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短編小説「お呪い」①

目を閉じて。

考えるのをやめにして、視界をまっくらにしよう。胸のうちに溜まっている、いろんなものを吐き出すよ。鼻から大きく吸って、空気を取り込む。想像しよう。深々しんしんと青く、どこまでも続く海原を見下ろして。まっ白な羽毛のカモメとなり、悠々と羽ばたこう。口臭なんか気にせず、ふーっ!と力強く息を吐くよ。上下の歯の隙間から、つーっと音が出るくらいに。肩の力が抜けてきたね。

もういちど、深呼吸。

鼻から吸って、大きく吐く。胸のつかえが下りて、頭がぽかっとしてくるよ。空気を感じよう。夏の陽気に照らされて、肌がげんきになっていく。カラッと乾いた風が向かいから吹いてきて、Tシャツの裾を煽った。気分が昂揚し、大声をあげて歌い踊りたくなる。さあ、では目を開けてみようか。





ここどこぉ?w

目を開けると、おれは見知らぬ場所にポツンとひとり突っ立っていた。着古した白Tと黒スキニーに、いつも履いているスニーカーを合わせた普段となんら変わりはない格好をしている。おれっちゃおれだ。コンクリート壁で囲まれた狭い一本道。さきの先までまっすぐ長く続いてる。どこに終わりがあるのかわからない。両腕を水平にのばすと、中指のさきっちょがちょうど壁に届いた。左に寄り、手のひらで壁を触るとひんやりと冷たく感じた。足もとの地面は、さらさらとした土と砂利でなっている。強い風が吹いたら砂埃が舞いそうだ。見上げると、それはそれはとても高く、壁が聳えている。直線で切り取られた空は青く澄んでいて、白い太陽を直視するとめまいが起こった。時間は正午あたりなのだろう。背後から、生温かい風が延々と吹いてきていることに気がついた。なんだか気味が悪い。ここは一体、どこなんだ。


比喩としてよく用いられる「盲点」と言う言葉があります。

🙇

読者諸賢に試していただきたい。液晶と顔が平行になるように配置、左目を閉じて右目のみで青い丸をみる。液晶と顔の距離を遠ざけたり近づけたりする。適当な距離で静止すると、なんと赤い星のマークが見えなくなるのです。これが人間の目に備わる「盲点」というものらしいのです。

わたくしの身に起こっている不可思議を身近に感じていただきたい、できれば救って欲しいと切実に希望し「盲点」の話を致しました。ある条件が揃うと「赤い星」は見えなくなってしまう。一方条件を外れて平常時には、赤い星のマークが疑いようもなく存在する。この盲点の現象は、今現在わたくしの身に降りかかっている不可思議と似通っているのではないかという予想。わたくしたちの普段の暮らしは、「盲点」が認識され得ない仮の姿、いうなれば片目を閉じた生活であった。しかしとある契機に心の片目が開き、「盲点」の世界が立ち所に現れたということ。


そしてこの例えをもって、もうひとつ伝えたいことがあります。是非ともわたくしの存在を「盲点」と軽視しあしらわず、全力を尽くしてはやく俺を助けてくれ!!


いずれにせよ歩くしかないので、おれは、生ぬるい風を背に浴びながら歩き始めた。1時間くらいは歩いただろうか。靴底と土のこすれる音が、コンクリート壁で囲まれた狭い空間に居残る。これほど重く、こころを苦しめる足音を踏んだのは初めてだ。おれは椎名林檎「丸の内サディスティク」のイントロ、都心の駅舎、つるつるとした地面をハイヒールでこつこつ歩く音を頭の中で響かせた。幾らか気分が軽くなればと思いはじめた想像なのだろうが、かえって両壁のコンクリートが憎く思えてきた。

「報酬わぁ入社後ぉおぅ平行線でぇえい」

曲のリズムに合わせて、なぜだか分からないがとりわけ左壁の方が憎いので、左壁を打楽器に見立ててどんどこ叩いてやった。壁はぺちぺちと音を立てた。気のせいだろうか。コンクリート壁が動き、道幅が狭くなったように思える。うわぁ、絶対狭くなってるじゃんこれぇ。あ、やばい息が苦しい。はっはぁいやだ押しつぶされるぅう!!

気のせいだった。冷静を装い道の中央に立ち、両腕を水平に伸ばし測ってみたところ、相変わらず中指の先が両壁に触れた。壁は動いてなどなかった。うぇい。そこから1.2、1.2と歩を進めるもだんだんと膝に力が入らなくなり、ゆるやかに倒れ込んでしまった。歩く勇気が出ない。怖すぎるよぉ。😭

このまま歩いたって、助かる保証なじょ無いんだから。

仮にだよ?道の先に、現世に戻れる魔法のトビラがあるとしよう。この希望を抱いて、現実問題おれは、あとどれほど頑張れる?気力はジリ貧だが、体力的にはまだ余裕がある。ゴールがあると確信できれば、歩き続けられるはずだ。しかし、かくして歩き続けるとさらなる問題が生じる。体力だ。歩き続けるためには当然、休息とエネルギー補給が必要。コンクリート壁で囲まれたここには、雑草のひと草すら生えていない。肥えた土があり、陽の光はさんさんと差し込んでいるにも関わらず植物が育たないこの空間が何を意味しているか。そう、水が確保できない。

食料の持ち合わせはなく、飲み水すら手に入らない。それを踏まえて歩き続ける選択をとることが何を意味するか。死。おれがすぐに死を連想したのにも訳がある。簡単なことだ。つづくつづくは道道、道ぃッ!ゴールはいったいどこにある!?

