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癸生川栄(eitoeiko)「松崎町滞在記・Ⅳ」(5日目)

「見る価値が千貫文に値する」から千貫門という、語呂合わせで命名されてしまった海岸の景勝地、千貫門。生活や実務に役立つ計算サイト「ke!san」では、江戸時代は初期と末期で物価が全く異なると注意喚しつつ、1,000貫は1,000,000文、250両で現在では2,500万円相当になるそうだ。同じ価格帯ではテスラのロードスターが1台、iPhone14が200台位購入できるので、それを無料の駐車場から徒歩で見学できる松崎町は太っ腹である。果たして千貫門とは、いかなる姿をしているのだろうか?万障お繰り合わせの門とはこれいかに?しかし今回はその話ではないので、実物は現地で確認してほしい。
先日そこに足を運んだ際に、案内していただいた「先生」ことT氏は、きょうは天気が良いから釣り日和ですねと仰られた。私は即座に否定した。
「釣りは釣れれば天候はどうでも良いんですよ」
これは真実である。
家族旅行のついでに海釣り公園で道具をレンタルして、オキアミなどを購入して釣り糸を垂らす。そこで両親に連れられた5才の子どもが初めてアジを釣ったときに、感染がはじまる。長じて大学生になったときには、年間釣行日数が300日。ポカポカ陽気だろうが氷雨降る夜の防波堤だろうが、そこに魚がいるならば、釣り人がいるのである。大人になってしまったら、いくら平日に死んだ魚のような目をしていても、いざ週末、退社のあとには夜討ち朝駆けで釣り場に向かっていくのが真の太公望の姿である。
これは一部の重症患者に限ったことではあるが、ひょっとしたら世界で一番多い病気かもしれない。そのため毎年どこかで、遭難して自ら魚族の領域に踏み込んだりする人間が跡を絶たない。幸いにも私なぞは罹患を逃れ、ほんの少し釣りが好き、位のレベルである。
なので今回のワーケーションにも、釣り道具は持って行っていない。ただ目の前に海があって、時間があって、魚がにっこり笑顔を見せている場合のために、パックロッド(携帯用に短く伸縮する釣竿)とリール、魚種に対応できるよう4ポンドと9ポンドの釣糸の500mボビン、メタルジグ10数ケにペンチ類他をリュックサックに忍ばせてきただけである。
前回のMAWでご一緒させていただいたスーパーアーティストI氏の依頼、といってもFBで「釣りは?」とコメントが届いただけなのだが、それもあって本日はどうしても海中をリサーチする必要があった(ちなみにI氏とは同行こそしていないが釣友といっていい)。今回は松崎町に招待いただいたので町営ホテルに宿泊しているのだが、じつはグーグルマップによる事前調査で徒歩30秒でポイントに行けることを把握してもいた。なんなら深夜早朝に7日間ぶっつづけで魚と戯れることができる環境に身をおいているのだ。ここでルアーを投げなかったら、これはもう駿河湾に失礼だ。

聡明な方はお気づきかもしれないが、あとはどうでもいい話なので、ここで筆をおいてもよかったが、それではあまり母数は多くない読者に失礼かもしれない。釣りの話をするときは両手を縛っておけ、というロシアの諺がある。という一節が開高健の『フィッシュ・オン』か何かにあったと思う。興奮して身振り手振りで釣った魚や釣り逃した魚の話をするのはなかなかメーワクですよ、という笑い話である。
メタルジグは、鉛の塊を餌の小魚に見立てて、それを追う魚を釣りの対象にする原始的なルアーの一種である。現在は単純に鈍く光る金属というよりも、よりベイトフィッシュに近づけた色彩や形状をしているものが多い。私は大人ぶって趣味の釣りに対して「縛り」を設けているので、今回はメタルジグだけを選んできた。滞在中は海面を眺めては、魚影やライズ(釣りの対象魚が捕食する小魚を水面まで追いかけること)、トリヤマ(餌となる小魚の群れを海鳥が一斉に捕食する様)などがないかチラチラと観察していた。海には潮の満ち引きがあるので、満潮に向かって岸に餌が近づき、それを食べる魚も接岸してくるとされる。以前は潮時表を専門の新聞でチェックしたりする必要があったのだが、いまはインターネットですぐにわかる。
そんな訳で午前中が良さそうだったので、衣類を洗濯したのち10時頃から宿の前で竿を投げてみた。選んだルアーは恥も外聞もない、それはつまりサイズを下げた方が釣れる確率があがる気がしているからのだが、7グラム、鯖カラーの小さなメタルジグだ。
何かが針にかかる。まず釣れたのは20センチ位のカマスだった。ちょうど近所のマックスバリュで地物カマスの刺身を食べていたので、あれの子どもがこれかと確認しつつ、写真に撮ってすぐリリースする。これで一匹も釣れない、ということがなくなりホッとする。その後も何度かアタリがあるようなのだが、針がかりしない、と思っていたらフッキングし、何か元気な小さい生きものがくっついてきた。それは手のひらサイズのヒラメだった。4センチのメタルジグの2倍くらいしかなさそうなのに獰猛なやつである。こちらも画像に納めてリリース。すぐまたヒットし、ちょっとサイズアップしたヒラメが釣れた。
釣れたのは人生初のカマスとヒラメだったのだが、サイズ的には初という感動はないけれど、この釣り方は何が釣れるか判らないのが面白い。このまま宿の前で続けても充分に期待できるのだが、リサーチとしてそのまま岸沿いを歩き隣の砂浜を狙う。そこでようやく、釣れると予想していた魚種であるメッキ(ギンガメアジやロウニンアジなどの子どもの総称。体表が金属メッキのように輝いている)が釣れた。砂浜は300メートル足らずなのだが、誰もいないので投げ放題である。ポイントが絞りにくいのと、普通のスニーカーだったので(本来はスネまで海に入っても平気なマリンブーツや、短パンにマリンシューズなどが推奨される)そのまま港まで移動した。しかし港と那賀川河口に着くと日差しも強くなったので、終了して昼食にした。結局釣果は2時間で4匹。夕刻、答え合わせのために干潮時にまた30分程宿の前で投げてみたが、反応はない。やはり海の釣りは潮汐を気にかけた方が良いということだろう。魚は砂浜に居着いているのではなく、潮にあわせて回遊しているのだ。こんな正解か不正解かわからないことを延々と頭で想像するのが釣りの愉しみだと思う。