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玉生


 久しぶりに高円寺は抱瓶でのライヴだった。此処ではコロナ禍以前以来だから三年ぶりくらいになるだろうか。今回は大熊ワタルさん率いるシカラムータへの参加だったのだが、事前のリハーサルが無かったので14時入りと少々早い集合になり、ほぼ時間通りに高円寺に着いた。駅前で無料PCR検査をやっていたので覗いてみたら、すぐにでも受検可能とのこと。だがスマートフォンを持たない自分は検査資格が無く、メールアドレスだけではダメらしい。どうかしているな、全く。そして速やかに抱瓶に向かう。まだほとんどメンバーは揃っておらず、到着着席で即ビールを注文し、トランペットの北陽一郎さんと乾杯。まだ営業時間前だが、午後のゆったりした時間の静かな居酒屋での一杯は良いものだと痛感す。そして二人で瓶ビールを二本開ける。
 さて、そろそろセッティングの開始。ギターアンプは店のRoland JC-120、これは割と好きでは無いアンプだが、多くの店にあるので少しは慣れている。インプットは2を使い、イコライザーはほとんど使わず全て1~2と少しだけ上げる。アンプのヘッドルームは余裕があるので、これでヴォリュームを2~3にすれば、まあそこそこ使える。あとは持ってきたエフェクターで微調整。まずはBOSS FBM-1でEQとほんの少しのクランチ具合を合わせる。これはフェンダーベースマンのシュミレーターだが、おそらくJC-120想定での開発であろうと思われ相性はとても良い。今日のセッティングでは常時ONの状態で、あとは久しぶりのテレキャスターでギター側のヴォリューム、トーン、ピックアップセレクトを演奏に応じて時折調整するのみ。そしてOne Control Prussian Blue Reverb、こちらも常時ON。スプリング・リバーブと違い少し広がりが演出されているが、トーンを絞った時の落ち着き具合はなかなか良い。この二つのエフェクターともに今日は9V電池駆動にした。アダプターが重たいから、という理由だが、電池駆動の方が確かに少しクリアではある。幸いこの二つのエフェクターは比較的近年のもので、電池やアダプター、パワーサプライと電源による音の違いは思いのほか少ない。一般的にエフェクターは電池の方が、ACからのノイズが無いという理由で良いとされるが、問題は電池メーカーでかなり違うということだ。推奨はPROCELLかDURACELLとされているが、現在円安で一つ500円ほどと少し躊躇する値段だ。と自ずと今日のライヴだけなら、ということで100円ショップのものを買ってしまうことになる。だが数年前の9Vが200円の頃はまだしも最近の100円ものは酷い。テスターで8V少しの値でもパイロットランプが随分暗いエフェクターもある。こうなると動作も余裕がない。新品状態でもちょっとレンジが狭い。というわけで、少し使っては自宅作業場の机の隅に放って置かれるわけだが、今回はこの中から9V以上の計測値の電池二つを使うことにした。話は逸れるが、先日家電量販店で9V電池を買おうとして、店員さんに売り場を聞いてみたら、ボタン電池ですか?と返された。いや9Vです、と念を押すと、たまたま先輩らしき店員さんが通りかかり、上の階のレジ隣です、と教えてくれた。電気屋の店員さんなら、9V電池くらい覚えていてほしいものだが、この同じ店で、ヒューズを買いに行ったら、うちでは扱っていません、とのこと。しかし私が勝手に電気店だと勘違いしていたのだ、家電量販店は電気店にあらず。
 もう少し、電源の話。9V電池の新品はだいたい9.5~9.6Vの計測値である。電圧が音に影響しているであろうことから、ACアダプターの電圧も測ってみるが、所有のものはおしなべて9~9.2Vくらい。ただ場合によってはアダプターの方が音が好みのものもある。試しに電圧が多少調整できるパワーサプライで9.6Vまで上げて使ってみても電池とは同じようにもならない。物によっては物足りない感じもなきにしもあらずだ。う~む、何が最善だかわからなくなってくるが、電圧だけではないということはわかったし、アダプターも最近のスイッチング式よりは重たいトランス式の方が今のところは間違いはない、という確認だけは出来た。いろいろネット検索していたら、車のバッテリーを奮発して載せ直したところ、何が一番変わったかというと、カーオーディオの音だった、という記事も読んだ。電源と音質、おそらく解決のない問題であろうが、試したい方向の道筋は少しは定まったか。
 ちなみにクライベイビーのACアダプターは電池は9Vにも関わらず、10Vの供給で実測9.8Vだった。トランス式だが少し小さく、歪み系があまり歪まなくなるという私好みのものだが、気になる方は自己責任でお試しあれ。

