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全ては自分が決めたこと、という発想

こんばんは。「のんびりウイーク」といいつつnoteを更新しているゴリィです。noteでは主に「メンタルヘルス」「防災」の記事を書いていますが、カラーセラピストの資格があったり、クイズサイトを運営したり、自分で作詞作曲して歌ったりしています。

今回は「自己責任」という言葉について。この言葉を否定する方々も大勢いるとは思いますが、実際のところは「すべてのことは自分で決めているんですよ」という話です。


「自己責任論」は社会制度の話

ネットで、「自己責任論」を叩く方々は大勢います。これは、個人の問題ではなくて「社会制度」(社会のしくみ)の話ですね。

今はコロナ禍で思うように動けない方が多いと思います。僕もそのひとり。できれば、「セーフティーネット」は充実しているに越したことはありませんし、もっと手厚い支援をしてもらえないものかな、と思うこともあります。

しかし、本当にそれだけの問題でしょうか?


動いている人は動いている

コロナ禍で苦境にさらされているのは、主に飲食業とエンタメ関係。そんな中、僕の知る歌い手さんはいち早く活動の場を「配信」に切り替え生き残りを図っています。

飲食業でも、近所の総菜屋さんが出前館とウーバーイーツでの宅配を始めましたし、たまに行くラーメン屋さんも出前館とウーバーイーツ、そしてテイクアウトも始めました。ラーメンのテイクアウトってなかなかですよね?

そして、とあるカラオケ店。カラオケもアウト、出している飲食関係もアウトの現在、「キッチンカー」を走らせ名物の「唐揚げ」を売ってテレビや新聞の取材を受けています。カラオケ店がキッチンカーですよ。すごくないですか?

動く人たちはしっかり動いているんです。もしかしたら自治体の支援制度や今回のコロナ禍の支援金や融資の条件緩和などのセーフティーネットを使っているかもしれませんが、こういった形で「今までとって来なかった戦略」に舵を切っている方々は大勢いるのもまた事実です。


やるもやらないも、決めているのは自分

今回は「動いている人達を見習え!」という話ではありません。あくまでこれはメンタルヘルスの記事ですから(笑)。動いている人達が偉くて、動いていない人たちがダメ、そういうことではありません。

結局、「何かをする」「何かをしない」どちらもそうですが、「決めているのは誰ですか?」ということです。それは、自分自身なのです。

「いやだってそうするしか選択肢がなかったから」と思う方もいるかもしれません。それは、これまでの自分の「決定」の積み重ねの結果、身動きが取れなくなった、という話です。

偉そうに言っていますが、僕もそういう経験をしています。お金の問題で。カードを使うのをやめましたが、リボ払いの支払いで何も使っていないのに出費がかさみ経済状況はよくありません。それでも、リボ払いの支払いを積み上げてしまったのは自分自身ですから、「失敗した、もうカードは使わずにコツコツ支払っていこう」と思っています。


誰かのせいにしない、全ては自分が決めたこと

生きていく上で、さまざまな問題に直面すると思います。自分の思いとは関係のないところでいろいろなことが巻き起こります。

例えば、喧嘩を売られたとき。喧嘩を売る相手はどうすることもできないですよね。「喧嘩を売られたときに自分がどう対応したか」は自分が決めているはずです。倍返ししたり、ぐっとこらえたり、誰かに相談したり、対応の仕方はさまざまですが、対応を決めているのは自分。

「対応を決めたのが自分」であれば、「ああ、もっとああしときゃよかったな」とか自分の問題として考えることができ、ストレスは案外早く解消されます。いっぽう、「あの野郎、ホント腹立ったわ」といつまでも相手のことを色々考えていれば、ストレスはたまる一方

「すべては自分が決めたこと」と思った方が実はストレスはたまりづらいのです。


「苦情」を言うのにも「コツ」がある

先日、訪問看護師に「嫌がらせ」を受けました(さすがに意図的ではなかったとは思っていますが)。僕のところに来る訪問看護師は交代制で誰が来るのか分からないのですが、僕のところで問題を起こすのはいつもその訪問看護師(笑)。

今まではそのときのこと「だけ」を伝え、「今後気をつけます」で終わっていました。なので、その訪問看護師は逆に訪問回数が増えるくらいの勢いで、また問題を起こす。

というわけで、今回は「苦情のやり方」を変えました。

これまでの問題行動を羅列し、「毎回苦情を言いたくなる行動・言動をするのはこの人だけなんです」と付けました。流石に、担当からは外してくれたようです。

「謝罪は必要ですか?」というのも断りました。言いたいことを言うだけで、なんか後味が悪くなるので。言いたいことを我慢したのも僕が決めたことです。

目的(担当から外させる)を達するためやり方を工夫したのも僕の決めたこと。そして目的が達せられたので一時的に多少精神的にストレスになっても今後のことを考えて謝罪はなくていい、というのも僕が決めたことです。

自分が決めてやったことなので目的が達せられたのは嬉しいですし、一方で「謝罪の場で言いたかったことが言えないストレス」も受け入れることができたわけです。


まとめ

「自己責任」とは、「すべての判断や行動は(無意識でも)自分が決めたこと」というふうに考えてみてください。別に、「どう判断や行動をしたか」はその人の判断なのでそれはそれで優劣をつけるものではないと思っています。「引いてよかった」ということだって往々にしてあるものです。

問題はそのあとです。「自分の行動・判断を受け入れる」ということです。できれば、望んだものとは違う判断だったとしても「これでよかったんだ」という形で。

失敗もします。だって人間だもの(みつを)。

でも、その失敗も「自分が起こしたもの」として「自分の問題」と考えることができれば、「次はこうしてみよう」という「知見」が入ってきます。

その「知見」を活かすことの積み重ねが、きっと誰かのせいにして悶々とストレスを抱え続けることから解放されるだけでなく、この先の人生が幸せな方向に向かっていくと思います。

・・・実はこの記事、自分にも言い聞かせながら書いています(笑)。

それでは、今回も最後までご覧くださいましてありがとうございました。久しぶりに曲紹介。

「present」岩船ひろき


轟RADIO「こころいろ」

https://gory.jp/koko


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