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「障害」を「個性」と呼ぶこと

こんばんは。身体障害者で精神障害者のゴリィです。身も心もボロボロですね(笑)。そんな私がやっているサイトです。

さて、今回はよくある「障害」を「個性」と呼ぶことについてです。


僕的にはかなり抵抗があります

僕自身、このように自分が身体障害者(心臓3級、肢体7級)、精神障害者ということは隠さず書いています。ただ、それは僕が障害を「個性」のひとつだ、と考えているわけではありません。

例えば、心臓の場合、湯船に浸かっても心臓に負担がかかって息苦しくなり、「ミオコールスプレー」(動脈の血流を改善し心臓の働きを助けるもの)のお世話になりますし、なんだったらシャワーでもなることがあります。

身体障害者手帳には、「日常生活で著しい制約を受ける者」との記述があります。精神障害者健康福祉手帳には具体的な記述はありませんが、「精神障害であって、日常生活が著しい制限を受けるか、又は日常生活に著しい制限を加えることを必要とする程度のもの」というのが精神障害2級の定義だそうです。

これを「個性」という言葉で済まされてしまうのには、やはり違和感はあります(別に拒絶まではしませんが)。「欠点」のほうがまだしっくりきます。


「障害」は「ハードル」

でも、最近は「障害者手帳」に分類すべきかどうか議論が必要なんじゃないか、というさまざまな病気があるのもまた事実です。

「●●障害」という病名はやたら増えてきている気がしますし。聞くとホントに障害者手帳の対象にしたらいいのに、というのもあります(具体的なものを書くと当事者の気分を害する恐れがあるので割愛します)。

僕の見解ですが、「障害」という言葉は「日常生活を送る上で超えるのに苦労する『ハードル』」という意味と捉えているので、それを「個性」というなんとなくポジティブなワードに置き換わっても本質は変わらないと思うんですよね。


「障害」=「悪」と思うと言い換えたくなる

僕が少し特殊なのは、「障害」があることが「悪いこと」とたいして思っていないことです。勘違いはあってはいけませんので、「障害があってよかった」などとは絶対に言うつもりはありません

そりゃ10本指が揃っていればよかったし、心臓が元気ならどこにでも行けるし、双極性障害がなければ死にたくなるほど落ち込んだり破産寸前まで散財することもなかったし。

それでも、「障害者であること」は「事実」であり、あってよかった、あって悪かったという話自体「事実」ではなく「評価」に話がすり替わっちゃうんですよね。

だから、「悪い」という評価を打ち消す意味で「個性」というポジティブワードに言い換えようとなってしまうのです。べつに他の人が「個性」と言い換えることは自由ですが、僕は自ら「個性」というのも「個性」という言葉を押し付けられるのも嫌ですね。


障害者だから描けるストーリーがある

もし、僕が障害者でなければ、ここで「note」を書いていることは多分なかったと思います。

そして、巡り合ったパートナーは変わり者で、僕の奇形して役に立たない3本の指をやたらかわいがります(笑)。コレがなかったら付き合っていなかった、とも。

そして、さまざまな仲間との出会い。

パートナーにしても、仲間にしても、僕が双極性障害(当時3級)が悪化し、命を絶とうとして仙台に戻ってきたからこそのこと。

これからの未来を障害者であることを考えて何か描け、と言われてもちょっと難しいですが、ここ数年劇的に変化している僕のストーリーは、「障害者」という「事実」が描いたものでした。繰り返しますが障害者で良かった、悪かった、という「評価」はつけません。


言い換えるなら「欠点」

例えば僕は「掃除する」といわれるとパニックを起こします(つまり自力での掃除は無理)。いっぽう、「掃除がニガテ」という人も多いと思います。そう比較すると、「掃除がニガテ」と「(自力で)掃除は無理」に言うほど差がないようにも思います。

となると、「障害」を言い換えるのは「欠点」のほうが自然な気がします。

人は誰でも「欠点」があります。「欠点」のうち国の制度に該当すると「障害者」になるだけ。

人は「欠点」とともに生きていく。僕も「障害」という「欠点」とともに生きていく(自殺さえしなきゃね)。「個性」としては受け入れられませんが、「欠点」としてだったらともに生きていこうと思います。


まとめ

障害者」を「障碍者」と書くのが正しい、いや「障がい者」と書くのが正しいとか一時期論争がありましたね。どう表記しようが状況は何も変わらないわけで、無意味な議論だったな、と思います。

今回の「個性」だの「欠点」だのというのももしかしたら無意味なのかもしれません。

それでも、これをご覧のあなたが、もし「障害者」であるのならば、僕たちがより前に進める方法を見つけるのに「表現のしかた」というのがあるよ、という話でした。

障害者である僕たちだからこそ描けるストーリーがあると思います。

もし、社会への警戒心が邪魔をしているのなら茶色の力を借りてみて。あなたが穏やかな気持ちになれば、また見えてくる世界が変わると思います。

警戒心を解くのに茶色は効果的

轟RADIO「こころいろ」


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