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【雑談】わかりやすいことば


 月が綺麗ですね、という言葉は、相手を選ぶ。

 突然、月が綺麗ですね、と、真面目に言われた。私は、はいそうですね、としか答えられない。だって、私たちの間には何もないから。私は何もないと思っていたから。愛情も、恋心も、友情すらないのに、その言葉に深い意味をこめる方が間違っていると思う。私はそういう、人によって解釈が難しい薄っぺらいのか情熱的なのか下心なのか分からない温度で言葉を放ったままにして回収しようとしない人よりも、月についてのうんちくを私を置いてけぼりにするくらい勝手に語ってくる人の横顔を見るのが好きで、そうでなければ、「月が綺麗ですね、とか言ってみてえ!」って笑いに落ち着かせてくれる人の笑顔を見るのが好きなのだ。

 自分のことは好きだ。日常生活では自分を意識的に褒めるようにしている。でも、普段の自己評価はあまり高くない。だから、人からの評価を同じ重さで受け止められないことがある。全肯定されると、「この後に高い壷とか買わされるのかな」って疑ってしまう。でも、あまりに遠回しに褒められても、「これは逆に嫌味なのだろうか」と考え込んでしまう。面倒な人間だ。自分でもよく自覚している。

 「月が綺麗ですね」なんて難しいことを言われても分からない。でも、「あなたともう少し喋りたいです」と言われればちゃんと理解できる。難しい言葉を好む人にとっては、私の文はあまりにも平坦で馬鹿馬鹿しく見えると思う。私も、自分の話し方や文体が幼稚だとは常日頃から感じている。でも、もう、そういうのに賢さを求めるのはやめにした。賢い話し方をする人の話はどこででも聞くことが出来るし、そういう話を聞きたいのならばそういう人を追えば良い。深くて思いを馳せることができるような洗練された美しい文章を書く人はnoteにもたくさんいる。そういう人たちにずっと憧れて、憧れて、憧れたけれど、私には難しかった。読むのも、書くのもね。もう少し私が大人になったら、本当に理解できる日がくるのかもしれないけれど、今はまだ私はどストレートに「月が綺麗ですね!!!でも月とか関係なく、とにかくあなたが好きです!!!月ではなく私を見てください!!!」としか言えないよ。現実でも、今までそうやってきたから。「そういう難しいこと言われても分からんから、私のこと、すきなの、きらいなの、どっちかはっきりして」と詰め寄ってしまうタイプです。だから、どうか、わかりやすい愛でお願いね。難しい愛が好きなのならば、それを教えて、そして、もう少し待っててね。好きな人の好きなものに寄っていこうとしてしまう性格なので、難しい愛が好きだと言うならばそれも勉強してみます。よろしくね。


 自分にないものを持っている人に惹かれる。同性でも、異性でも。私は数学が大嫌いだった。初めて勉強が分からなくて泣いたのが数学だったと思う。とにかく数学に弱くて、第一志望の大学を諦めた。高校時代、毎日の課題だった数学のプリントの問題の意味すら分からなくて、名前だけを書いて提出したら赤文字で「どういうことですか」と書かれて戻ってきた。私が聞きたい。どういうことですか、って、どういうことですか。問題の意味が分かりません。国語は得意だったから、問題の意味が分からないなんてことがありえないはずなのに。理系の友達に惹かれた。科学や物理が得意なクラスメイトに焦がれた。わからずやの私に何度も同じ箇所を教えてくれる友人に恋をした。その友人の優しさと、数学にかける熱意と、私のように数学を軽んじていないところ(当時の私は難しい数学の問題にぶつかるたびに「こんなん将来絶対につかわん」と悪態をついていた)、それらすべてに恋をした。私にないものを、私が努力しても持つことができないであろう元々の心構えとか、思考回路とか、そういう尊いものを、当たり前のようにその人が操っていることがすごいと思った。

 今、当時の数学は、文章や、声や、話し方や、生き方、そういう広い世界になっている。私は毎日恋している。自分が持つことのないものを持ち、自分が見ることのない世界を見ている人が見ているもの、考えていることを知りたい。その人がそういう世界を見ているのかと少しだけ理解できた時、それがそのまま恋になっている。


 なんのことだよ、って感じだよね。私もなんのことだよって思ってる。今日おすすめされて観た動画に感動して勢いで書いている雑談noteです。はてぶろに書けばよかったなって今後悔してる。

 その感動動画がこちらです。数学のことを思うと脳内に宇宙の景色が浮かぶくらい賢くない私がちゃんと説明についていけて、しかも意味が分かった解説。そして最後に、学生時代に「こんなん将来絶対つかわん」って言っていた自分に聞かせたい言葉が出てくる。もっと早くこの言葉に出会いたかったな。でも、今更とは思わない。人生の中でこういう人たちの気持ちが少しでも理解できる機会があって(理解に近づくことができて)よかったなと思う。わからずや相手に分かりやすい説明ができる人が本当にその道のプロなのかもしれないなって思う。



 どんなに理解ができないと思い込んでいても、上手に説明してもらえれば理解できることがある。でも、分かりやすく伝えるのは難しい。文章だってそうだ。だから、誰にでも分かりやすい言葉で書かれているのに読むとちゃんと情景が目の前に広がって、心に深く突き刺さる、ちゃこさんの文章みたいな、そういう文章ってもっともっともっと大事にされてほしいと思う。普段文章を読まない人でもこれなら読める、もっと読もうって思える、色んな人に入口を大きく開けて待っていてくれる人たちのこと、私たちはもっともっともっと大事にしていきたいよね。


ゆっくりしていってね