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【アーカイブス#69】ウォリス・バード *2015年6月

 1980年代の中頃から90年代の中頃あたりまでの10年間ほど、ぼく自身が歌うことをやめて音楽の原稿を書いたり翻訳したりする仕事ばかりしていた時、いろんなライブやコンサートにしょっちゅう出かけていた。そのほとんどがいわゆる「外タレ」と呼ばれる、アメリカやイギリスなどからやって来たミュージシャンのライブやコンサートで、もちろんコンサート・レビューを書くために仕事として出かけることもあったが、自分がアルバムを聞いたり、原稿で取り上げたりしているミュージシャンはいったいどんなライブをやるのだろうと興味を抱いて、仕事とは関係なく出かけることもたくさんあった。それこそ月に20回ぐらいはいろんなミュージャンのライブやコンサートに足を運んでいたのではないだろうか。

 しかし1990年代の半ばあたりからまたぼく自身が歌うことへと活動をシフトするようになり、20年ほど経った今は自分の歌を歌うために日本のあちこちに出かけていくことが活動の中心で、音楽の原稿を書いたり翻訳したりする仕事はほとんしなくなってしまった。当然以前は月に20回ほど足を運んでいた「外タレ」のライブにも行かなくなってしまい、今では月に一、二回行ければいいような状態だ。それこそ今では自分が月に20回ほどあちこちでライブをやっているので、「外タレ」のみならず、日本のほかのミュージシャンのライブやコンサートに足を運ぶこともなかなか困難な状況になってしまっている。もちろんいろんなライブに行きたい気持ちは今も強くあるのだが…。

 そんなふうに状況がまったく変化してしまった中、この5月から6月にかけて「外タレ」のライブでは、ジョン・ハイアットやウォリス・バード、J.D.サウザーなどのライブをぼくは見に行くことができた。その中でも5月30日に吉祥寺のスターパインズ・カフェで見たアイルランド出身のシンガー・ソングライター、ウォリス・バード(Wallis Bird)のライブがあまりにも素晴らしかったので、今回は彼女のことを、そのライブのことを書いてみようと思う。

 ウォリス・バードはウィキペディアによると、1982年1月アイルランドのウェクスフォード・カウンティのイニスコーシーの出身で、生後6か月の時に父親からギターをプレゼントされたとある。もちろんそんなに幼くてはまだ弾けたりせず、いじって遊んでいただけだと思うのだが…。
 学業を終えるとウォリスはアイルランドの首都のダブリンに出てきて、ロック・スクールに入って曲作りを学び、そこで彼女はヴィオラやパーカッションを演奏するイーフェ・オサリバンと出会い、小さなクラブやパブ、あるいはフェスティバルなどで演奏活動をするようになった。2005年にウォリスはドイツに移り、そこで自分のマネージメント会社を見つけたり、クリスチャン(ドラマー)とマイケル(ベーシスト)のヴァイン(Vinne)兄弟のリズム・セクションを新たなバンド・メンバーに迎え入れ、ドイツやアイルランドを回る本格的なツアーを敢行した。
 そしてドイツのマンハイムに落ち着いて一年半ほど暮らしたが、2006年のうちにロンドンに移り、2006年の春には自らのインディペンデント・レーベル、バード・レコードを立ち上げて6曲入りのミニ・アルバム『Branches Untangle』をリリースした。そしてその年の秋にはイギリスのアイランド・レコードとレコーディング契約を交わし、2007年の秋にデビュー・アルバムの『Spoons』が発表された。2008年になるとウォリスのライブやレコーディングをサポートするバンドのメンバーにクラリネットやピアノ、メロディカやダルシマーを演奏するアイルランドとベルギーのハーフのエイダンが新たに加わった。

 ぼくがウォリス・バードのことを知ったのはちょうど彼女がデビュー・アルバムの『Spoons』を発表した頃のことで、たぶん最初はYouTubeで流れる彼女の演奏を聞いて興味を抱き、それからすぐにその2007年のデビュー・アルバムを手に入れて耳を傾けたのだと思う。そして2009年の『New Boots』、2012年の『Wallis Bird』、2014年の最新アルバム『Architect』と、彼女が新しいアルバムを発表するたび、彼女の歌を追いかけ続けた。
 セカンド・アルバムはアイランドではなくベルリンのコロムビア・レコードからのリリースとなり、三枚目からは彼女のマネージメント会社やディストリビュートする会社が関わっているものの、またまた彼女のバード・レコードでの作品となっている。

 もちろんぼくはウォリス・バードの歌に強く心を引かれたからこそ、彼女の歌を追いかけ、アルバムを手に入れ続けたのだが、彼女のアルバムの作り方や出来栄えには100パーセント満足していたわけではなかった。どのアルバムを聞いても、こんなに凝らなくてもいいのに、そんなにバンド・サウンドに頼らなくてもいいのに、妙に音響系みたいな感じにならなくてもいいのにと、ウォリスの歌や持ち味を完全に活かしきれていないような気がして、彼女の歌が気に入っているだけに何だかもったいないように思えてならなかった。

