日記:モノにあたる人っているよね
前置き(とくに本筋とは関係ない話)
マジで関係ない。
ただの徒然日記。酒と煙草の話。
お酒を飲んで「あ〜、五臓六腑に染み渡るぅ〜」とか言うじゃないですか。
……言わない?
言う人もいるんだよ。
……そんなの見たことない?
明日もう一度ここに来てください。本当に言う人がいることをお見せしますよ。
で、ふと思ったのですが、五臓六腑に染み渡っているってことはアルコールが肝臓を貫通してませんかね? とかね、そんなことを思った次第でございます。……アウトでは?
まぁ、お酒はほどほどにということで。
ぶっちゃけ、百害あって一利なしだからねお酒。
一利ぐらいはあるだろうみたいな意見もあるだろうけれど、その一利は酒以外で取れるのでね。酒の利点がないんだわ。(一利ってなに? かろうじて栄養とかやね)
酒は酔える? バッドステータスみてぇなもんだからなアレ。尻叩かれて気持ち良くなってるのと似たようなもんだよ。ほんまかぁ?
酩酊状態だって、あれは普通に体調が悪化している状態だからね。思考能力が低下している状態はある種の救いだけれど、気の迷いとかのソレなのでまぁアレなんすわ。
とはいえまぁ、別にそんな一利すらなくとも嗜好品なんだからいいんだよ。他人に迷惑さえかけなきゃ煙草も酒もいいわけでね。
ドラッグは存在すること自体が違法で迷惑なのでなにもよくねぇ。お薬はねー、アッパー系とかだと今までに積み重ねられた「幸福」とか「快楽」とかの価値観が壊されて、薬をキメないとそこに至れない身体(脳)に作り変えられちゃうからねぇ。日常に刺激が感じられなくなってただ生きることが苦痛になるから薬に依存するようにもなる。ほんとアカン。お薬ダメぜったい。意思とか関係なく、脳の仕組みが壊れるのでどうしようもねぇんだわなアレ。
しかも、そういう依存は不安定さも相俟って極端な行動に走りやすくなる。だから、社会が容認しないわけでして。中毒や依存性は身体への被害も大概だけれど、それ以上に周囲(社会)への悪影響が強いからダメなんよなー。
酒も煙草も明らかにそこら辺の薬と大差ないんだけれど、なんかもう人類の生活基盤に食い込み過ぎて規制するに出来なくなってる感じはあるよなー。
特に煙草なんかは中毒性以外だと表面上の健康被害がかなり軽度ってのもある。酒はラインを超えると実生活に露骨なデバフが入るんだけれど、煙草はそこらへんがあんまりない。肺癌は知らん。酒は確実に臓器が死ぬんだけれど、煙草による癌はリスクの上昇ってだけで当たらずに済む人もいるからな。人類は自分自身を特別視する傾向にあるから、確実じゃないのなら「ワイは大丈夫やろ〜」となる。
煙草はどっちかっつーと環境に対する被害がデカいんよな。煙と灰と吸い殻、あとまぁ火を扱う関係でそこら辺の不始末もある。歩き煙草に禁煙区での喫煙、車上からの灰落とし、吸い殻のポイ捨て、そこらへんが印象を悪くしているよなー。歩き煙草は人とすれ違った際に触れて火傷させたらどうすんだろうとか思うし、側溝を灰皿だと思い込んでいる人類とか見るとマジかよコイツ……となるしな。
煙草は装飾品としての見た目は好みだし、酒もほどほどに飲みはするので、これ以上「ドラッグとなにが違うの?」みたいな規制のされ方をされないといいね(結局は他人事)
あと、どうやら「五臓六腑に染み渡る純米酒」と言う名前の酒があるらしい。染み渡っちゃダメな気もするが、まぁ比喩だしな……。
ちゃぶ台をひっくり返すな。
本題「モノにあたる人」
※↑こいつは最終的にゴミになりました。
何かに憤ったときにその感情を表に出す人、いるじゃないですか。発露するのはいいんだけれど、それがあまりにも強烈だったりすると「!?」となるのですよ。
喜哀楽とかはまぁ、多少は大仰でもいいと思うけれど、怒りの感情を頻繁に強く表すような生命体は怖いというか、ちゃんと生きてる? ってなる。
その中でも特に反応に困るのが「キレた時にモノにあたるタイプ」の人なんだけれど、アレが理解出来んくてなぁ。カードゲームで言えば、引きが悪かったときにカード投げたり、床に叩きつけたり、グシャったりとか、あとは台パンとか、机蹴ったりとかな。
