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短編小説「くるま」

はあい俺のくるま盗んだやーつ。呼びかけに応じて指示に従い、くるまを私に返しなさい。そうだ。俺がひと月前に免許を取得し姉と兼用で運転を許された中古の軽自動車だ。動詞盗むが意味するところ重要な点であるこっそりと、誰にもバレないように行う気概は君から一切感じられなかった。持ち主であるわたしの意識が判然とした目の前で大胆かつ飄々と君は窃盗をした。抵抗する間なんてなかった。思い返すとなんだか、笑けてくるよ。持ち主は俺ではなく姉には申し訳ないが、この際くるまが戻ってこなくても君を許す。ひとつ、君が犯行に至るまでの心模様を私にみせたまへ。

「へい」

おや君はだれだね。差し詰め犯人であろう。

「わたしがあんたの車を盗んだ犯人どす」
「そうですか」
「へえ」
「いくつか質問をしていいかな?」
「へえ」
「昨夜、きみは何をしに来ていたんだ?ショッピングモールに立ち寄った本来の目的を教えてくれ」
「わからねえでげす」
「なぜ、旧式の軽自動車をわざわざ選んだ?わたしには、盗むリスクと得る対価が釣り合っていないように思えるのですが」
「わからねえでげす」
「初心者マークの貼られた車を標的にした?」
「わからねえでげす」
「盗む方法は、あの場面で即興的に思いついたのか?」
「わからねえでげす」
「きみはいったい、なんなんだ」

人間とは不思議なもので、大いなる目的を胸のうちに抱え、使命を果たす方法として日常を送るとうまくいくことが多々ある。記憶が不確かなので題目を当てる術はないが、星新一の短編にも斯様なはなしがあったはずだ。大手企業Aに勤めるいちサラリーマンが、ライバル企業Bに1社員として潜入し機密情報を入手せよと命じられる。いわゆるスパイ。サラリーは企業Bにて懸命に働いた。功労が認められこの若さで課長に昇進。サラリーは懸命に働いた。「わたしがスパイであることを他の社員らは知りようもない。君ら一般社員とは、使命が根本から異なるのだよ。しめしめ」サラリーは外見から自らを打倒すべく懸命に働き、部長を経て、幹部職に登り詰めた。

まんまと情報を入手したサラリー。ここで狂いが生じる。情報を持ち帰ったあかつきに企業Aから得る報奨を、今ある地位の賞与がはるかに超えてしまった。サラリーはもと居た企業Aを裏切り、次期社長候補の幹部をそのままの自分として認め働くことにした。

「なんだか怖くなってきたね」

永い夜道を歩いている。古びた電灯がジーッと鳴いている。死にかけの蝉みたいに。いや、死にかけの蝉は泣かない。泣くのはいつだって生きている奴だ。アスファルトの上で仰向けになっている、いかにも息絶えそうな様子の蝉を観察したことがある。おれは腰を据え両膝を抱え、じっと見つめた。彼は、それはとても静かに、足掻いていた。もちろん鳴きはしない。左右対の足が交差するように、一定のリズムで空を掻いていた。だんだん動きが鈍くなる。目を離してしばらく経ったのち再訪すると、6本足は胸の側に折りたたまれ、死んでいた。

車間距離がやけに狭いくるまたちが、俺を追い抜いていく。教化されたてほやほやのため、ルールに則した運転をしない輩に目が行ってしまう。2秒以上あけようやー、義務ではないけどー。ここまで、ひとり芝居を打って問答を繰り返してきた。いかにしてあの犯行を思いついたのか、実践する気になったのか検討の仕様もなかった。犯人の容貌はおおむね把握できている。ゆったりと、窃盗にあった翌日であるにも関わらず心持ち豊かに時間が流れていった。なぜだか焦りは生じない。手口が軽妙洒脱で、感心せられたからだろう。

免許を取得する以前から、市民プールに通う週課があった。だいたい16時ごろに家を出て片道2.30分をチャリンコで走る。道中に、歩道がなく幅50センチほどの路側帯を走らなければならない経路がある。追い抜いてくる自動車に激突されないかと不安でビクビクする。また路側帯の整備がなかなかなっていない。生命力の高い雑草に行く手を阻まれる。この前なんかはおれの背丈ほどある草野郎が手の甲をかっさいてきやがった。信号待ちで停車した際にはじめて出血に気がついた。砂利石がそこかしこにあり肩肘張ってハンドルを握らなければ車道側に横転するキケンがある。そうなればおれは撥ねられてイチコロなわけで神経が過敏になるのは訳ない。はっきり言ってストレスだ。

どうしてプールに通い始めたか思い返してみると、堂々と理由を述べるに足る動機は見当たらない。ただ漠然と「運動不足」という四文字が脳裏に棲みついて、何かしなければという焦りから始まったのだと思う。では数ある運動種目のなかからプールを選んだ経緯について考えると、これについてははっきりとある。第一に、ひとりでできることが肝心だ。人間の相手を必要とする運動、例えばテニススクールに通うなどは自然と候補から外れた。おれは交流を求めていない。思い立ったタイミングで好きな具合に運動をしたいだけだ。人は何をしでかすか分からないからストレスだ。胸中に溜め込む運動不足という自負、いわばある種のストレスを解消するために始めたことで新たなストレスをくわえられちゃあ本末転倒だ。

