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【問答の力】身体で起きることを頭でなんとかしようとすると複雑になる

昨日、一昨日と面白いことがあったので書いてみる。

精神科医の方のミーティングに参加して色々感じることがあり、その翌日にボディワーカーの方と話してストンと腑に落ちた話。

精神科医の方の自然な姿


一昨日、精神科医の方を交えたオンラインミーティングにまた参加したのだけど、

1回目は様子見で「聴く」のみだったのが、2回目は思い切って先生とディスカッションできるチケットを申し込んでみた。

そこで話されたことは外に持ち出されることはないとか、それぞれ悩みを抱えた人が来ているという安心感もありつつ、たくさんの知らない人がいる前で話すというのは緊張もあったのだけど

それ以上に、あの面白そうな先生と人と人として出会える瞬間がものすごく楽しみで、申し込んだ。

全部は覚えていないけれど、「まずは私に会いに来なさいよ」とか、「私がいない自助グループに行ってもあんなもん意味ないよ(そこに自助グループを主催している人も参加していたけど。笑)」とか、

「死にたいだのなんだの言ってる人の話聴いてるとね、私なんてまだましか〜なんて思えるから来たらいいよ」「私に会って話してるとね、おでんの汁みたいにどんどん染み込んでくからねぇ」なんて、とにかく楽しそうに話してくる。笑

結局、私の中に残ったのは、自分と話している時も、他の人と話している時も、ずっと先生が自然体だったということ。

あぁ、自然体っていいなぁって、思った日だった。


自然な先生を見て、不自然さにハッとする


翌朝も、ミーティングの時の先生の様子が思い出されて、起きた時にホッとしたような、楽しいような気分で起きた。

つまらない話には「つまらない」とか、普通に「あんたここ来ない方がいいんじゃないの?」とか言う。

でもそれは患者と思ってないから、人と人だから言うんだってことも言っていた。


そんなことを思い出していたら、ふと、夫婦関係の自分の振る舞いがとっても不自然な気がしてしまって、そこにどわ〜〜っと気持ちが吸い込まれていった。

旦那さんにちょっとした力仕事とか頼みたくても、3、4日は飲み込んでしまって、ものすごく気を使ってようやく頼むとか、色んな部分でやっぱり「いい関係」過ぎる感じ。

その他色々、不自然なところがあるなぁと、あらためて感じた。自然な人に触れるって、それだけで本当にインパクトがある。


自然・不自然じゃなくて、体感


そんなことを感じていた昨日の夕方に、いつものボディーワーカーの方の施術を受けて、いつもながら終了後はあれやこれやをざっくばらんに話しをした。

その時々の色々を、とにかく取り繕わずに話せる時間は、施術と同じかそれ以上に今の助けになっている。

昨日は「自然・不自然」の話になったのだけど、それはまた「自然がいい」っていうのは固定になるし、自然になろうっていうのは「その先生みたいになろう」になっちゃうよね〜って。

それよりも、その先生を見て「自然だな〜」って思った時に、自分の体感てどうだったの?って聞かれた。

体感か〜と思って思い出してみると、「ホッとした」「あぁ、こんな感じでいいんだって思えてリラックスした」という感じ。

それを伝えると、結局「リラックスした」っていうことだよね。しかもリラックスはもうその時点で自分の中にあった。だから結局は、自然とか不自然は表面的なことで、リラックスしたらいいんだよねって。

そこに、その体感を横に置いて、本当は「リラックス」が良かったんだけど、自然さに結びつけて、「自然でいないと楽になれない」ってなって、自然になろうとするけれど

実際は、その時に「リラックス」はもう起きているから、今でもリラックスはできる。すでにある。みたいな話。


いやぁ、体感て面白い。
リラックスしているか、緊張しているか。そしてリラックスが心地いいと思っている。心の動きとしては、「〜しないと」があると緊張が生まれて、「色々含めてこれでいいんだ」と思える時はリラックスしている感じがする。

体感と思うと、所作がどうこうではなくて、やっぱり「これでいいんだ」と思える状態を心地よく感じているんだなと。結局紐解くといつもの場所に還ってくるのが面白かった。


体感のことを頭でやろうとすると複雑になっちゃうよ


そんな話の流れから、旦那さんに頼み事をする時の緊張についての話になった。

「ちょっと頼もうとしてみて」と。
頭に浮かべるだけで、キュッと身体が縮こまった。

「そうそう、そのキュッと反応するやつあるじゃん。それはただ、その瞬間にキュってなってる反応が身体にあるだけなんだよね。自分の場合は、それは体感のことだから体感でリリースしたりする」と。

「体感のことなのに、こんな体感がするっていうことは・・・それは過去の〜が・・・とか、これを克服しないと〜とか頭でなんとかやろうとしはじめると複雑なって今から離れていくけど、体感は体感だから」って。

「そうやってみてるから、体感のことなのに頭で色々やっている人を見ると『楽しんでるな〜』って思う。笑」みたいな。

これまた面白かった。

なかなか、しんどい体感、不快な体感というのは、あまりに不快で解決したくなる引力も強いのだけど、体感のことは体感でっていうのは面白い。


問答の面白さ


今は、抑圧もせず、過度な放出もしないというところを大切にするプロセスをしばらくやっているけれど、なかなか難しいなという時も多い。

同一次元ではないところから観る(俯瞰)ことだったり、感情を否定せず体験することだったり、自然な自己表現として表に現れたり、などなど、その都度体験しながら、そうかそうかと、慣れないことを染み込ませていっているので

そういう、揺れながらトライしている流れの中で、こうして忌憚なく、何度も同じこと(向こうにとっては)を違うシーンで質問できる問答のような時間は、すごく助けになる。

その時その時のぶつかった疑問を、安心して出せて、笑ってもらえて、ジャッジメントされている感じも無く、その人なりの体験から聴けるというのは、とっても染み込みやすい。

毎度「最初から言ってるけどね。笑」「同じことをずっと言ってるんだけどね。笑」と返ってきて爆笑して終わるのだけど、

あぁ、それもこれか、あれもこれか、と結局「そうなのね」っていうのを繰り返しているうちに、浸透してくるというか、そんな感覚。

ありがたいもんです。

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