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癸生川栄(eitoeiko)「松崎町滞在記Ⅱ」(3日目)

松崎町の南端、南伊豆町に隣接する石部という地区には棚田がある。起源は不明だそうだが、ウェブサイトによると、江戸期に棚田の上にある山の山頂が崩れ、一旦は全滅する大災害があったそうである。その後復田して(復田という言葉があるのを初めて知った)、昭和30年代に稲作は最盛期を迎えたそうなのだが、生活習慣の変化などにより田は捨てられ、原野になっていたところを再び平成期に復興させたらしい。周辺には荒れたまま放置されている石垣がそこかしこに現存しているので、努力次第ではまだまだ拡大できそうだ。
しかし周辺地区の水田の生産量は自分たちで食べる分くらいとのことだった。現在の経済バランスでは、肥料などの費用プラス重労働とコメの収穫高を天秤にかけると、割に合わないそうである。それでも、自ら育てて炊いた白いご飯は格別なものに違いない。アマゾンで買うか自給自足にするか、価値観をどこに置くかが問われているようである。
かつては、炭焼きも松崎の主要な産業のひとつだった。そのため山には炭焼き用の樹木を植えて、15年ほどのサイクルで育てては刈り取り、新たに植林して山を管理し共に生きてきた。電気が通り軽油やガソリンの時代が来ると、次第に人は山から遠ざかり、狩猟も廃れたおかげで、育ち過ぎた大木は地表の下草をすっかり食べられたゆるい土壌に耐えられず倒れ、結果、保水力を失った山肌から台風の大雨とともに流されてきた倒木が川を堰き止め洪水をおこすという悪循環に陥ったのが今日この頃である。これは松崎町だけの話ではないように思う。
自然をそのままに残そう、という保護活動も裏目に出ているところがありそうだ。いちど人間の手が入って長い間コントロールされてきた山の生態系である以上、いかに自然と共存していくのか。われわれは自然とどう付き合っていくべきなのだろうか。
じつはこれは陸の話だけではなく、海の方も大変なことになっている。磯焼けといって、海水温の上昇などによって海藻が激減しているのだ。その結果、海の生態系が変化し、魚が漁れなくなってしまった。これには山の保水力の低下も影響しているのかもしれない。パッと見はきれいな海と山なのだが、どうもそれだけではないのだ。さらにいえば、この海山両面からの大問題に直面しながらも、日本各地の里山は人口減少と高齢化の進んだ中でなんとかしなければならないのだ。いま本当に価値観が問われているのかもしれない。