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深川未貴「愛は勝つ」滞在まとめ_沼津市白銀町_Artspace入サ岩﨑商店

沼津での滞在が終わり、1週間と3日が経った。
ずっと下書きにした状態で、一向に進まなかったまとめを書いていこうと思う。
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私は絵を描いている。

3つ上の兄が小さい頃から、「僕は画家になる」と言っていたこともあってか、私も絵を描くことが好きだった。
絵といっても、絵画とか写生みたいな高尚なものではなく、漫画やアニメのラクガキ程度のものだったが、それでも周りの人たちは褒めてくれて、なんとなく描くことが自分のアイデンティティになっていった。

それから何の迷いもなく美術の短大に入り、”美大っぽくてかっこいいから”という理由で洋画領域で油絵を学んだ。

はじめて絵画に向き合ってみると、2年では分からないことだらけなことが分かり、結局、短大に4年通った。(留年とかではない)
それでも悩みは尽きなくて、大学院にも行かせてもらった。
親は、短大の2年で私の何かが吹っ切れてくれると思っていたみたいなので、大学院に行きたいと言ったときの、家庭内の空気はとんでもなかった。

私は、山と海、湖に囲まれていて、隣には原発のある、福井県若狭町の梅農家で生まれ育った。

院2回生のとき、コロナウイルスが流行し、長く実家に帰るタイミングがあった。それまで地元に興味がなく、むしろコンプレックスに思っていたのだが、ここに帰って絵を続けられる環境を作れたら、自由な人生が送れる気がした。

修了後、2年ほど地元にいたが、コロナで余計に閉塞感があったり、同世代のアーティストが周りにいないことが、どうしてもつまらなかった。せめて同じ北陸の金沢行けば、地元でも生きやすい環境の作り方とか、同世代のアーティストと繋がれたりとかするんじゃないかと思い、特に縁もゆかりもない金沢に、弾丸で移住してみた。

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今回、滞在先の第一候補に沼津を選んだのも、ラッパーのエルテレサちゃんが地元・沼津を制作の拠点にしながら、どこまでも飛んで行く活躍ぶりが、MAWの滞在先を選ぶタイミングで、たまたま目に入ったからである。

太平洋側だけど海沿いだし、東京でも名古屋でもないし、私の地元と同じではないにせよ、これからのヒントが何かあればいいなと思ってやってきた。静岡県自体も初だったが、実際沼津に来てみると、予想していた雰囲気ではなく、東京もかなり近いことがわかった。

台風が来ているタイミングで到着したこともあって、湿気とか天気は北陸と違う実感は薄かったが、海のキラキラがとにかく明るいことろとか、富士山が圧倒的に大きくて、どの景観がいいスポットに行っても「あ、ほら見える」と誰かが言う先を見れば、富士山があることとか、みんな全体的に日焼けしていて開放されている感じが、ここは私の生まれ育ったところとは全然違うと思い知らされた。

沼津に住む古地さんと杉澤さんは、沼津の開放感と、のんびりとした時の流れを「沖縄みたいなんです」と言っていた。
静岡に沖縄があると思っていなかったので、聞いたときは全然ピンとこなかったが、今これを書いていると「そうかも」と思えるから不思議だ。

沼津で会話をしたのおじいちゃん達は、若者が東京へ行って帰ってこないから、子供もいなくなる一方だと口々に言っていた。
とは言いつつも、東京のカルチャーを持って沼津へ帰ってくる人たちも多いらしく、古着屋が沢山あるし、ヒップホップとかストリートカルチャーも盛んらしかった。

そして、移住者を受け入れる、まちと住民の懐が深い。

私が滞在中に行ったホットスポットも、東京近辺からの移住者が頑張っていたり、多国籍な人やお店が多かったりと、それぞれが生き生きと自立していて、街の節々で沼津の開放感を感じた。

そんな懐の深さについて、「そもそも観光で成り立ってますから、来る人を受け入れるのは当たり前」と誰かが言う。
そういうことか。でも、観光地なのだけれど、うまく言えないけど人間味のある、人間がそこに住んでいる観光地だって思う。

地元に仕事が少なかったり、どんどん少子高齢化していったり、自然災害への恐怖とか、地方が抱える問題はどこも同じだけれど、沼津みたいに、物理的にも都会から帰ってきやすいことや、外から来た人に対して懐が深いところをみると、何年経っても寂しい街にはならないんじゃないかと安心感を覚える。

このまとめを書くにあたって、一向に進まなかったのは、地震について触れた方がいいのか悩んだからだ。
静岡に来て、どこから来たのか伝えると、皆んな「地震大変でしたね」と心配の声をかけてくれた。全然大変じゃなかった自分が、今も大変な状況が続いている能登の震災について話すたび、私は何にも考えず、何にも傷付かず金沢に居続けて、ほんとしょうもない人間だと毎回思う。
地震のこととか、地元の原発のこととか、自分が何が言いたいのかも意味不明だし、そもそも全然何も言っていない文章だし、とにかくどう書いても後悔しそうなので、沼津にきて思ったことを何にも上手くまとめられない。

ただ、今回はアーティストとして沼津に関われたので、沼津や石川、福井での記憶や経験だったりが影響されて、ほんの一部でも作品として出てきたり、それがいろんな人や場所で見られる可能性があるので、これからもなるべく嘘のないように精進してきたい気持ち。

やっぱりこんなことでは締まらないので、最後に沼津駅にある井上靖先生の素晴らしいお言葉拝借したい。

愛は勝つのだ。

完(KANだけに)


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