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坂井存Zon Sakai 「《重い荷物》と、知らない街を旅してみれば」(三島滞在まとめ)

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三島での滞在を終え、九州に戻り、往復2,900kmの旅を無事終えた。金木犀が香り、辺りはすっかり秋の気配だ。あらためて滞在中に感じたことをふりかえってみたい。

すべてのひとに向かってひらいていくー【1】ステレオタイプを超えて

私は、48歳で作家活動を開始した。その後公募展に応募するにあたって「35歳まで」「40歳まで」など、年齢制限があることを知り、大いに憤った。年齢に対する固定観念が、美術という自由な表現の世界にあることに、疑問を持った。

1999年からは、ゴムチューブ彫刻作品を背負って街に出るパフォーマンスを行っている。理由は、街では美術館やホワイトキューブの中では起こり得ない面白い出来事が起こるから、そして街にはアートのニーズ、表現のニーズがあると思っているからだ。これまで世界中でパフォーマンスを行ってきて、表現は美術館の中や、ギャラリーの中だけに存在するものではないと常々思っている。

芸術は、一部の愛好家や専門家のものでもない。もっと、普段の生活の中にこそあるべきだ。そんなことを考えている中で、県民に向け、住民主体のアートプロジェクトの支援をしている「アーツカウンシルしずおか」の活動を知り、すべてのひとに向けて芸術をひらいていこうとする姿勢に共感した。

表現は、誰にでもできるものだし、人間にとって必要なものだと思う。

当初、私にとって表現活動は、救いだった。切羽詰まった「自殺防止装置」というべきものだったが、続けるうちに活動動機はもっと和らいだものになった。

難しく考えることはない。思い立ったら、《重い荷物》を背負って街を歩くだけである。

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作品を背負って街に出る。最初は石を投げられるかと心配したが、そんなことは起こらなかった。出会った人は目撃者となり、会話が生まれ、鑑賞者は参加者になる。

表現活動をしていると、普段は起こらない面白いことが次々と起こる。飛び石のように、ひとつのことが、次の出来事につながっていく。

未知のものに向かって、自分をひらいていくこと。それは簡単なことではない。私は表現しつづけることで、それが少しだけ可能になった気がしている。

これからも、気力体力の続く限り、徘徊をつづけるつもりだ。

すべてのひとに向かってひらいていくー【2】未来を愛する人びと

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朝散歩の会の帰り、「みしま未来研究所」にて。NPOの活動について話を伺い、同研究所の國原優子さん撮影のセルフィーに映り込む。[写真下・後列左から、坂井存、中村香織(田主丸藝術研究所)、同時期に三島に滞在した「旅人」の金 暎淑(キム・ヨンスク)さん]

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「NPO法人みしまびと」(2014年創設)は、実に多彩な活動をされている。我々「旅人」が参加した朝散歩の会だけでなく、幼稚園(現・みしま未来研究所)のリノベーションを経て、カフェ・レンタルスペース・コワーキングスペースの運営、実は三島を舞台にした映画も作っている。

映画『惑う After the Rain』(林弘樹監督、2016年製作)は、1万人の三島市民が関わる大プロジェクトだったそうだ。この困難なプロジェクトを成し遂げたみしまびとの組織力には驚かされる。なお、この優勝トロフィーは、「みしま未来研究所」内、CAFE & BAR 「BLOOMING」のバーカウンターにあるので、見落とさないでほしい。

「みしま未来研究所」のように、街をよりよくしていく活動を共有し、彼らのモットーとする「ウェルカムで、ポジティブで、フラット」な場所を可視化、現実に維持していくことは、大変なことだろうと思う。幼稚園のおもかげを残すたのしげな空間から、三島の未来を愛する人々の前向きな情熱と行動力を感じた。

すべてのひとに向かってひらいていくー【3】世界に手でふれる

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「ヴァンジ彫刻庭園美術館」が行なっている、視覚に障害がある方のために美術をひらいていくための試みも、すべてのひとに向かって表現をひらいていく挑戦のひとつだろう。(『すべてのひとに石がひつよう  目と、手でふれる世界』展図録[写真左])

美術はどうしても視覚優位で、「わかる/わからない」で語られてしまう部分がある。答えを知っているのは「専門家」で、一般の人々は解説を読むのに熱心で、目の前の作品をよく見ていないということは、よくあることだ。

作品との対話は、ごく私的な体験だ。自分の感覚を信じ、目を閉じて、耳を澄ます。自分から作品の中に入ってみる。名作が自分の心に響くとは限らない。作品の良し悪しは、感覚的なものだ。自分がおかれた状況、その日の気分や、体調に左右されることもある。

