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【アーカイブス#67】インサイド・ルーウィン・ディヴィス *2015年3月

 この連載の読者なら、きっとすでに見られた方も多いと思うが、『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』という映画が昨年の5月に日本で公開された。『ファーゴ』、『バーバー』、『ノー・カントリー』といった作品で知られるジョエルとイーサンのコーエン兄弟が脚本を書いて監督した2013年のアメリカ映画で、舞台は1961年のニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジ。その頃若者たちを中心にアメリカではフォーク・ソングが大きな広がりを見せつつあり、そうしたシーンの中で何とか日の目を見ようとする一人のフォーク・シンガー、ルーウィン・デイヴィスのトラブル続きの何とも冴えない日々が映画では描かれている。
 ルーウィン・デイヴィスは実在の人物ではない。映画のもとになっているのは、1960年代のグリニッジ・ヴィレッジのフォーク・シーンの中心人物だった1936年生まれのデイヴ・ヴァン・ロンクの回想録『グリニッチ・ヴィレッジにフォークが響いていた頃〜デイヴ・ヴァン・ロンク回想録』(デイヴ・ヴァン・ロンク&イライジャ・ウォルド著、真崎義博訳、早川書房)で、当然ルーウィンのキャラクターはデイヴをもとにして作られている。デイヴの回想録の原題は『The Mayor of MacDougal Street』で、「マクドゥガル・ストリートの長」というのは彼のあだ名だった。マクドゥガル・ストリートはグリニッジ・ヴィレッジにある有名な通りの名前で、デイヴは長くそこに暮らしていた。2002年にこの世を去ってしばらくしてから、その近くの通りは彼を偲んでデイヴ・ヴァン・ロンク・ストリートという名前に変えられた。

 1960年代半ば、アメリカのフォーク・ソングに夢中になったぼくは、いろんなフォーク・シンガーたちのレコードを次々と聞いていくようになり、すぐにもデイヴ・ヴァン・ロンクの存在も知ったが、最初の頃はジャグ・バンド・ミュージシャンやブルース・シンガーの印象が強く、それほどその世界に入り込むことはなかった。しかしデイヴが1964年に発表した『Inside Dave Van Ronk』を何年か遅れで手に入れ、そのアルバムあたりから彼の歌をしっかり聞くようになった(映画のタイトルはもちろんこのアルバムから来ている)。
 デイヴは60年代後半にはハドソン・ダスターズというバンドと共にロックに接近したり、若い世代のシンガー・ソングライターたちにもいち早く関心を抱き、とりわけジョニ・ミッチェルの歌をせっせとカバーして歌うなど、ぼくにとっては気になるフォーク・シンガーの一人となった。デイヴが低く太い嗄れ声で歌うジョニの歌はとても魅力的だった。また1960年代の初めにニューヨークにやって来たボブ・ディランにデイヴはとてもあたたかく親切に接し、ディランから人間的にも音楽的にも慕われていたというエピソードもよく知られていた。
 実はデイヴ・ヴァン・ロンクは、確か1989年だったと思うが、両国フォークロア・センターの国崎清秀さんに呼ばれて日本にも歌いに来たことがあった。もちろんぼくはその貴重な機会を逃したりはしなかった。奥さんと一緒にやってきたデイヴと少し話をすることもできた。また1990年代になってからだろうか、ニューヨークでも暮らすようになった友部正人さんが、その街でデイヴととても親しくしていたというのも有名な話だ。

 1960年代初めのグリニッジ・ヴィレッジのフォーク・シーンが描かれている映画、そしてデイヴ・ヴァン・ロンクの回想録がもとになっている映画ということで、ぼくは公開と同時に『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』を見に行った。素晴らしかった。めちゃくちゃ面白かった。
 デイヴの回想録をもとにしながらも、デイヴとはまったく違うルーウィン・デイヴィスという架空のフォーク・シンガーのキャラクターが鮮やかに作り出され、しょぼくれてはいるのだが、映画の中でルーウィンは一人のリアルな人物として見事に輝きわたっていた。そして何よりも感心したのは、もちろんデイヴの回想録がもとになっているからだろうが、当時のグリニッジ・ヴィレッジのフォーク・シーンの様子が事実を確かめながら忠実に描かれていることだった。登場するさまざまな歌い手やミュージシャン、マネージャーやレコード会社の人間、それに楽器やちょっとした小道具まで、まさにその時のままだと信じて疑わせない再現度の高さで、だからこそ物語はドキュメンタリーのような迫真度で迫って来たのだ。
 日本での劇場公開はひととおり終わってしまったようだが、『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』はブルーレイやDVDになって販売されていて、レンタルで見ることもできる。もし見逃している方がいるとしたら絶対に見てほしい。音楽好きには、とりわけフォーク・ソングに興味のある人には必見の映画だ。

