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癸生川栄(eitoeiko)「賀茂地区を離れて」(7日目)

松崎町を出て県道15号線を東に進み、バサラ峠を越えて伊豆半島を東西に横断し、下田市街に入る。稲梓の里山を過ぎると道路の両側には徐々に三階建ての鉄筋ビルが並ぶようになり、地上はアスファルトで覆われる。行き交う自動車や歩行者の姿も見かけるようになる。駅前まで送っていただいた方にお礼を告げる。リュックサックには衣類とノートPC、それに何故か釣り道具が一式入っているのだが、重いということはない。
伊豆急行下田駅は終着駅であり始発駅でもあるので、物音しない無人の車両に同乗の乗客と乗り込み座席に着く。駅近くで購入した押し寿司と伊豆の国ビールのヴァイツェン、ニューサマーオレンジジュースで遅い昼食をとる。滞在中は夏日の天候に恵まれたが、この日は小雨が混じり肌寒い風が吹いていた。線路の東側に並行して北上する海岸線は灰色に覆われ、伊豆七島は見えない。そして寝ているうちに横浜を過ぎてしまい、車窓はすっかり都会となっていた。
人に出会ったら挨拶をするような伊豆の生活がほんの一週間つづいただけで、東京駅の人混みが冗談のように見えた。まるで町の全人口が勢揃いしているようなものだ。東京駅から徒歩で接続する大手町駅から地下鉄で10分も移動すると、我が家のある神楽坂駅に着く。都心では落ち着いたエリアなはずなのだが、夜の闇を恐れるように煌々と街灯の照らす路地に違和感を感じた。松崎町に着いた初日の夜は、あまりに真っ暗な街並みを不満に思っていたのだから、我ながら順応力があるというべきか、結局自分は街の灯に関心がないのかわからない。言えそうなことは、あんまり明るいのは電力が無駄なんじゃないだろうか。
松崎町と下田市は西伊豆と東伊豆の両南端に位置する街である。二つを繋ぐ道路は徒歩から馬車道、自動車道と時代によって様々にルートを変更してきた。現在は使われていない古道の一部は林業や山の保全のためにわずかに活用され、途中まではストリートビューでも確認できる。
美術の世界はこのところセクハラだったりパワハラだったりと内部構造の問題が隠蔽されたり露呈されたりしているかと思えば、歴史認識や人種問題が改めて西欧とアジアの間で摩擦を生んだり、見えない問題をあぶりだすどころか新たな軋轢を生じさせる装置となってしまっているようにも見える。その機能の有用性を示していきたいところであるが、あるいはアートの業界で生きる人々も、人口の少ない町村に暮らす人々のように、その地域の中の話題を業界人だけで共有しているようなものかもしれない。時代に沿った街道を切り拓き、社会の分断ではなく社会との接続をめざすこと。生産と消費ではなく継続と循環を、というのは経済だけではなく文化の問題なのだということを考えさせられた。