「ヴァンジ彫刻庭園美術館」は、緑豊かな庭園も素敵だ。クレマチスやバラほか季節の花が咲き、目を楽しませてくれる。最近では、開館20周年を記念して、美術館のこれまでの活動を紹介する本が刊行された(『ヴァンジ彫刻庭園美術館 クレマチスガーデン』[写真右])。

本の帯には、ヴァンジ氏のメッセージが添えられている。「この美術館が年月を超えて、若い人々に『行動すること』への情熱、体験することへの勇気を伝えてくれることを祈っております。ここが、希望と平和の理想的な抱擁の中で、世界中から若者が集まってくる場となりますように。」(ジュリアーノ・ヴァンジ 2002年4月)

クラウド・ファンディングを経て修繕・洗浄されたヴァンジ氏の彫刻作品は再び輝きを取り戻し、観るものの心に静かに語りかけてくる。

すべてのひとに向かってひらいていくー【4】石をとおして、三島にふれてみる

滞在中はパフォーマンスで三島の街中をくまなく歩きまわった。目だけでなく、手で、足で、身体で街にふれてみよう。

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・白滝公園(三島市一番町)

三島は、街中で溶岩にさわることのできる珍しい場所だ。(伊豆半島北部そのものが、約一万年前の富士山噴火の時の溶岩でできているらしい)公園内には凸凹の黒っぽい岩がいくつもあり、苔むしているが、よく見ると気泡による穴が空き、シワ模様を形成している。かつて流れ出た溶岩が冷え固まった痕跡だ。地球のうねりに、ふれてみる。

白滝公園、楽寿園、愛染院跡一帯は、ケヤキの巨木が多く、街中と思えないほど鬱蒼としている。ちょっとした原生林の風情だ。この溶岩の隙間を通り、市内のあちこちに富士山からの恵みの水が湧きだしている。

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・伊豆国二宮 浅間神社(三島市芝本町)

こちらは朝散歩の会で、案内していただいた。講師は、先ほどの「みしま未来研究所」の國原さん[写真上]。約一万年前の富士山大噴火の際、ここで溶岩が止まったので、「岩留浅間」とも呼ばれる。木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)が溶岩の流れを止めたとされ、右側のくぼみは、その時着いた足跡と言われている。女神様の足跡は、とても小さい。きっと熱かっただろう...。

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・伊豆国一宮 三嶋大社「たたり石」(三島市大宮町)

案内板によると、元は三嶋大社前、旧東海道と旧下田街道が交差する場所に置かれ、交通整理の役割をしていたという巨大な石。「祟り」が語源ではなく、糸のもつれを防ぐ「たたり」という道具から名前が取られたそうだ。交通安全の霊石ということで、おそれながらさわって道中の安全をお祈りする。

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・鎌倉古道(三島市中央町)

三島の道の歴史は古い。江戸時代に往来が盛んだった旧東海道だけでなく、平安時代に使われた古道、鎌倉時代に整備された街道も残る。石張りの舗装、自然色のアスファルト、植栽などが設置され、歩きやすく整備されている。市内の他の場所も、道の色が違う場所がいくつかある。地図や案内板に頼らずとも、道の色が違う場所は、自然と歩いてみたくなる。

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・圓明寺「孝行犬」(三島市芝本町)

「ヴァンジ彫刻庭園美術館」に展示されていた、菅 啓次郎氏の「三島/長泉詩片」という作品の中のひとつの詩を読んで、「孝行犬」のことを知った。お寺の本堂の下で暮らす病気の母犬のため、子犬たちは奔走する。

「でも修行より大事なのは暮らし/(中略)生きることに休止符はなくて/昨日と明日をつなぐのは/あてにならない吊り橋」という詩の一節が妙に心に留まる。気になってお寺にお参りすると、境内にマスクをした「孝行犬」の石像が建っていた。

すべてのひとに向かってひらいていくー【5】MAWを終えて

書くべきことは他にも山ほどある。今回MAWで経験したことを3,000字におさめることは到底できない。

「マイクロ・アート・ワーケーション(MAW)」は、目に見える成果を要求しない。それは、最終的な「モノ(アーティストが生み出した作品)」だけに、活動の焦点があるわけではないからだ。

旅をして気づいたのは、大切なのは目に見える表現ではなく、もっと奥にある。それは、「表現者が自分の表現とどのように向き合っているか」を知ることだ。言いかえれば、「目の前にいる相手が、人生とどのように向き合っているか」を知るのと同じことだ。

クリエイティブな人材は、「旅人」に限らない。受け入れるホストや地域住民、すべてが含まれている。MAWは本来だれもが持っているはずの「創造性」に気がつき、活性化するための、ちいさな仕掛けなのだと思う。