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ChatGPTは論考アシスタントとして使った方がたぶん優秀、という話

最近のネット界隈の話題はひたすらChatGPTで一昔前のclubhouseのような盛り上がりを見せています。

clubhouseは瞬殺されてしまいましたが、ChatGPTやAIはもはやそれが存在しなかった時代にはもう戻れないんじゃないかと思っています。それぐらいに普及しました。

そんなChatGPTについてですが、この先は使われ方が大きく2つに分かれていくと思っています。

そんなに先は長くない「自動文書作成ツール」としての使用

一つは今大多数の人がやっているであろう「自動文書作成ツール」としての使い方です。

これに関しては今後もサービスの主たる用途になると思いますが、将来においても利用者がメリットを感じる続けられるかどうかはかなり怪しいです。

なぜならみんな使い始めてしまうからです。

今はまだChatGPTを使っている人が世界の人口レベルで見ればまだまだ少ないので、いち早く使い始めている人はそのメリットを享受している段階ですが、この先誰もが使うサービスになってしまえば先行者のメリットはどんどん薄くなっていきます。

これはかつてのメールがそうでしたし、かつてのスマホがそうでした。サービスが普及すればするほど先行者がドヤ顔ができるのは最初のほんの僅かな期間しかありません。

可能性があるのは「論考アシストツール」としての使い方

ChatGPTはそれに触れた時に誰もが思いつくゴーストライティングツールとして使うよりは、もっとメタ的な使い方の方に可能性が埋まっていると思っていたのでそうした使い方を模索していました。その際にヒントになったのが↓のけんすうさんのツイートです。

このツイート、結構長い解説なので詳しくは実際に飛んでみてほしいのですが、以前このコラムで「これからの世の中、仮説を立てられる能力ってめっちゃ大事になるよね」という話を書きました。

その考えはは今も変わっていないのですが、仮説の一番の弱点は「根拠が薄い。場合によっては根拠なんかない」ことです。

「たぶんこうなると思うんだよね」の言葉には説得力に乏しく、自分自身の"根拠のない自信"が原動力になっていることがほとんどです。

そんな薄っぺらい自分の仮説に関する事柄をChatGPTに投げてみると仮説に厚みを増す論拠やアイデアを返してくれることがあります。

例えばですがこんな質問を投げてみました。

ChatGPTに投げてみた質問

これは、エンターテイメントの本質は言語化されない表現を行うことにあるのでは?という僕の仮説をもう少し確かなものにするために投げかけてみた質問です。

そうするとChatGPTはいくつかの答えを返してくれるのですが、その答えの中には自分の考えに沿ったモノ、否定するモノ、観点を変えたモノなどいろいろな返答がありました。

返された答えが自分の説に合ったものであれば自信が持てますし、否定寄りの場合は「つかえねー」と切り捨てるのではなく、自分の仮説のアラの洗い出しと捉えると有用に使える気がします。

ChatGPTが返す答えというのは、精度に不安定さはあるものの必ず誰かがそれについて書いた文書がソースになっています。つまりGhatGPTが返したテキストというのは一度は誰かが考えたテーマであることを指しています。

それは自分の立てた仮説に対して客観的な考察があるということなので、自分の説を補強することにも役立てられます。

しかもこの使い方が良いのは、質問相手が人間ではないので自分の説が的外れでも恥をかくことがない、という点です。なので大胆な仮説を問うことも可能です。

実際、僕がChatGPTに投げてみた先の返答の中にはで、それまでアイデアとして浮かんでこなかった有効なヒントを与えてくれました。

僕は基本的にAIは変わった使い方をハックしていくのが面白いと思っているので、ChatGPTにいきなり答えを求める(成果物を期待する)のではなく、論考アシスタントとしての利便性を模索していく方がサービス自体の寿命や進化に貢献できる気がします。

ITやコンピューターの技術革新は、それが今まであったものの代替品として使われてるうちはまだまだで、もともと期待していた予測を飛び越えた新しい価値や可能性を見出されてからが本番。

そう考えるとChatGPTの本当の価値はまだまだ発見されていない”夜明け前のサービス”だと思っています。

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