機嫌が悪くなってそれが態度に出ちゃうのはまだわかるのだけれど、態度とかじゃなくて手が出てるレベルだから、こう、理解が及ばない。
個人的には、モノにあたるのが一番理解が出来ない。まだサンドバッグとかパンチングマシーンならわかるけれど、台パンとか机を蹴ったりしているのが本当に理解出来ない。アレって「自分はカッとなったときに周囲のモノにあたり散らかす人間です」って自己紹介してるようなものなのだけれど、延いては「怒りの発散方法が暴力です」という自己主張になる。こっちは脅されてる気分になるよ。
まだ地団駄を踏むとかなら理性を感じられる(俺たちの地球はだいたいのことを受け入れてくれる)のだけれど、そこで器物破損に繋がる可能性がある行為に及ぶという短慮さが怖い。そのことを考慮できないということは、周りが見えない、人への迷惑を考えないということで、要は「人に暴力を振るう」までのプロセスが常人よりも短いように思えてしまう。
まー、モノをぞんざいに扱うことはあっても暴力の対象として認識する脳の構造が理解出来ないってだけでもある。
何らかの閾値を超えて、 つい手が出るというのは褒められたものではないにせよ、人間が感情の生物でありそのコントロールが成体でも不十分なことを踏まえれば仕方がないと言える。
とはいえ、その閾値が極端に低く、閾値を超えたときの行動に対して制御の努力を放棄しているのはチンパンジーと同等社会性の放棄と同等と言っても差し支えないだろう。
巷ではアンガーコントロールだとかアンガーマネジメントとか言われてるそれ。
雷句誠先生もこれで骨折していたよなー、とか思った。
雷句誠先生のやつはまさしく堪忍袋の緒が切れた結果なのだけれど、ゲームをやっていてキレて台パンは基地の外にいる行為だと思うんです。見ていて恐怖でしかない。
負けて暴言を吐くとか、クリアできなくて喚いて暴れるとか、そういう姿勢に対して「それだけ本気ってことだから」みたいな擁護があるけれど、それとこれとは話が別なわけですよ。
悔しい等の感情を発散する方法がゴミカスなのはその人自身がそれを選択しているというわけでしてね。
沸点を超えた感情に対する処理方法が確立出来ていないってのは、それだけで愚昧よのぉ。
心の沸騰石をきちんと用意しようねー。とまぁ、そういうお話ですね。
いい感じの処理方法は知らん。
やめたら? そのゲームやその人間関係。
余談
ゲームに対して求めるモノは人それぞれだろうけれど、ストレス溜めてまでゲームやるの? みたいなのは思ったり思わなかったりする。
とはいえ、ある程度のストレス(負荷)であれば、私はそれを必要なモノだとは思う。抑圧からの解放による爽快感だって快感ではあるわけだし。
どっちかというと、プレイヤーにストレスを溜めさせた挙句にそれを上手く昇華させられないゲームとかは微妙だよねぇ。とか思う。
クリアが大変なゲームであっても、クリアしたときの解放感が異常なまでに良ければそれだけで肯定出来る。少なくとも、私は。
最近やってるソシャゲで言えば、ブルーアーカイブの総力戦insaneやアークナイツの危機契約18等級等の、とりあえず1回クリアすればいい難度の高いコンテンツは丁度いいと思っていたりする。
それらをクリアした時に私は「二度とやらんわこんなクソゲー!!!」と捨て台詞をよく吐くのだけれど、その表情はわりと晴れやかなので、満足はしているのだろうと窺える。じゃなきゃそれ以降の総力戦や危機契約は放置してただろうし。
そういった禍根の残らないストレスの掛け方が出来ているゲームをやるのがいいと思う。
運要素や対人要素、協力要素があるものはそれこそそのストレスがゲーム内で発散出来ない場合もままあるので、なんか、人類に向いてないのでは? とか思ったり思わなかったり。
モノや他人に当たるぐらいならリストカットでもしてろよとか、そんなことすら思う。
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