見出し画像

ストック病 ②

公園は、自宅から自転車で30分ほど走ったところにある。曇天が似つかわしい大きな池のある公園だ。池のお腹をするりと撫でる風がふくと、得体の知れない確実な匂いが鼻をかすめる。公園内に足を入れ1分ほど走らすと駐輪場らしき場所についた。標識はどこにも見当たらないが10台くらいの自転車たちがまばらに並んでいるので、らしきと思った。わたしはそのひと隅に自転車を停め、「マップ」の機能にあるピンをドロップして園内を歩き始めた。若者(いま生命ある人間全員)によくあることだが、道覚えが悪い。置き場所を忘れられた自転車を探し求め2時間ほどさまよったことがある。悲惨だった。落ち度は全て自分にある。しかし真夏の炎天下、空腹、睡眠不足がミサンガのように織りなされどうしようもなくイライラが募っていく。捌け口の無い怒りが溜まり込んで喉がひくひくした。それ以来、初めて赴く観光地や駅周辺などに車や自転車を停めるときは、停めた場所にピンをドロップすることにしている。

だいたい歩いてスケッチしやすそうな風景に巡り会ったので、かたわらのベンチに腰掛け絵を描く準備をし始めた。リュックサックを開け道具を取り出していく。絵筆を洗ったり、絵の具を溶いたりするための水を入れるバケツ。家で絵を描くときはツボヨネのL型ヒッセンバケツを机に置いて使用している。ただ、こと野外スケッチとなると、いささか使用上の不便がある。リュックサックに入れ持ち運ぶとなると嵩が張り他の道具らと狭い空間でうまくやっていけない。また、近くに水を汲むための蛇口があれば良いが無い場合がほとんどだろうと考えた。絵を描いたあとの、色で満たされた水の処分にも困る。これらの理由から、水で満たした500mlのペットボトルを代用することにした。問題は全て解決される。

バケツの次は絵筆を取り出す。ジップロックに収めた2本の筆。筆にも毛や用法によっていろいろ種類があるそうだが、素人なので大と小の2本あればこと足りると安直に考えた。そして乾いた雑巾。道具の全てを取り出し、リュックサックの中は空っぽになった。ようし絵を描こうじゃないかと意気込みジップロックから筆を一本取り出す。筆を手に持ったその時、大切な忘れものをしていることに気がついた。水彩紙を持ってきていないではないか。紙がなくては、どんなに優れた手腕を持つ画家でも落書きひとつ起こせやしない。紙が無くては、空に絵を描く字の如く絵空事となってしまう。

そう、もちろん実際には紙を持っていた。

紙の話に移ろう。

紙がなくなるのが怖い。正確に言うならば、もっぱら紙の不足で、否でも応でも絵が描けなくなる未来を恐れている。家計の制限から紙が買えないと言っているのでは無い。描きたい絵のアイデアがあるのに、紙がないせいで形にすることができない起こりうる未遂の未来を恐れている。この恐れや不安を解消するためには、簡単なはなし紙をたくさんストックしておけば良い。わたしは、水張りする手間が省けるブロックタイプの水彩紙を愛用している。ひとブロック20枚綴りで、値段はたしか1000円近くした。5ブロックほどまとめてAmazonで購入したとしても、消費期限の無い商品なので大した出費にはならない。多少のお金を払って不安を解消し、その結果絵がたくさん描けるようになるならば安い買い物である。


ここから少しややこしくなるのだが、最近になって私は逆に、「ストック」することに対して幾許かの不安を抱えるようになってきている。あるときはわたしに安心を与え、またある時は自己嫌悪を起こし不安を生じさせる。「ストック」は、安心と不安の仮面を取っ替え引っ替えにつけたり外したりして私の前に現れる。絵の分野に限った話ではないので、話題をYoutubeに変えて語りたいと思う。

わたしはYoutube shortという動画の形式が好きでは無いので、ふだんは2,30分を超える比較的長い動画を視聴する。「ストック病」と名付けた癖のひとつを、やっとここで言おうと思う。スマホで動画を視聴することが多いのだが、スマホを縦に持って一本の動画を目で追いながら「次に何を見ようか」とおすすめ欄をスクロールしていることが多々ある。この癖はまずい、と個人的な問題意識を持っている。次にみるべき動画がたくさんストックしてあると、安心する。一方で私の理想は、映画館で映画を鑑賞するときの集中力を持って、一本のYoutube動画を視聴したいのである。「ストック」を巡る理想と現実のせめぎ合い。いまのわたしは理想に加担して戦っているため、名称に「病」をつけて打破すべきものと位置付けたのである。

ただそれだけである。わたしはニートである。

執筆の分野でも「ストック病」なる癖を見出すことができる。短編小説や小話のネタは、iPhoneに内蔵されている「メモ」アプリにこれでもかと蓄えられている。ストックがあると、安心する。翻って、書きたいことのストックが無くなり野に放たれる自分を想像すると、不安で仕方ない。けれどもわたしの理想は、毎週いや毎日一定量の文字を打つことである。文字を打つと言うことは、ストックされたネタをちびちびと消費することに違いない。理想と現実のせめぎ合い。いまのわたしは、理想に加担し戦っているのだ。この勇姿を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?