『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』は「音楽映画」なので、当然サントラ盤が発売されていて、映画の中で流れている音楽をすべて完璧なかたちで聞くことができる。サントラ盤はワーナー・ミュージックのノンサッチ・レーベルからリリースされていて、そこでは映画の出演者たち、ルーウィン・デイヴィス役のオスカー・アイザックを初めとして、キャリー・マリガン、ジャスティン・ティンバーレイク、スターク・サンズ、アダム・ドライヴァーが映画の中で歌っている歌のほか(役者が全部ほんとうに歌っているところもこの映画の素晴らしいところだ)、彼らの歌にゲストとしてパンチ・ブラザーズやマムフォード&サンズのマーカス・マムフォードがゲストとして加わっている曲、ザ・ダウンヒル・ストラッグラーズ・ウィズ・ジョン・コーエンやナンシー・ブレイクの曲、そしてデイヴ・ヴァン・ロンクが歌うこの映画の主題歌のような「Green, Green Rocky Road」が収められている。もちろんオスカーが歌うその曲もサントラ盤には入っている。
 そして映画の中ではボブ・ディランの「Farewell」が実にインパクトのある場面でちょっとだけ流れるのだが、嬉しいことにサントラ盤にはこれまで正式に発表されたことのないその歌のフル・ヴァージョンも収録されている。

『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』に関して、映画を見て、サントラ盤を聞いて、そしてデイヴ・ヴァン・ロンクの原作本を読んでというところで、とりあえず終わってしまっている人もいるかもしれない。しかしこの映画が全米で公開された2013年、その年の9月29日にニューヨークのタウン・ホールで、「ジョエル&イーサン・コーエン脚本監督の映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』の音楽をほめたたえるコンサート『Another Day ANOTHER TIME:』」が、映画の音楽プロデューサーでもあったT・ボーン・バーネットとジョエル&イーサン・コーエンの三人の演出によって行われている。そしてそのコンサートの模様を収めた二枚組のライブ・アルバムが今年の1月20日にノンサッチ・レコードから発売されたのだ。
 コンサートには映画に出演したオスカー・アイザック、キャリー・マリガン、アダム・ドライヴァー、そして映画の中の音楽に参加したパンチ・ブラザーズ、マーカス・マムフォードのほかにも錚々たるミュージシャンが参加して、それぞれ映画の中で歌われた曲や関連する曲、あるいは自分たちの代表曲などを歌い、演奏している。コンサートに参加したそのほかのミュージシャンをABC順に挙げていってみよう。
 アヴェット・ブラザーズ、ジョーン・バエズ、エルヴィス・コステロ、リアノン・ギデンズ(キャロライナ・チョコレート・ドロップス)、レイク・ストリート・ダイブ、コリン・メロイ(ザ・ディセンバリスツ)、ザ・ミルク・カートン・キッズ、ケヴ・モー、ボブ・ニューワース、コナー・オバースト(ブライト・アイズ)、デイヴ・ローリングス・マシーン、シークレット・シスターズ、ウィリー・ワトスン、ギリアン・ウェルチ、ジャック・ホワイト。
 このライブ・アルバムがほんとうに素晴らしくて、手に入れてからというものぼくは2枚のCDをとっかえひっかえ、収められている全34曲を繰り返し聞き続けている。誰もが熱く心のこもった最高の歌、最高の演奏を披露している。そしてCDに耳を傾けながら、ああ、こんなにもすごいコンサートを実際に見ることができたら、天にも昇る心地どころか、感激のあまり実際に天に昇ってしまうのではないかと思ったりしていた。しかしコンサートはすでに1年半前の2013年9月29日に終わってしまっている。

 するとこのコンサートのライブ・アルバム『Another Day ANOTHER TIME: Celebrating The Music Of “Inside Llewyn Davis”』を手に入れてからしばらくして、コンサートのDVDが2014年5月にイギリスだけで発売されていることを発見したのだ。イギリスやヨーロッパのDVDはリージョン・コードが違うから日本のDVDプレイヤーで見ることはできないのはわかっていたが、そんなものはリージョン・フリーのプレイヤーを手に入れて見ればいい、とにかくこのコンサートは、音を聞くだけではなく絶対に映像も見たいということで、早速イギリスのアマゾンにSTUDIOCANAL製作のDVD『Another Day ANOTHER TIME: Celebrating The Music Of “Inside Llewyn Davis”』を注文した。

