30.69年9月、ビートルズの解散が伏せられた理由は?

ビートルズの最後の1年間の重要人物にアレン・クライン(Allen Klein)がいます。楽曲制作に直接関与することはありませんでしたが、ビジネスマネージャーとしてリリース物をコントロールすることになります。

クラインはゲットバックセッションが行われていた1月下旬に登場しています。
グリン・ジョンズによると、ミーティングでジョンがクラインをマネージャーとする事を提案したのが始まりです。この時、ポールはミック・ジャガーから悪評を聞いており(元ストーンズのマネージャーでミックがクビにしています)、クラインを拒んでリー・イーストマン(リンダの父、即ち後の義父)を推しています。

ジョンズ自身もストーンズ経由で面識があったのでジョージとリンゴは各々がジョンズに意見を求めましたが、ジョンズは「マネージャーとしてのクライン」に関しては自分よりもミックやキース(リチャーズ)に訊く方が良いとして直接の回答はしていません。
結局2人はジョンの側に付き、ポールが孤立する一因となりました。

ちなみに、以降は史実の通りトラブルが多発し、ジョージは‘My Sweet Lord’の裁判で裏切られたとして絶縁、アップル・コアも1977年に420万ドルを払って関係を清算しています。

ビートルズ関連でも悪評しか残していませんのでクラインのファンは少ないと思いますが(笑)、ともあれ69/4/7、正式にビジネスマネージャーに就任しています。

唯一の功績は、就任直後から余りにもポールを落胆させたことでYou Never Give Me Your Moneyが生まれたことくらいしょう。

そして問題の9月上旬です。

『ABBEY ROAD』の制作が完了した頃、リンゴを除く3人でミーティングが行われています。そこでジョンは脱退宣言に近いフェードアウト宣言をしています。軸足をプラスティック・オノ・バンドに置きたいという意思表示でした。
このミーティングの5日後(9/13)にジョンはプラスティック・オノ・バンド(メンバーはクラプトン、クラウス・フォアマン、アラン・ホワイト)としてトロントでライブ出演をしていますので、事前に伝えておきたかったと思われます。また、この時に併せて楽曲のクレジットについても触れており、レノンマッカートニーを解消して実態に合った単独名義にする提案もしています(演奏予定の‘Cold Turkey’が念頭にあったと思われます)。

リンゴによると、ジョンがトロントでデビューした後に再びミーティングが開かれ、そこでは全員が解散に合意したとされています。
ジョンに追随するかのように、ポールは9月(合意直後?)にステューダーの4トラック機材を自宅に設置しています。リンゴもまた翌月からソロ・アルバム『SENTIMENTAL JOURNEY』の制作を開始します。

解散に合意したものの喧嘩別れではないので発表を急ぐ必要はありませんでした。これには全く成果を上げていないクラインの意向もあったようです。ここからクラインによる怒涛の資金回収が始まります。

〜 Allen Kleinの資金回収 〜
先ずは計画通り(69年9月下旬)『ABBEY ROAD』がリリースされていますが、以降は不可解なリリースが続きます。

特にアメリカ市場はクラインが自由に出来たらしく、69/10/6にビートルズ初となるアルバムからのシングルカットとして Something がアメリカ先行でリリースされます(イギリスは10月下旬)。

次いで映画の再編集要求です。
映画製作は11月公開に向けて丁度この時期にマイケル・リンジー=ホッグが第1版を完成させていました。ところが10月3日に試写した段階ではスタッフが多く登場していたため、ビートルズ中心の映像にするよう要求しています。
結果、公開が半年遅れることになります。

さらにアメリカ盤『HEY JUDE』がリリースされます。
『SGT. PEPPER’S...』以降は英米でリリースを統一していましたが、過去の曲まで遡ってアルバム制作をしてアメリカのみでのリリースとなっています。

その後、映画タイトルが『LET IT BE』になり、タイトル曲となるLet It Be’にはオーケストラを含むオーバーダブが施されます。グリン・ジョンズが守っていたコンセプトは排除され、次シングルに相応しい売れ線狙いの化粧直しが行われました。

この時点でのジョンズによる『GET BACK #2』には以前のままの Let It Be が維持されていますが、フィル・スペクターを起用して全収録曲をベスト・テイクに差し替えます。

The Long And Winding Roadのオーケストラ追加によるポールとの確執は余りにも有名ですが、ポール自身はスペクターを責めていません。
クラインが「必要な作業」と告げた通り(首謀者なのでしょう)、アメリカのみでシングルカットしています。ポールがリリースしたいはずもなく、決定権がクラインにあったのが分かります。

ビートルズ解散が実行される前に稼げるだけ稼ごうとした結果と捉えると、これら不可解なリリース内容も辻褄が合います。

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