 当日のリハーサルはたっぷりと3時間近くにおよぶ。普段は本番前にこんなに弾くことはないので、リハーサル後、普通に喉を潤すビール一本。その後は第一部でも演奏中にビール一本。休憩中に泡盛水割り。第二部でもビール一本。終演後ビール一杯と泡盛水割り一杯で、そろそろ終電の時間で速やかに帰宅。国分寺からは終電一本前に間に合い、坂道を登って家に到着。今日のテレキャスターは自分の楽器では一番重たいもので、少し肩が凝ったか。そしてすぐに眠りについてしまった。

 翌日、8時過ぎには目が覚めた。幸い酒も残っていない。そして、妻の李早との約束である栃木・塩谷町へのドライブを決行することにする。高速道路を使えば片道3時間弱、一般道なら4時間超のちょっとした遠出である。ひとまず往路は高速、復路は一般道の国道122号経由というプランを軽く立てる。目的地ははっきりしている。塩谷町にある和気記念館だ。幽玄の画家、和気史郎の作品を鑑賞することはもちろんだったが、この画家を知ったのは実は最近のことで、知るきっかけがここに足を運ぶ理由だが、後述にする。
 毎朝の交通情報でも知っているが、圏央道も最近は渋滞も増えてきたようだ。出来た頃のいつでも空いている道の印象が未だ完全に抜けないが、果たしてやはり適度な渋滞に遭い、東北道に入ってホッとするも若干の疲れも感じ、休憩。三年前にマニュアル車に変えたのだが、やはり左足は疲れるものだ。
 羽生で一服、大谷でトイレ休憩、矢板で高速を降りる。矢板というと私なんぞはすぐに下山事件を連想するが、落ち着いたのどかな町だ。そしてまっすぐで平な県道から国道を左折し少し山の中へ入っていく。かつてはこの国道に沿って鉄道があった。1959年廃止の東武矢板線。津島軽便堂写真館にとても詳しく載っている。写真も豊富でとても良い風景が記録され、ここに鉄道があったという事実に驚く。

 国道を右に入り少し行くと、右手に塩谷町役場がある。この辺りが旧玉生村で現在の塩谷町玉生(たまにゅう)となる。その先、道は左にカーブし和気記念館が現れる。軒の低い重厚だがそれほど大きくは無く、行き届いた手入れのかつての穀物問屋の母屋がその入り口で、この辺りの名士であったであろうことは簡単に想像がつく。受付の管理の方にとても丁寧な案内をされ、入場する。どうやら私達二人以外の観覧者はいない様子だ。まずは大谷石の蔵を元にした一号館へ。

 和気記念館のサイトでも観られるが、恐ろしいほどの迫力の能面に迎えられる。それでいてその迫力は暫くすると、落ち着きにも似た感覚も覚え次第に安らいでくる。蔵の造りも相まって素晴らしい空間で、和気史郎の作品だけでは無く、和気家所蔵の数々の陶芸もこの空間に一役かう。それにしても、凄い絵である。能面作品のいくつかはこの館内どこにいても、こちらが視られているようでもあるが、その緊張と安堵という相反の感覚が独特だ。ピンと張りつめていても、心は収まって行くのだ。こちらからは特に何も観ずに中央のソファーに身を沈めていると、なんとも不思議な心地よさで、それを私達夫婦だけで独占しているというこの上ない贅沢に陥る。
 インドでのデッサンも独特で極東ではないアジアも醸し出し、ユーモラスなものもある。さて二号館に向かうが、そこまでの敷地内も美しい。

