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文化祭実行委員①

学生生活の青春を青春たらしめるイベントといえば、文化祭。
皆さんも学生時代のフォルダに、一つや二つくらい文化祭のファイルが保存されているのではないだろうか。

保存されてない人がいらっしゃったらごめんなさい。
友達とか少なかったんですね。

文化祭といえば、放課後にクラスメイトと模擬店や出し物の準備をしたり、クラス全員で許可もクソもないサッカーのレプリカユニフォームの様なクラスTシャツを作成し皆んなで着て一体感を高めたり、恋する相手とのお近づきの機会を伺ったり、学園ドラマでも「文化祭の描写入れとけば青春感が増すし皆こういうの好きなんでしょ?」といった脚本家の怠惰に使用されている事だってある。
何なら「文化祭?別に通常授業がなくてラッキーくらいにしか思わないかなぁ、あとクラスTシャツとか言っときながら文化祭が閉幕した瞬間にただの部屋着にあっという間に変身する布が手に入ってラッキーかなぁ、ってかそもそも文化の祭りにしてはお化け屋敷とか模擬店で焼きそば売ったりとかどこの何のどういったどのような文化なの?wwnaname」
といった思春期で何事にも斜めから物事を見てないと気が済まない高校生ですら、斜めの見方がいろめき立っていたりする。

このように文化祭とは、何かと感情が動き大人になってからは絶対に経験の出来ないイベントであろう。
それくらい文化祭は学生時代の思い出のフォルダに刻まれ、色あせることはあっても保存され続けられる大切な時間である。
そのフォルダaka思い出が保存されていない人は、友達少なかったんですね。ウケる。

そして例のごとく私が通っていた高校も秋になると文化祭が二日間に渡って催され、文化祭の後には外部の来訪は受け入れず在校生と教職員のみで楽しむ後夜祭もあった。
そんな我が母校の文化祭は、驚く程に異常なまでに有無を言わせずに、

盛り上がっていなかった__

ってか、普通に盛り下がっていた。

生徒の盛り上がり度合いを表したら、
期末テスト返却時の方が感情の起伏がよく見えた。

その理由は二つあると私は思っていて、
一つは我が母校の文化祭時におけるルールがとても厳格であった事、
もう一つは、体育会系の部活によっては、文化祭より試合や練習を優先させていたりしたので、文化部による文化部の為の文化部の文化祭になりかける場合もあった事だ。

ちなみに、一つ目のルールが厳格だったという事の例を挙げると、あるクラスがお化け屋敷を模擬店として出店するとなった際に、「教室の電気を絶対に消灯してはいけない」というルールに反するとして、常時電気を全て点けた状態で現役高校生がただただ驚かしてくるという世界一明るいお化け屋敷が完成した事もあった。
盛り下がっているとはいえ、文化祭は毎年絶対に開催されるし、そんな文化祭でも生徒が担当する文化祭実行委員はしっかりと存在していた。

我が母校の文化祭実行委員は特別な企画を企てる訳もなく、全校生徒をリーダーシップを用いて束ねて最高の文化祭の準備を促す事なく、ただ文化祭実行委員会の委員であり続けるだけだ。特別な事をしなくても生きてるだけで文化祭実行委員。生きてるだけで文化祭実行委員という存在証明をしてもらえていた。
もし、我が母校の文化祭実行委員が民主党政権時の事業仕分けにかけられた場合、蓮舫さんが眉間に皺を寄せメンチを切りながら食い気味に

「撤廃で。2位じゃダメとかじゃなく撤廃で。」
と仕分けられるであろう委員会であった。これに反を翻す世論(生徒)もいないだろうし、何なら文化祭実行委員達自身が「よく言ってくれた!」とスタンディングオーベーションしかねない具合だった。

そんな文化祭実行委員だが、委員会があれば自ずと存在するのは委員長である。
文化祭が地元でも有名なレベルやテレビで取り上げられるレベルの文化祭の実行委員長であれば少しでも箔は付くと思うが、我が校の文化祭は勿論そのレベルにないので、生徒すらも文化祭実行委員長が誰かすらも把握されていないレベルである。そんな学校の文化祭実行委員になる人間とは一体どういった人間であるのだろうと高校生時代の私は考えた。

私が考え行き着いた答えは三つであった。

一つ目は、学校中に転がっている内申点をなりふり構わず掻っ攫おうとしている人間。
二つ目は、クラスでの委員会決め、そしてその委員会での委員長決めの際に自分のやりたくないという意思表示が上手く出来なかった人間。
三つ目は、普通に文化祭実行委員長になりたいという欲を持ち合わせた変態。
文化祭実行委員長になる方達は、この三つのどれかであろうと考えた。
逆を言えば、この三つに該当しない人は自ら挙手して委員長をやる人もいないであろう。文化祭実行委員だけであるならば存在してさえいてくれれば役を全うした事になるが、委員長ともなると生徒会会議に呼ばれたり、全校生徒の前で開会や閉会の挨拶をしなくてはいけないという苦行がセットで付いてくる。何かしらの見返り、やり甲斐などがないと到底やろうとも思わない。もちろん、私もその内の一人であった。出来るだけ目立ちたくないし面倒な事したくない、何かの長になんてなりたいと思った事もない。事なかれ事なかれ。
そして私が高校三年生となり迎えた高校生生活最後の文化祭。


私は、文化祭実行委員長となっていた。



ぇ、なぜ??



今当時を思い返して書いていてもフォントを変えてしまうくらい何故俺?と衝撃的に思っていた。

そもそも文化祭実行委員に入った理由はとにかくサボりたかったからなのである。
具体的に言うと、クラスで出す模擬店の店番を絶対にやりたくないと心に誓っていた。店番をサボるために、私は過去二回の文化祭で目をつけていた【体育館の出入り口で外部の来訪される方にネームプレート的なものを着席しながら渡すという仕事を担当している委員会】に入ればしっかりとした口実をつけてサボれると思っていた。
なので高校三年生の時に担任であった金子先生に
「あの仕事をする委員会って何委員ですか?」と聞いたら
「文化祭実行委員だよ」と言われたので、
私は文化祭実行委員に入ったのである。
しかしここで事件が起きる。クラスでの委員会決めが終わり数週間経って他の先生と話していた時に、衝撃の言葉が私の鼓膜を揺らした。

「お前が言ってる【体育館の出入り口で外部の来訪される方にネームプレート的なものを着席しながら渡すという仕事を担当している委員会】する委員会って、風紀委員会だぞ?」


ハハァ〜〜ンっ!! 大人って信用ならない★✌︎☆


その時に大人は絶対に信じないと心に誓った。

文化祭で自分のクラスの店番をサボりたかった奴が、文化祭実行委員長になってしまった。日曜劇場の脚本家でも思いつかないシナリオであろう。

では何故文化祭実行委員に入ってから委員長にまで登り詰めたのか、

それはまた次のnoteで。


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