おれは袋小路にはまっていたんだ。

歩いた先にゴールがあると確信できれば歩き出せる。なんとか希望を見出そうと必死になって頭を働かせるものの、おれを取り巻く絶望がちらちらするだけ。気力はさらに衰える。余計に期待した分殊更だ。いまさら考えたくもないことだが、はなっから歩く方向を間違えていたとしたら最悪だ。と思ったその刹那、首筋に悪寒が走る。おもわず腰を上げて立ち上がり、びゅんとうしろを振り返った。

ライオン。さっきから背を吹き撫でる生温かい風が、飢えたライオンの鼻息であるかのように錯覚した。ほんとうに、立て髪のいかついライオンがのしのしと歩いてきたら?ここは一本道。逃げる場所なんてない。喰い殺される。逃げ場?逃げ場なんてない。ない?ない。なんで、なんで!

零れ落ちそうな涙をこらえ、空を見上げた。太陽は西に傾き、すでに直線の空から姿を消していた。夜になったら、どうなる。いまのぽかぽかとした気温から、季節は春と推測する。なぜ日本と断定してる。ここが、日夜の寒暖差が激しい気候帯に位置していたら、おれは凍え死んでしまうのではないか?などと考えているうちに、うしろからライオンが来たらどうする?種々ある不安の中で、早急に対処すべきは、

「ライオン」

歩こう。ライオンは、風上からくる。だから、おれは、最初に選んだ道を、信じる。希望なんて、クソ喰らえ。

液晶モニターが置かれたデスクに、ぺったりと両腕を寝そべらせ重心を保つ。画面の光をたよりに、ネカフェ的一室を薄暗く照らしている。やや興奮しているのか、肩が上がり首がやけに座っている。にやついた口から、腐ったすきっ歯が顔をのぞかせている。椅子を用意すれば良いものの、立て膝でモニターに見入る姿がとても不気味だ。この女の名は、加藤。ディーラー加藤は、おとこの動向を観察していた。

「うんうん、頑張ってる?扉にたどり着きそうじゃん。そぉしたら、がんばろー」

鼻につく声だ。ドラえもんを燻したらこんな声になるだろうと思った。モニターには、壁に囲まれた一本道を泰然と歩く主人公の後ろ姿が、俯瞰で映されていた。彼が歩く速さに合わせてドローンカメラが追尾し、撮影しているようだ。

「もうすこしだねー。うんうん


wwwwwwwwww」

加藤は肩を揺らし、顔がしわくちゃになるほど大きく笑った。にも関わらず首が座っているためか、頭部は微動だにしなかった。まっすぐ画面を見つめて、顔の表情だけで心模様を表現している。

「がんばろーう、がんばろぉ」

新入バイトの学生を見下すような語気が、加藤の口周りには常に漂っている。

「だからといってぇ、きみを通すわけにはいかないんだからねぇ」

モニターの映像には、主人公が立ち止まる後ろ姿が映し出されていた。彼の前方に新たな壁が現れている。行き止まりに達したようだ。

「パスコードはわかるぅ?

wwwwwwwww」

映像からは確認できないが、どうやら行き止まった壁にはパスコードキー付きの扉があるらしい。

「てきとうに押してもあたらなぁぃよお。死んじゃうよ?」

画面の右上に❌1/3と表示されている。さっきまでは0/3だったことから、パスコードの入力ミス回数をカウントするものだと分かった。「死んじゃう」とは一体どういうことだ、3回間違えると何が起こる?

主人公は、頭を抱えていた。いかにしてパスコードを推定できるか考えている様子だ。パスコードを入力する手は止まっている。入力ミスが危険をもたらす可能性を否めないから、慎重に吟味するのも訳ない。

「詰んでるだろこれぇ!!!」

そう言うかの如く、主人公は頭皮を掻きむしり咆哮した。

「えへへぇん」

とろんとした目でモニターを見つめている。生まれたての赤ん坊を愛でるかのように。加藤よ、おまえはだれだ。主人公を救ってやってくれ、!

「なにをしてるのぉ」

何をしてるんだ、彼は。

画面に映る主人公は、ズボンに右手を突っ込み、自分の股間をまさぐっている。まさぐり終えた後、黒スキニーから手を抜き出した。そうして抜き出した手のひらを見つめている。その後主人公は確信に満ちた所作で、おもむろにパスコードの1桁目を入力した。

彼はもういちど股間をまさぐり、手のひらを見つめ、2桁目を入力した。

「え?」

加藤の表情が一変し、部屋の空気が張り詰めた。

同じ動作を繰り返し、3桁、4桁目と順に入力していく。

enterボタンを押すと、扉は開錠した。

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