 二号館は一号館に比べ新しく出来たらしい。こちらは船生(ふにゅう)石の蔵。船生石は大谷石に比べかなり白い。此処には和気独特の洋画の風景画もあるが、想像を絵にしたものに心を惹かれる。この館でも中央の椅子に座り、数々の絵に睨まれる。

 とにかくすごいエネルギーの作品たち。こう書くと疲れてしまいそうだが、そうではない。真の安らぎがあり、落ち着きの重心が低くなるのだ。癒し、というのはこう言うことなのかも知れない。

 退館際に受付の管理の方にお茶とお菓子の接待を受け、いろいろ話を聞く。私にとっては初めて訪れた地で、こんなに良くしてもらうとは、予想だにしていなかったことだ。その方に、和気史郎を知るきっかけを聞かれたのだが、それも後述。

 さて記念館を去ると、空腹を感じる。近くを少しうろつくと「餃子の玉龍」の看板。他に飲食店は焼き鳥居酒屋のみでまだまだ開店の様子は無い。玉龍はまだ開店前だったが、気配があるではないか。思い切って扉を開けると、じゃあ今から開けるよ、との嬉しい返事はこの店を一人で切り盛りする70歳代の女将からだ。
 ところがメニューは餃子と煮込みとビールのみだ。流石に餃子にはビールだが、ここは私は我慢で妻に譲る。仕込み最中の入店だったので餃子提供まで時間を要したが、つなぎで、これね、と煮込みの小皿。少し風も出てきて冷えも感じてきたので、これはありがたい。当然のように美味で温まる。
 そしてお待ちかねの餃子。なんて美味いのだ。せめてノンアルコールビールがあれば良かったが、水でも良い。栃木県は宇都宮は餃子の街として知られ、私も何軒か食べたことがあるが、ここのはそれ以上だ。この雑然としたカウンターだけの店で至福を味わう。

 店を後にするが、もうここからは私のみの運転だ。疲れはなく爽快で、日光経由の一般道を選ぶ。カーナビゲーションの装備は無いので、陽が落ちて行く方角が頼りだが、暗くなる頃に今市を通過し日光駅前通りを抜け東照宮方面へ。その先を122号に入りわたらせ渓谷鐵道沿いの山間部を走る。山の間から月蝕の始まりを知り、桐生では月を見ながら一息つく。そこからノンストップで熊谷、川越へ。21時半過ぎには、所沢に入り、慣れた道で帰宅に至った。

 最後に些か個人的なことだが、今回の玉生行の訳を記しておく。私は初めての訪いだったが、実は李早のこの地への訪問は二度目となる。随分昔に彼女の父に連れられ訪れたとのこと。此処は義父が小学校低学年まで過ごした場所だが、李早を連れての再訪では住んでいた場所までは思い出せなく、この辺りかな、という程度だったらしい。ところが最近、義父の母、義祖母がこの地で骨を埋めたことを知る。墓は特定できなかったのだが、住んでいた場所を正確に知った。その住所を検索したところ、和気記念館の敷地内であったのだ。それで和気史郎のことも知る。幽玄の画家、というフレーズは私の興味からは少し離れたものだったが、その絵を見ると生で感じたい欲に駆られた。
 受付の管理の女性はとても良く対応してくれて、現在の二号館のあたりに穀物問屋時代の昭和初期は使用人の住む集合住宅があったとのことだった。
 私は美術には疎いので、こういうことでもなければ、和気史郎のことを知ることもなかっただろう。

 もうこの歳になると、人の歴史というものを冷静に興味深く感じる。私は実祖父の葬儀にも出席したし、実祖母の逝去はまだ数年前のことなので記憶は薄れていない。それに比べ李早の父方の祖父母は彼女も会ったことがないので、昭和初期という同時代ながら少し遠い存在に感じてしまっていた。
 そして義祖父の出身地は秋田のダム建設で人造湖に沈んだ集落だった、ということも知る。来年暖かくなったら、訪れてみようと思う。

桜井芳樹(さくらい・よしき)
音楽家/ギタリスト、アレンジやプロデュース。ロンサム・ストリングス、ホープ&マッカラーズ主宰。他にいろいろ。
official website: http://skri.blog01.linkclub.jp/
twitter: https://twitter.com/sakuraiyoshiki

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