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今井しほか「清水ツアー(2日目)」

↑1日目

今日は写真家の宇田さん、ダンサーの木原さんと一緒に次郎長生家を活かすまちづくりの会の高木さんのご案内のもと清水の街を紹介していただきました。とにかく場所場所で色々な話がもりもりだったので備忘録がわりに書き残します。

次郎長通りのアイコン。
コボちゃんみたいなタッチで可愛い
清水次郎長のカラーなのかエスパルスのチームカラーなのか黄色いのぼりや看板がちらほら
次郎長生家で自己紹介と清水湊一帯の歴史を教えてもらいました。
宇津ノ谷峠の変遷の話など興味深かったです。
船に乗るときに使う弁当箱だそう。
10人分?5人分×2食かな?
次郎長の父は船持ちだった
中身は米たっぷり
巴川の様子。普通の川よりひたひたに見える。。。
江戸時代は川の湊、清水湊だった

昼ご飯は中華若木屋さん。そこで頼んだマーボーナスラーメンがすごいボリュームで面白かった。ご飯付きセットの写真がネットにあったのでシェア。(サムネイル右下)他の定食もすごい量で、お母さんが張り切って装ったみたいな量が出るなと。
昼ごはん中は宇田さんの言葉の話から、話す言葉によって性格や振る舞いが変わるのではないかという話、高木さんの西洋と東洋の街の作り方の違いの話が面白かった。高い塀で人間の侵略から守る街と神社や寺院を中心に作った街。城の作り方、それに伴う城下町の作り方も確かにかなり国によって違いがありそう。あと日本家屋の話もして、勉強になるなあということがたくさん。

通りに対して間口が広いと税金が高かった!という話と家に天井をつけると高くなるらしいという話。現在の所得税的な話なのだろうか…あと、倉持ちはお金持ち?という話もした。
その後、エスパルスドリームプラザの方へ向かい港を見に行きました。
日本で唯一現存するテルファー。港へ木材を運ぶクレーン
昨日から打って変わってずっといい天気
元廻船問屋たちが港近くに今も企業として残っている
次郎長が開業した船宿「末廣」さんへ
2階のマネキン、ちょっと怖い
明治に次郎長が開いた英語塾の教科書
さらに歩いてお茶の小松園さんへ
高木さんと同じく次郎長生家を活かすまちづくりの会、牧田さんに美味しいお茶の淹れ方について質問
聴きながら取ってたメモをここに。
湯冷ましするための急須など初めて見た。

70-80度で入れる、冷ましながら入れる
1人2グラム
茶葉と合わせてから大体50秒

1回目甘み
2回目渋み
3回目苦味

水出しが1番苦味がでない

荒茶
蒸して乾燥させる(酸化しないように、発酵させないようにする)
→仕上げ茶

新茶
2番茶

番茶、苦味があったりカテキンがないから赤ちゃんでも飲める
胃に負担がない
飲み比べしてみて美味しかったお茶を手に入れました
山の上のお茶!東京で飲むのが楽しみ
そのまま車で山の上に、日本平夢テラスは隈研吾事務所による設計
うっすら真ん中に見えるのが富士山。でかい。富士講を聞いた後なので確かにこれは神々しいかも、、、神社を関連性から見るとそこの地域の関係性が見えてきそうです。有頂天と金輪際、コノハナサクヤヒメ。


そんなこんなで1日が終わり、ホテルに帰宅。
暑かったけど充実してました。

明日からどうしようかな〜と思ってる間に、1週間があっという間に過ぎてしまいそう。

自分の住む場所以外でリサーチをすることについてのトークイベントを、以前聞きに行った時、リサーチする人される人の間にはお金ではない信頼の経済(交換)があると言っていた。

ただの旅行者から滞在アーティストになる間にはものすごい境目があると思っていて、変化できないまま寂しく帰っていったことも今まで何度もある。たぶんそっちの方が多いかもしれない。
お金を払ってサービスを消費する為にいる訳じゃなく、ここに居ていい信頼をされることを時間をかけてすでに居る人達から得ること。イニシエーション。
そこの場所にいる人達の居場所の中に暴力的じゃなく、不自然でもなく受け入れてもらう方法。

ふとお昼ご飯の時に日本が台湾や韓国を侵略した時のこと、ウクライナやパレスチナのことを少しだけ話していたことを思い出して、侵略と旅行と滞在と居住の間を考える。

すぐこの短期間で成果を出す必要はないと知りつつも、この1週間を通して私はどういう形でここに居れるのだろうと思った。

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