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水野渚「波と炎」(6日目)

今日は、年に1回行われる細野高原の山焼きを見学させてもらった。
山焼きとは、草原を維持するために、山に火をつけて木々の種や根を焼き払うことだ。

Wikipediaの説明を引用する。

日本の自然の状態では酷寒地を除き、草原は森林へと遷移する。野焼きや採草、放牧を行うことで、この遷移がリセットされ、初期状態の草地に戻る。このように人為的に手を加えることで維持されている草原を二次草原(半自然草原)といい、採草地や放牧地として利用されてきたほか、特に野草地では特有の生物相を形成する。野焼きは、地下に生長点を持つ草本植物を生かしつつ、地表を覆う有機物や、地上に生長点を持つ木本植物を減らし、また炎などによる地温上昇や発芽誘導物質(カリキン)の生成などにより土中種子の休眠打破を促したり、炭による暗色化(アルベド低下)で地温を上昇させたり、有機物を無機塩類とすることで新たに出る若草のための肥料としたり、ダニなどの害虫を焼き殺す効果も期待される。
出典:Wikipedia

本当は、先週末に行われる予定であったが、天候不良で、今日に延期されていた。さらに、通常山焼きの様子は一般公開していないが、今回、ホストの荒武さんと東伊豆町役場の方々のご厚意で、特別に見学することができたのだ。

町内会の方々や役場の方々、消防団の方々など、総勢80名以上が朝9時に細野高原に集合。町内会ごとに分かれて、各陣地に配置され、山焼きをするエリアの縁(防火線)から火を焚きはじめる。こうすることで、隣のエリアに侵食せずにすむのだ。

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トランシーバーで全体の焼け具合や風向き具合の確認を取り合いながら、効率よくススキを焼いていく。風が吹くと、一気に炎は燃え広がる。途中、雨がぽつぽつ降り出しながら、12時くらいまで休みなく燃やし続けた。

細野高原では、茅場としての利用頻度の低下や高齢化などの理由で、山焼きを持続しにくくなり、年々山焼きをする面積が少なくなっているという。そのような状況でも、「いまは文化を守るためにやっている面がありますね」と、東伊豆町役場の方は言った。

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今回、さまざまなご縁が重なり、山焼きを目の前で体感することができた。
私自身が2022年2月19日というタイミングで稲取に滞在していたという記録としても、自分勝手だけど、稲取の伝統文化としての山焼きを自分のフィルターを通して、表現できたら・・・。

そんなことも考えながら炎を見つめていると、稲取滞在中に毎日眺めていた海の波に似ていると感じることがあった。そのときの気持ちを即興的に詩という形で表現してみる。あー映像もつけたいな。

『波と炎』
ゆれゆれ動いて、迫っていく。
正面から、迫っていく。

風が吹くと、エネルギーがみなぎる。

波吹雪、灰吹雪。
白いものが舞う。黒いものが舞う。

天候や風向きで、どこへでも行ける。
君をのせて、どこへでも行ける。

あまり近づき過ぎると危ない。それでも、人は恐怖心を感じながら、波や炎に惹きつけられる。そんなことを知ってか知らずか、自由気ままな波も炎も風にのって、どこまでも動いていく。

山焼きの匂いも記録しようと、焼けて灰になったススキを紙に押し付け、ドローイングする。

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山焼きは、肥料としての灰の供給や、炭素の土壌固定というような現代の持続可能な社会を目指す文脈でも、これから語られていくのかもしれない。

私には、科学的に山焼きを語る資格はないが、人間の本能として、山焼きはこれからもきっと、人は魅了するだろうと感じる。
「草原を維持すること」
「理性的に炎を扱うこと」
「仲間と協力すること」
山焼きが持つどの要素も、人が地球上でほかの生き物と共生するのに、欠かせないものだから。

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※今回、特別に許可を得て撮影をしています。

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