1月19日(木)竹採とセッションズ
(YCCC田村 記)
朝10時頃、店の仕込みを整えてから蛸みこし研究センターへ向かう。「蛸みこし」の旗を立てたいがしわくちゃになっているらしく、アイロンを貸すことになっていた。センターは自分の店から歩いて30秒の位置にある。小走りで行くと、野口くんが変な体勢でなにかを書いていた。
これは、2日前の滞在記録 1月17日(火)はこびの源泉 で瀧瀬も触れている、野口流日記だった。朝の脳ストレッチになっていると言っていたが、同時に身体のストレッチもしているのだろう。
旗をアイロンがけする。借りているスペースには大きなテーブルもたくさんあり、そこに廃材の板を置きアイロン台として使用。真っ白な生地に「蛸みこし」とだけかかれた幟。昨年のMAWも含め野口くんとの時間もそれなりに過ごした僕としてはその字面に慣れてしまった感があり、意味もわかるのだが、この旗が商店街に突如として置かれ風に靡く様子を想像したら少し不思議な気になってアイロンがけをする横でニヤついてしまった。
旗設置。「いいですね〜」と太め声で野口くん。アイロンがけをしてパリッとした旗はシンプルながら吉原商店街で映えていた。もう一枚の旗はセンター内に吊るしてガラス張りの外から見えるように設置。まだ紙の資料や本などがたくさん置いてあるだけだったが、一気にセンターらしく締まった感じ。午後に竹取りに一緒に行く約束をしてここで一旦店に戻る。
14時半頃再びセンターへ。中島さんと野口くんと合流し富士市の比奈にある竹採公園へ向かう。竹林を所有していて公園の隣に住んでいる岡田さんのお宅へ伺う。事情は既にお伝えしてあり了承をもらっている為、欲しい竹の種類やサイズを野口くんから説明し、採っていい竹を案内してもらう。
いくつかの種類の竹があり、それぞれ採って良いとのことだったので野口くん自前の道具で早速竹取り作業開始。手慣た様子で3本ほどの竹を切り倒す。そのままのサイズでは運搬できないため、ある程度の加工をしてから可能な限り(車に乗せられる限り)で持っていきましょうということになった。
竹を割いて、節部分を落とす。野口くんはこれまでもたくさんの竹を扱ってきた作業の感覚で「これは少し硬い」とか「これは使いやすそう」とか竹職人っぽいことを言っていたが、突然「見えてきました!」と声をあげた。こちらを見るわけではなく、視線は作業をしている竹を見つめていた。
蛸みこしの制作では、その土地での“遭遇"から着想したなにかしらが蛸みこしにアクセントを加えたりするそうで、今回の吉原滞在では吉原祇園祭で使用される神輿に竹が飾られていることから、枝分かれした葉部分(竹の先端あたり)をつけたまま蛸みこしの頭部?らへんに使おうと思いついたらしい。というわけで、枝もたっぷり残したままセンターまで運搬することになった。
そうは言っても乗用車で運ぶには限界があり「どうやって運ぼうか?一旦少し置いていく?」と言ったことを何度か僕が尋ねると「ま、ノリでいけますよ」といった返事が返ってくる。このようなやりとりは野口くんとはアルアルで、実際にそのほとんどがノリでなんとなかなってしまうのだ。
割いた竹は、しなりを利用してぐぃっと曲げて車内にちょっと(結構)無理やり入れる。枝がついたままの竹は車内に入る分だけ入れて、残りは野口くん持参のロープで縛り車のキャリアに乗せる。はみ出しすぎるとNGなので2人でわーきゃーしながら竹を積んでいたらすっかり暗くなってしまった。岡田さんにお礼を言ってセンターへ。
帰りの車内で、中に積んでいた竹の葉が窓からの風を受けてしゃらしゃらと音を立てた。野口くんは「なんかいいですね〜神様呼んでますね〜」と嬉しそうに話していた。
(YCCC瀧瀬 記)
19時過ぎに新富士駅に到着。駅からタクシーで吉原に向かおうとすると田村から「竹取部隊、先ほど吉原にかえってきて竹を下ろした」との連絡。夜には祇園祭から生まれたバンド「吉原祇園太鼓セッションズ」の練習があるのでよかったらおいで、とメンバーに誘われた旨も書いてあった
そしてMAW滞在でもお世話になった歴史文化の造詣の深い久保田さんから「野口さん来てるの?会いたいなあ」との連絡。今夜の予定が一挙にジャンクションしたが、全部実現してしまおうと久保田さんと会う約束もつくる。
蛸みこし研究センターは19時までなので、もう野口さんはいないかな、、と思いながらセンター付近でタクシーを止めお会計をしてたら、ふらっと出てきた野口さんとすれ違った。竹採りで汚れた服から着替えるため、一時帰宅後に居酒屋で久保田さんと合流することにする。
しばらく飲んでから、横の建物内にあるライブハウス兼バーで練習しているセッションズのもとへ。
吉原祇園祭は25町が参加、21の山車(一部は複数の町合同参加)があり、その上で町民が祇園太鼓を叩く。町の人なら老若男女誰でも叩けるらしい(町によっては女人禁制を敷いてるところもある)。祭りの太鼓や笛はそのままに、ドラム、ベース、ギター、サックスを融合させ現代的なセッションサウンドに昇華させているのが先のバンドだ。2022年にはワールドミュージック系フェス「スキヤキミーツザワールド」にも出演するなど活動の場を広げている。
ちなみにメンバーのほとんどはどこかしらの町で青年長を務めている/務めた経験があり、他の楽器を演奏する者も曲によって太鼓担当になったりする。
最初に祇園太鼓を2-3名が叩きクライマックスに向かってく途中から他の楽器が参加するさまに、祭り当日に似た高揚に加え長い歴史のある太鼓に異ジャンルの音楽が加わりひとつになった鳥肌を感じる。野口さんも目を輝かせてじっと見入っていた。
なんとこのとき、セッションズのメンバーでない久保田さんも飛び入りで鐘を演奏。祭りではどの町も同じお囃子を演奏するのに、どこも微妙な演奏のニュアンス=「なまり」の違いがあるので、久保田さんは戸惑いながらなんとか鐘を鳴らしきったそう。吉原民のセッション性の底力を見たような気がした。
練習の合間に、メンバーの皆さんが野口さんの質問に丁寧に答えてくれた。みんな、祭りのことを話したくてしょうがない感じがした。蛸みこし研究センターでは、ただ制作をするだけでなく地元の皆さんと接点を持つ何かしらを計画したいと考えている。この時のセッションズと野口さんが作った状況は何かに繋がりそうだ。