 ところが5月30日の吉祥寺スターパインズ・カフェでのウォリス・バードのライブを見て、ぼくはぶっ飛んでしまった。感激してからだがぶるぶる震え、涙もこぼれ出てしまった。
 ぼくが初めて体験したウォリス・バードのライブは、基本的には彼女のまったくのソロ・ライブで(1曲だけ客席でクラリネットとバイオリンが演奏された)、アコースティック・ギターの弾き語りだったのだが、アルバムとは違ってこれがほんとうにすごかったし、素晴らしかった。
 一曲目からウォリスは恐ろしいほどパワフルなストロークでギターを弾きまくり、何曲かはフィンガー・ピッキングで演奏する曲もあったが、彼女にとってギターは完全なリズム楽器というか打楽器で、ギターと彼女とが完全に一体となって、めちゃくちゃグルーヴ感に溢れるビートが生み出される。
 もちろんそんな熱いギターのビートにのせて歌うのだから、彼女の歌もまたとても力強く、グルーヴィーでエモーショナルなことは言うまでもない。ウォリスの魂と心と頭とからだと声とギターとがひとつになって迫ってくるそのライブ・パフォーマンスは、どこまでも強烈で情熱的で、しかもほかに類がないもので、その世界の中にぼくはぐいぐい引き込まれていってしまった。

 しかも彼女は左利きで、ふつうの右利きのギターを逆さに構え、右手でコードを押さえ、左手で弦を弾きながら演奏する。つまりふつうギターは上から下へと弾き下ろすもので、いちばん上の弦がいちばん太い6弦、いちばん下の弦がいちばん細い1弦で、低音から高音へと掻き鳴らされるのだが、ウォリスの場合は右利きのギターを逆さに構えているので、いちばん上がいちばん高い1弦、いちばん下がいちばん太い6弦になっている。だからストロークにしても、コードの押さえ方にしても、実にユニークな演奏方法となり、出てくる音もふつうの弾き方とはかなり違うものになってしまう。ジミ・ヘンドリックスやジュールズ・シアーもそういうギターの弾き方をしていた。

 再びウィキペディアによるとウォリス・バードは生まれつき左利きだったそうだが、幼い頃から親しみ始めたギターは右利きで弾いていたのではないだろうか。しかし芝刈り機に左手を巻き込まれて、左手の指5本をすべて切断するというとんでもない事故に遭い、手術で4本の指をくっつけ直すことに成功したが、その事故がきっかけとなって、彼女は右利きのギターを逆さに構えて弾く独自のスタイルを編み出すようになった。
 もちろん左手の4本の指の再生手術は大成功で、その後ギターを弾く時も支障はないのだろうが、それにしてもライブでの指どころか手もちぎれんばかりに激しくギターをかき鳴らすウォリスの左手のストロークはほんとうにパワフルで、そこには何かただならぬもうひとつの熱い命が宿っていた。
 ウォリスが弾いていたのはレイクウッドというドイツのとても高級なギターで、そのギターを今にも壊さんばかりにワイルドに弾きまくり、最後の曲では6本の弦も全部思い切り引っ張ってぶっちぎってしまう。ぼくも自分のライブでは弦をよく切ることで知られ、ストリングスブレイカーと呼ばれたりもするのだが、さすがに彼女の6弦全部ぶっちぎりには唖然とさせられてしまった。

 初来日公演に合わせて日本では、これまでに発表された4枚のアルバムから17曲が選ばれ、そこにボーナス・トラックを1曲加えたベスト・アルバム『BIRD SONGS〜The Best of Wallis Bird〜』が来日記念盤としてキング・レコードから発売された。スターパインズ・カフェのライブで演奏されたのも、そこに収められている曲が中心だった。
 その感動のライブからすでにひと月が過ぎ、セット・リストも手元にないので、どの曲がどんな順番で歌われたのかはよく覚えていないのだが(もう歳なので…)、今も強く記憶に残っているのは、「あなたがわたしにしがみつけばしがみつくほど/わたしはあなたのものではなくなっていく」と繰り返し歌われるサード・アルバムの『Wallis Bird』に入っている「In Dictum」、やはり同じアルバムに入っている「時間がないから/お金がないから/そんなふうにあなたがいつも繰り返すせりふはもう聞き飽きた」と歌われる『I Am So Tired of That Line」(実はほとんど同じフレーズが歌詞に入っている「イイワケナンテキキタクナイ」という歌をぼくも作って歌っている)、それに曲名がよくわからないのだが、明日日本を離れることを思ったのか、歌っているうちに彼女が感極まってしまった静かな別れの歌などなどで、それらがぼくが初めて体験したウォリス・バードのライブのハイライトとなっている。もちろんすごいギター・プレイも言うまでもないが…。

スターパインズ・カフェでのライブを見終えた後、改めてウォリス・バードの4枚のアルバムを聞き返してみたが、どの作品も彼女のライブ・パフォーマンスのあの強烈さ、命が宿るギター・プレイをディスクに閉じ込めることにはまだ完全に成功していないようにぼくには思えた。言うまでもなくライブとアルバムやレコーディングは別物なのだが、この先ウォリスたちはその両方をうまくアウフヘーベンした傑作アルバムをきっと作ってくれるはずで、それがとても楽しみでもある。
 それと同時にもっともっとたくさんの人を集めてのウォリスの再来日公演が早く実現することを心から願っている。今回のウォリス・バードの吉祥寺スターパインズ・カフェでのライブを見た人は誰もが大絶賛しているし、評判は評判を呼んで「そんなすごいライブだったらぜひとも行きたかった」と言っている人たちの声もいっぱいぼくの耳に入ってくる。
 ぼくとしてはウォリス・バードの次のアルバムも楽しみで待ちきれないが、とにかく一日も早く彼女のあのとんでもなくすごいライブをまた体験したいと、そっちの方にもっともっと心が逸ってしまっている。

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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