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癸生川栄(eitoeiko)「松崎町滞在記・Ⅲ」(4日目)

本日も良く晴れた日曜日。松崎町をこよなく愛するボランティアガイドT氏の紹介によって、今日もどこかへ案内していただけるそうなのだが連絡がない。さすがに朝9時30分より前に集合することはないだろうと思い、8時30分まで待って携帯に電話する。しかし応答がない。
そこで同行予定の町役場のS氏に電話してみると、
「え、時間きいてないんですか?本日は9時集合です。すいません」
とのことだった。滞在先から待ち合わせの役場までは徒歩10分なので、まだ朝食を食べていなかったのだが了解する。コーヒーのお湯を沸かしているとT氏からの着信が。電話に出ると、宿泊先まで軽トラで迎えに行きますよ、とのこと。8時45分に行きますんで、というところを50分にしてもらって、結局は何事もなく無事合流できたのだった。別に不手際がどうのという話ではなくて、この程度の軽いノリで進んでいくのも逆に楽しかったりする。
T氏はS氏の元教え子なので、S氏はT氏のことを先生と呼んでいる。現在は定年退職され、地元のガイドなどを務めている。T氏の相貌は柔道や剣道の先生みたいにみえなくもないのだが、T氏は日大芸術学部彫刻科出身で、美術業界で暮らす私は親近感を覚えるのだった。
S氏に倣って先生と呼ぶことにしよう。先日のことになるのだが、先生は石部地区の山間、太田川のそばにある珍しい櫓様式の石仏を紹介してくれた。それは高さ3~4mはありそうな大きな岩の側面が家屋の断面図のように刻まれ、その内側をくり抜いた四角い空間に石仏を配置した知られざる史跡だった。ほんの少しだけ道を外れた林の中にあるので、グーグルのストリートビューでは発見できない。世紀の大発見とまではいかなくとも、松崎町の新観光ポイントにはなりそうな気がした。
そしてきょうは先生推薦の池代(いけしろ)地区の山間部にある巨大な割れ岩と、その近郊にある洞窟を案内していただいた。
洞窟の入口にはなんら説明看板のようなものはなく、照明などもないのだった。暗い内部には湧き水が勢いよく流れる音が響いている。iPhoneのライトをかざすと、蝙蝠が飛んでいる。どのくらい奥まで続いているのかはわからない。岩肌には採石場のような直線的な掘削痕はない。誰が一体なんのために?それともこの、ちょうど人が立っていられる程の高さに削られた石の洞窟は、自然のいたずらが作り出した稀有な造形物なのだろうか?先生に訊いてみた。
「いやよくはわからないんだけどね」
謎は謎としておいといて、とりあえずすごいものを見せてくれるという攻めの姿勢が熱いと思った。このように松崎町には歴史のミステリーが埋没した金鉱のように眠っているのだった。