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癸生川栄(eitoeiko)「松崎町滞在記・Ⅴ」(6日目)

なまこ壁の土蔵を利用し、土地の歴史や産業を紹介している資料館で貴重な文化財を拝見させていただいていると、黒猫が自分も調査に参加させろと言わんばかりに蔵に闖入してきた。飼い主に捕まえられては追い出され、ついに内部に入ることは叶わなかったが、ひょっとしたら見慣れぬ来訪者に挨拶したかっただけかもしれない。松崎町は猫まで神対応にぬかりがない。
私がオークション会社にいた頃、思い返せば国内での公開型美術品オークションの黎明期だったのだが、そこでは現在では考えられないほど少ない人数で絵画、西洋アンティーク、近代陶芸などあらゆるジャンルの美術品を取り扱っていた。私の仕事は作家名や作品名、技法、サイズ、制作年や作品の状態などのカタログ掲載データを調査点検することが中心だった。ゆっくりと鑑賞することは稀である。出品を待つ作品の膨大な物量に負けずに、素早くひたすらに確認していくのだ。おかげで図録や画像ではなく、作品の現物そのものを間近で大量に見ることができた。もともと専門知識は持っていなかったのだが、正体不明の作品を調べるうちに、様々な作家や技法を知ることができたのも楽しかった。
そんなことを思い出すくらいに松崎町では何でも鑑定団的な作品に出くわすのだが、どこの何が高価だなどという話にはあまり興味がない。むしろ、様々な美術品が紆余曲折を経て松崎に伝わるまでの過程を推測するのが面白い。そして逆に土地の者の手を離れる作品もあるだろう。今回はその集積と散逸の物語が無数にあることがわかった。現在は経緯が忘れられてしまったものも随分とあるようだ。
明治期の写真家、鈴木真一(1835-1918)の撮影した作品が興味深い。
下岡蓮杖に師事し、蓮杖と同じく横浜で開業し、神楽坂の私のギャラリーの近所で女子写真伝習所なる職業訓練学校も開いた活動的な鈴木は、陶板に写真をプリントする技法を編み出した。うち1点は前述の資料館に市井の歴史研究者から寄贈され、1点は近所の神社に寄進されていた。陶板の形状が同一であることから、陶板は型から制作されているのだろう。たった2枚のために型を起こしているとは考えにくいので、同様の写真は複数点存在している可能性がある。
また、ガラス板に撮影された肖像写真も1点だけ存在し、それは松崎で撮影されたものであることが、その背景から推測されるという。こちらも1点だけ撮影するために写真機や薬品一式を運んだかと考えると、同時期に複数点撮影しているのではないだろうか。自由気儘な美術探偵ごっこの域を出ないが、現在のスマホ画像に到るまでの写真というメディアの伝播の物語をこの松崎から想像するのも面白いと思った。