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良く聞く幸せの概念と、私の概念

どんな時に思う?


物事が順調に進んでいる時は余り考えないのかもしれませんが、おそらくそうじゃない時に考えることなのではと思います。

あと、不自由も不満もないけどこのままでいいのかって時も。

要するに、不満、不安、マンネリ、心配、などが少しでもあると人は幸せについて考えるような気がします。

その日その日を大切に過ごす事が幸せ

好きな人と一緒いる事

子宝に恵まれること

お金を儲けること

病気や怪我が治ること

仕事がうまくいく事

挙げればキリが無いですが、どれもそれぞれ幸せと思う事に繋がってはいます。

ただそれは目標であったり達成であり、その先は続きます。


私の概念

「幸せって1つじゃないっ」て、なにかのTVCMでもあったかもしれないけど、まさにそう。

同じ収入、家庭環境、趣味や癖、まわりを取り巻く人間関係、全て同じ状況の2つの家族があったとしよう。

ただ、幸せと思う考え方が違うだけで雲泥の差が出るんだと思います。

むしろ生活レベルが低くても幸せレベルが生活レベルを上回ればその方が幸せって事ですよね。

何を言いたいのかっていうと、常に目標を持って生きること。

そんな「今月はこうしよう!」「半年間でここまで変わろう!」じゃなくて、

「今日は晴れてるし、バスに乗らないで歩いて駅まで行こう」とか、「今夜はTVもスマホも観ないで早めに寝よう」とか、他人には全く関係無いし「それをした事で何?」って言われても、自分で決めた事を実行して満足すればいい。

歩いて気分がいい、ちょっと運動した気がする

早めに寝たから朝の調子がいい

他人には全く関係無いし気がつかれないけど、自分は満足してる。

1日をダラダラ過ごす事で幸せを感じる事だってある。ただ毎日続けると心配になり幸せについて考え始める。

そしたらまずは、朝晩の時間をちゃんとしてみる。

メリハリが出る。

ずっと家に居ないで散歩してみる。別に5分でもいい。やった事が大事だと思う。それも1つの達成。

ダラダラ生活で幸せを感じていないのなら、身近な事を人がわからないレベルで変えることでも凄く変わってくると思う。

逆にダラダラ生活を続ける事に幸せを感じるのであればそれでもいいと思う。

それは他人からすると心配される。

社会から除け者感が出る。

本人はそれでも幸せと感じていればそれでもいい。

いくら周りが注意や指摘をしても、何故そう言われるのかも本人にはわからない。

そしていつか体調を崩したり、虚しさを感じたり、時間がかかるかもしれないけどいつかはわかる。もしもわからないで、気がついたら病院のベッドで寝ていた、とか、気がついたら誰かが自分の介護をしているとか、気がついたら誰も居ない部屋に一人で息を引き取ろうとしていたとか、

結局は自分で幸せだと思って最後を遂げれば、それは幸せだったんじゃないかな。

別に見捨てるわけでもなく、困っていれば助けたいです。

ただ人によっては「余計なお世話」と、とらえる方もいると思います。その方にとっては今が幸せだからです。

その方の「幸せ」を崩す必要はないと思います。今後の事を説明しても聞く耳を持っていません。

必要になって求めて来てくれたら応じればいいと思います。


ですので、

小さな事でも幸せを沢山生んで常日頃から感じていればどんな環境でも幸せだと思うし、周りから見たら「不幸だ、可哀想」とか思わないで、その人なりの幸せだと思い、いざという時は優しく手を差しのべる。それも差しのべた人にとっては「困っている人を助けた」という幸せを感じている。助けてもらえた人も幸せを感じれる。


これがあれば、こうなれば、この方法なら「絶対幸せになれる」事なんかない。

と思います。


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