて、7万円でお釣りが来る価格だった。新品で手に入れてから、もう26年になるのか、と妙な感慨を持つ。この数ヶ月あまり使っていなかったのだが、久しぶりにアンプで鳴らしてみると、安定度は高く、ギターアンプもあまり選ばなくとも良い。元の作りが結構良いのだが、結局いつのまにか相当な改造に次ぐ改造で当初の面影はテレキャスターであることくらいだ。
 購入してすぐに安価でディアルモンドのダイナソニック・ピックアップを見つけ、フロントに装着。するともともとのリアピックアップとの音量差が激しく、リアも交換。ジョー・バーデンのダニー・ガットン・モデルでこれはハムバッカー、そのついででリアピックアップのプレートと3wayのブラスサドルに交換。ちょうどこの頃にオクターブチューニングが合う3wayサドルが世に出回るようになったのだ。
 しばらくその状態で使っていた。90年代後半の田辺マモルくんやあがた森魚さんのライヴはほぼこのギターだと思う。酷使していたので、電気系統もガタがきて、ヴォリュームとトーンの可変抵抗器を250kから500kに変更。ピックアップセレクターはもう3回ほど交換しているかと思う。
 ただこのアルダーボディ、ハカランダ指板のギターも弱点があった。3.8kgと少し重たい。だから演奏が何日か続くと立って弾くのを避けたくもなる。そしていつの間にか同じダイナソニック・ピックアップのMartin GT-75の方が出番が多くなる。
 もちろんこのテレキャスターも時々引っ張りだしていたのだが、改造癖は突然やってくるのだ。割と家から近いリペア店が安価でリフィニッシュを請け負っているとの情報。重量以外のこのギターの最後の不満がポリ塗装(サンバースト)と少し太めのフレットだったのだが、そこに手を入れることにした。ラッカー塗装とリフレットをお願いした。その際にネックも再塗装したので、ヘッドのブランドロゴも消えてしまった。再塗装なので時間がかかるリペアだった。残念ながら購入時の写真記録はなく、ネット上マッシュルームロゴで拾ってみた。

 そして半年近く待っただろうか。以下のライヴの直前に完成したと記憶する、その後フェンダーの修理用ロゴが偶然手に入り、自分で貼り付け、ヘッド部のみオーバーラッカーを施した。

 その後、配線材の交換もちまちまやっていた。一時期ベルデンのケーブルの中身を使っていたことがあった。悪くは無いがしっくりこない。雑味が失せるのだ。いろいろ調べて見たら、2000年代に入って発令されたRoHSが影響していた。要するに金属に含まれる有害物質の取り決めである。エレキギターというのは本体には例外もあるが、基本は電気を使っていない。昔の電話みたいなのもので、シンプルな構造だ。だからRoHS発令前のものが望ましい。なのでずいぶん使っていなかった80年代のイギリス製のケーブルの中身を試しに使って見たら、ああ、この感じ、というくらいに戻る。まだ10年くらい前はヴィンテージ線材も安価で手に入ったので、LENZのこたつの電源コードみたいなものを解いて使ってみたら、これで程よい落ち着きを取り戻し、今に至る。ああ、それから半田もまあ重要かな。昨年頂いたダッチボーイのヴィンテージがあるのだが、同じケーブル、プラグで半田だけ変えてみる実験をしてみた。これが結構驚きの差があったのだ。

 このように私のエレキギターはほぼ全部改造されているのだが、またの機会に別の楽器の話にもなることだろう。

桜井芳樹(さくらい・よしき)
音楽家/ギタリスト、アレンジやプロデュース。ロンサム・ストリングス、ホープ&マッカラーズ主宰。他にいろいろ。
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twitter: https://twitter.com/sakuraiyoshiki

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