ひとりでできる運動が水泳に限定されるまでには、さらなる条件がなくてはならない。字面から合理的に思考するとランニングだって選び得たのだから。ランニングは嫌だ。街中をひとりで走ってると辛くなる。特に疲れた顔をさげたスーツの横を走り去る時に辛さを感じる。街が走るためだけに在るのなら辛さは無かろうが、働いたり食べたり俗をしたりといろんな意味がある中で走ることを選び続ける意思を持つのは苦難だ。抗う意思はなるべく求められない方が良い。まわりのみんなに合わせて運動をしたい。

決め手となるのは、他者からの影響である。自分だけの趣味なんてのは全部ウソであり種のあるマジックだ。お笑い芸人のエンタメが見たくてAmazonプライムビデオを漁っていると、「ロバート秋山の市民プール万歳」なるものに辿り着いた。小賢しく動機だとか条件とか述べてきたが簡単に言って、始めた理由のすべてはここに詰まっている。とにかく泳ぎたくなった。そうして市民プールに通うことにし。あれ。

おい。おいおい、え俺の車や。まてぇー!はしるはしるはしる!ほら!左下に初心者マーク、ナンプレ一致!!おれのやーーー!!

放り投げたプールバックを取りに、走った道を戻る。2時間泳いだあとの全力ダッシュはなかなか応える。すぐに息が切れた。前進してくる車の助手席に乗る女と目が合い少し恥ずかし。こんな偶然あるのか?確かに俺の、盗まれたくるまが走っていた。後方から運転手の顔は確認できなかった。乗員は他におらずひとりで運転していた。たぶん犯人で間違いない。おれは、スウェットの右ポケットから車の開閉キーを取り出した。そうして、走り去っていった方角に鍵を向けて、ロックボタンを押してやった。

この鍵のつくりはシンプルで、車を施錠するボタンと開錠するボタンが付いており、ボタンを押して遠隔操作ができるようになっている。それ以外の機能は全くない。運転免許取り立てなので、くるまと関わるちょっとした出来事にウキウキしてしまう。おれが開くボタンを押すと、車のヘッドライトがピカっと光り反応してくれる。ちょっと魔法使いっぽくて嬉しいので、駐車したくるまを開錠する際は、100メートルくらい離れた所からボタンを押す習慣と成っていた。とりわけ混雑していない広々とした駐車場にポツンと佇むマイカーにかけてやると、愛おしくて仕方ない。これが悪癖だった。

犯人はもしかしたら、この悪癖を知った上で犯行に臨んだのかもしれないとふと思った。ではどこで知り得たのか思考をのばしたいがさておき、昨夜おれは近所のショッピングモールに車で出かけた。本屋大賞受賞作「成瀬は天下を取りにいく」を買うため書店に向かった。購入し終えて用事も済んだので、足早に帰ろうと駐車場へ向かう。あーあひとりで運転しなきゃ良かった。

例の通り、遠く離れたところから遠隔で開錠する。どこから現れたのかなぜだか思い出せないが、犯人はさも持ち主であるかのように、躊躇なく運転席に乗り込んだ。おれのくるまに、乗り込みやがった。呆気に取られて、その場で立ち尽くした。今さっき俺は鍵のボタンを押して、あそこにある車は反応して光った。あそこの車が俺のものであることは明白。明白で疑いようも無いのだが、あいつは今何をしている?何が起こっている?くるまは、大回りに出口へ向かってそのまま俺から離れていった。かくして俺の車は盗まれた。

初めて、自分の車が走り去る背を見た。楽しそうに走ってたなぁ。車に乗っているのはあいつで、鍵のみを持っているのが俺であるこの現状。おれが、本当の持ち主ではないような気がしてくる。

「すいません、すいません」

車通りの少ない小道を歩いていると、白のアルファードが前からやってきて自分の側に停車した。ひとり乗りの兄ちゃんが威勢よく話しかけてきた。

「ここってまだ東京ですか?」
「東京、足立区だと思います」
「小声) すません、あざす」
去った。







ここってまだ東京ですか?


質問の意図がよくわからない。教えてくれ。兄ちゃんはどこからきたのか。兄ちゃんはこれからどこへ行くのか。彼は俺に話しかける以前からしばらくの間東京都に滞在しており、ただいま他県に移動中なのだと推察することはできる。しかし、なぜひとを尋ねた?カーナビを見れば現在地が東京にあるか否かは瞬時に判別できる。とすると、カーナビが使える状況に無かったと考えるのが妥当。もしくは他県に移動中なのでは無く、やみくもに東京都内を彷徨っていたいだけという説もありうる。諸事情からカーナビは使わない、が人に現在地を尋ねるほど東京都内に留まることを固執する。あれか、都外から一歩でも外に出たら天空から脳天目掛けてレーザーが降ってきて死ぬデスゲームに参加してるんか。にしては緊迫感がない。否、猛者なのかもしれない。なんだよ、もうw。訳のわからないことが多すぎて笑けてくる。

家に着くと、くるまは、ずっとここにいましたよと言いたげに駐車場に停まっていた。

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