  そして無事に届いたDVDをリージョン・フリーのプレイヤーも用意してすぐに見たのだが、これがもう、これがもう、これがもう、とにかく、とにかく、とにかく、とにかく素晴らしい。コンサートがすごいのは言うまでもないことだが、ドキュメンタリー映画としても見事な仕上がりだ。コンサート場面、バックステージ場面、リハーサル場面、ミュージシャンたちへのインタビュー場面を柔軟に繋げながら、このコンサートの意味、魅力、特色を浮かび上がらせるだけでなく、その奥に映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』を、延いては1950年代後半、60年代初めから現在へと続いているアメリカのフォーク・シーンをくっきりと浮かび上がらせている。
 映画の監督はクリス・ウィルチャで、プロデューサーとしてT・ボーン・バーネット、ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン、スコット・ルディン、ジェイソン・コルトンの5人が名前を連ねている。

 
 DVDを見ると、コンサートの「ハウス・バンド」としてのパンチ・ブラザーズの大活躍ぶりは特筆に値するし、登場するミュージシャンすべてが文句なしに素晴らしいのだが、CDで聞いて特に強く心を動かされたマーカス・マムフォードの「I Was Young When I Left Home」(ボブ・ディランのカバー)やザ・ミルク・カートン・キッズの「New York」、リアノン・ギデンズの「Waterboy」、オスカー・アイザックの「Hang Me、Oh Hang Me」 などは、映像で見るとほんとうに感動的で、涙が溢れ出て仕方なかった。もちろんもちろんDVDに収められているアヴェット・ブラザーズ、ジョーン・バエズ、レイク・ストリート・ダイブ、コリン・メロイ、デイヴ・ローリングス・マシーン、ウィリー・ワトソン、ギリアン・ウェルチ、ジャック・ホワイトのコンサート場面にも、目が、耳が、何よりも心が釘付けになってしまう。これがフォーク、これが歌、これが音楽、これが表現というものなのだ。

リハーサル場面では出演者のほとんどが大きなリハーサル・スタジオでお互いの演奏を聞き合っていて、ザ・ミルク・カートン・キッズの「Snake Eyes」を聞いたみんなが感動して思わず涙を流すところなど、見ているこちらももらい泣きしてしまう。
 DVDではCDに登場していたエルヴィス・コステロやコナー・オバーストなど、まったく出てこないミュージシャンもいるが、それはいろいろと何らかの事情があってのことなのだろう。その代わりというのも変だが、DVDではCDには入っていなかったパティ・スミスが登場している。彼女もこのコンサートに出演して、1960年代初めから活躍しているアメリカのフォーク・シンガー、アン・ブレドンの代表曲「Babe,I’m Gonna Leave You」を歌っている。 
 このDVD版の『Another Day ANOTHER TIME: Celebrating The Music Of “Inside Llewyn Davis”』は、日本でもぜひ発売してほしいし、劇場公開も期待したい。それだけ中身の濃い作品だ。音楽好きな人にとっては必見の作品と言えるだろう。

『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』に関しては、このDVDでもうおしまいかなと思っていたら、2013年の暮れにヨーロッパ(EU)のIMCミュージックというところから『Song Heard On Inside Llewyn Davis & Other Music Selections Inspired By The Film』という26曲入りのCDが発売されていることにも気づいた。タイトルどおり映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』の中で流れた歌、あるいはそれに関連する歌を、1950年代、60年代の当時のフォーク・シンガーたちがレコーディングしたものを集めて作られている。
 デイヴ・ヴァン・ロンク、ランブリン・ジャック・エリオット、ジョーン•バエズ、オデッタ、シスコ・ヒューストン、ポール・クレイトンなどの歌が聞けるが、恐らくは長い歳月が流れてすでにレコーディングの契約が切れてしまったりしているからこそ実現した企画で、それゆえとても安い値段で手に入れることができるので、原点に触れるという意味でも、このコンピレーション・アルバムは手に入れる価値は十分あるとぼくは思う。それにしてもジャケット写真に使われている人物は、どうしてエレキ・ギターを抱えているのだろうか?

中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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