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エロ垢の葛藤

エロを話題にとった記事を公開するのは、なかなかな踏ん切りある所業に思う。理由は2つか3つある。2つか3つかを分ける理由のひとつを開陳するか否かは、ふたつの理由を述べ終えた気分によって決めようと思う。

母と2人きりで、実家近くの焼肉屋に焼肉を食いに行った。そこで「これこそが最も下劣で軽蔑すべき人間だな」と衝動的に結論づけてしまうほどの、最悪な野郎どもと遭遇した。わたしは家族と共にする時間の多くを、無口で過ごす。きっかけは無い。わたしの口まわりの筋肉が、自然と動くのをめんどうくさがる。彼らに、とりわけ家族だけにしゃべりたい内容を擁する出来事が起こらない。静かに食事をするのが好きだ。例に漏れなく、その日の焼肉屋にて私はじぶんから口を開こうとはしなかった。

まわりの客らの滞在時間と比べると、私家の食事は簡潔にことを終えているのだなと気づく。わたしたちが店に入る以前から、食席につきワイガヤやっていた集団より先に、ひっそりと席をたち帰路につくということがままある印象を抱いている。こんな挿話をしたからには、あの下衆どもは先に店にいたのだろう。記憶はどうやらそうでは無いと言っているが、都合をつけるためには致し方ない。

「思い出しました」

あいつは増殖したんだった。わたしたちの隣席に彼はいた。個人で経営されている小さな平屋の焼肉屋なので、席と席の距離が近い。チェーン店だとこの近さは提供できない。この際、性別や職責、年齢に趣味などのありとあらゆる社会的レッテルを剥ぎ取ってやる。最初の個体はジョッキを片手におとなしく飲んでいる。区別せずにいられるほど物静かだ。わたしたちは構うことなく食事を始める。

注文を終えるとメガネをかけた優しそうな青年アルバイターが、七輪を持って炭火の準備をしてくれる。肉が届くのを待つ。最初に塩タンを焼いて食うのが習わしとなっている。青年は皿に乗せた2人前の塩タンと、大ライスをひとつ届ける。トングを人数分用意してくれていたので、わたしたちは気ままに肉片をつまみ、網に乗せて焼くことにする。

牛タンはあまり焼かなくて食うのがいいんだと私は思っているのだが、心配性のある母は生焼けとみて「まだじゃない」と助言する。うっすらと赤みの残された面を炭火に向けてレンズは塞がれる。画面はまっくらになる。

それからハラミを焼く。赤身肉につけるタレの海に、満遍なく焼かれた肉を浸し、2度付けされたハラミの一片を網の上に乗せてもう一度焼く。家族以外の前でやることは控えている。店の壁や、大きさの意図がわからないカレンダーにこれでもかと染み込んだ肉の香ばしいけむりが、机上の七輪から新たに立ち込み、艶やかに私の鼻を刺激する。

個体が増える。外からやってきたらしい。隣席を占める。それからひとつまたひとつと個体は姿を表す。彼らは進軍するひとつの大きなかたまりと化す。大きなかたまりは、外まで届く声を腹の中で響かせる。わたしの記憶は明け透けに、得体の知れない言語の解読を試みる。遠慮するそぶりは見せず、優しさのまかり通るままに意味を受け取ろうとする。どうやらこんな事を言っている。

「インスタで出会った子?」
「めっちゃフェラされた」
「乳首めっちゃ感じてた」

淫らな体験談が、距離の近い隣席で延々と垂れ流される。不服だ。母親との久しぶりの外食であった。焼肉なんて頻繁に行けるものでは無い。わたしは静かに肉を味わいたいんだ。慣れ親しんだ店にこの個体が出入りしている事実に、怒りに近しい感情が湧き立った。最悪だ。とにかく一回黙って欲しい。

わたしは飲みかけのグラスを倒す。倒されたグラスは、偶然ではなく怒りの発露であった。換算されなくなった液体はじんわりと移動を試みる。卓上に散らばった溶けかけの氷を、手づかみでグラスに戻す。隣席は、性別も年齢も職責も趣味も、全て失われた個体でありかたまりなのだと断定し、卓に残された氷のひとつぶを口に放り込み飲んだ。

もう一つの理由は、わたしが書きたいと思い題目を振った「エロ垢の葛藤」と直結する。性癖をひとに認められるのは恥ずかしいからだ。自ら話したいと思いひとに話すこともそうであるし、故意なくバレてしまうことはさらなる恥である。

Twitterを惰性でみる習慣は無いのだが、情報の収集を目的としたツール的使用はわたしの生活の選択肢にある。古典的絵画やイラストレーターのイラストを鑑賞する用法と、ハメ撮りを閲覧する用法の2つが主な用途である。わたしは美術系のアカウント、好みの絵師やアート展覧会の最新情報を更新するメディアなどを意識して専門的にフォローしている。アカウントを同じくして、分解に際してこっそりとハメ撮りを閲覧する。

この同期にこそ、葛藤は宿る。とても好みなハメ撮りを探せたとしても、いいねを押すことはできない。制度上不可能なことはない。これは感情の問題である。知り合いがいいね欄を見る訳でもない、ひとが見たとしてもそいつは顔見知りになり得ないのに何を葛藤することがあるかと純粋な目で不審に思われることもあると思う。わたしは、誰かにバレる可能性を逐一排除したいのである。どんな道すじを経て発覚するかその理路をわたしが十全に把握できないとしても、可能性としてあると感じた場合は速やかに対処するのである。

エロいコンテンツを配信するアカウントを「エロ垢」と名付ける。エロ垢を検索した履歴はもちろん分解を終え次第すぐに削除する。友達にスマホをのぞき見された時、検索バーの履歴に「烈」があったら至上の恥となる。あ、こいつはいつもあんな態度とってるのに「烈」を見て分解してるんだ、ふーん。となるのを避けなくてはならない。

美術系アカウントをフォローした自身のアカウントで、「エロ垢」が投稿したツイートにいいねを押すことはできない。なぜならそのアカウント名は「くにしげ」だから。くにしげと名の付くアカウントは、探せば世界にいくらでも存在する。わたしのアカウントを探し当てるのは簡単なことではないが、全ての「くにしげ」を見て回ればいつか辿り着く。可能性としてある以上、いいねは押せない。

しかしこの前、どうしてもいいねを押したいツイートを目にしてしまった。葛藤は生じる。二律背反、アウフヘーベン。

その時のわたしは、ブックマークなる機能を知らなかった。

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