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今井しほか「雨の松原(1日目)」

アーティストの今井しほかです。
今回お世話になる、次郎長生家を活かすまちづくりの会さんがある清水町に来ています。

以前秋田で北前船(※1)というものをリサーチしていたこともあり、清水の港町の歴史や清水次郎長が川の湊を整備した話など港の文化について調べつつ交流できたらと考えています。

※1「北前船」は、江戸時代中期〜明治30年代に大阪と北海道を結んだ商船群の総称。彼らは荷物の運搬だけでなく、各地の寄港地で安い商品があれば購入し、それを高く売れる港で積み荷を売っていった。北前船は当時の商業活動を象徴する存在であり、港と港をつなげることで経済や文化の発展を担った。

あと、北前船の西廻り航路を開発した河村瑞賢(※2)と清水次郎長は似てるなと思うところがあったり。今後調べていくのが楽しみです。

※2「江戸を造った男」←瑞賢の時代小説。読んでいくと大河ドラマみたい

前日に作品の搬出があった為、16時に清水駅に到着。雨が降っていて駅一帯が薄暗く綺麗でした。

到着した清水駅

到着した後、当初は駅周辺をぶらぶらして写真を撮るつもりだったのですが、雨が激しく歩き回るのは難しそうと判断し、とりあえずバスに乗って三保の松原に行ってきました。
(この時は行き先を1箇所明確に決めた方が濡れないと思ったけど、海風と濡れた砂でむしろびしょびしょになった)

松林を抜けて海へ
長い枝を床に垂らした松、動物っぽい
松の一つ一つに管理番号があって(めちゃ大量の松なのに…)人の整備の細やかさを感じる
羽衣の松(3代目)

三保の松原には羽衣の松というものがあります。あの昔話で有名な天女の羽衣がこの松にかけられたそう。羽衣伝説は国内や世界でも同じような似た話があり、形を変えつつも一つの話が国と国を超えて伝わっていくのは、それこそ船で各地をまわった船乗りや港町の功績なのではないかと想像します。(祇園祭もなまはげも当時の漁師たちによって各地へ伝えられたと言われてる。ちなみに羽衣伝説の発祥は諸説あるが、インドのリグ・ヴェーダ(聖典)が原型ではないかというのが多かった。)

羽衣伝説の舞台は海だけでないので、世界の水辺を舞台に似た話が話されていたと思うとロマンチックに感じます。

三保の村に伯梁という漁師が住んでおりました。ある日のこと、伯梁が浜に出かけ、浦の景色を眺めておりました。ふと見れば、一本の松の枝に見たこともない美しい衣がかかっています。しかし、あたりに人影はありません。誰かの忘れ物だろうと、伯梁が衣を持ち帰ろうとしたそのとき、どこからともなく天女があらわれてこう言いました。『それは天人の羽衣。どうそお返しください』ところが、それを聞いて伯梁はますます大喜び。『これは国の宝にしよう』とますます返す気配を見せません。
すると天女は『それがないと私は天に帰ることができないのです』とそう言ってしおしおと泣き始めます。さすがに伯梁も天女を哀れに思い、こう言いました。『では、天上の舞いを見せてくださるのならば、この衣はお返ししましょう』天女は喜んで三保の浦の春景色の中、霓裳羽衣の曲を奏し、返してもらった羽衣を身にまとって、月世界の舞いを披露しました。そして、ひとしきりの舞いのあと、天女は空高く、やがて天にのぼっていったといいます。

「羽衣の松」と「三保海岸」清水海岸ポータルサイト
https://shimizukaigan.doboku.pref.shizuoka.jp/asobu/hagoromo/

その後、強い風と雨の中、羽車神社と少し歩いて御穂神社にも行きました。
(そこでもう一度、傘がひっくり返りながらこの天気でなぜここに来ちゃったんだと後悔。。。)

傘がひっくり返りそう
羽車神社
願いを石に書くらしい

帰りのバス停に向かう途中で、今回三保地域のホストでもある株式会社Otonoさんがありました。
普段はコワーキングスペースとして貸し出したり、時々イベント企画のお手伝いやイベントスペースとしても貸し出しているそうです。

ポスターを見かけてラジオブースかと思って近づいたhttps://otono.site/otonoma/

そしてびしょびしょになりながらバスに乗って帰宅。
体は冷えましたが、雨の中の海岸になかなかいくことがないので、それで良しとしました。
また明日。

風に吹かれながらパノラマを撮ったのでブレブレ


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