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三浦雨林「冬至」(3日目)

11:00 金目鯛の煮付け

 今日も寝坊した。昨日の夜は寝落ちしてしまったみたいで、部屋の電気はついてるわスマホは充電してないわエアコンでカラカラだわという最悪な状態で起きた。
 昨日の夜体力が0になって断念した金目鯛の煮付けを作ることにした。
 酒精進中なので、料理酒は入れられない。みりんも正確に言えばお酒だが、許した。
 初日のスーパーで和田さんに教えてもらったホホホタケを一緒に煮てみた。静岡県島田市が栽培しているキノコで、東京では見たことがなかった。しかもHPには「大井川電機製作所という自動車用電球をつくる会社が、生産管理技術を活かしてはじめた」と書いてある。興味が出てきた。
 味は甘く、食感はキクラゲに似ているがそれより少し柔らかい。めちゃくちゃ美味しかった。東京でも食べたい。旅先の自炊はこういう楽しみがあって好きだ。
 金目鯛自体もとてもとても美味しかった。素材がいいと、料理人が下手でも美味しい。

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 宿を出て、昨日見きれなかった場所に行くことに。
 途中で河津桜観光交流館に立ち寄ると、川端康成の写真が展示してあった。映画製作の際に訪れたもののようだ。
 売店で河津産のみかんとダイダイを購入して、再出発。

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13:00 杉桙別命神社

 鳥精進・酒精進の行事がある神社がこの神社。来宮神社と呼ばれているらしい。私も河津に入る前から鳥・卵・酒を摂取しないようにしてきた。気がつけば明日で終わり。卵は難しい(うっかり食べそうになる)が、鳥と酒は案外辛くなかった。
 境内に入ると、狛犬たちがまず目に入った。

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天井 (1)

 左が吽像(獅子)、右が阿像(狛犬)。狛犬の頭に宝珠が乗っているので、おそらく江戸時代に作られたものだろう。体に刻まれた毛並みがふわふわでかわいい。獅子の方もやわらかそうな楕円形の角だった。下にいる小さな狛犬は年代も作り手も違うものだと思うけど、どういう経緯でここに居ることになったのだろう。

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 拝殿の飾り瓦は飛び狛だった。斜めから見ると足の裏が見え、肉球への淡い願いを込めて撮ってみると、やはりふわふわで表現された肉球だった。かわいい。あと顔もかわいい。にっこり。

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 拝殿に上がる階段が立派な石だった。パンフレットを読むと、江戸時代初期から300年ほど採掘されていた沢田石という、伊豆石の中でも最高級の石らしい。水に濡れると美しい青緑色になると書かれている。触ってみると、ざらっとしながらもひっかかるところのない、なめらかな手触りだった。石灰岩に似ている、というか、火山島だし伊豆石は石灰岩?非常に美しい石だった。
 境内にはまだまだ古そうな石がいくつもあった。下二枚目は駐車場にあったものだが、どうしてこの形なんだろう。他のものに使っていたのかな。

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 御朱印を貰いに行くと、12月限定の鳥酒精進のデザインがあった。

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 大楠の近くの木がガサガサ揺れていたので覗いてみるとヒヨドリがいた。来宮神社で鳥に会うと、なんだか特別な気持ちになる。

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 大楠は大きすぎてよくわからなかった。樹齢は1000年以上になるらしい。この木が小さな苗木だった頃を想像する。周りの木の方が大きかったのが反転し、やがて同じ時代を生きてきた木が少なくなっていく。人間は10世代以上代替わりしている。1000年前ってどのくらいの時期だ?と思って調べると紫式部が『源氏物語』を書いたのが1008年だった。平安時代…。

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14:00 河津町内

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 昨日は栗がお供されていたお地蔵様。今日はお茶だった。しかも飲んだような形跡がある。栗も食べたのかな。と写真を撮っていると、お地蔵様の材質がさっきの階段に似ていることに気がついた。このお地蔵様も伊豆石で作られているんじゃないか。薄い青緑、さらっとした材質。昨日は「やけに上品なお地蔵様だな」と不思議に思っていたが、納得した。手入れが行き届いていて、この地域の方々に愛されていることがわかる。

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 河津城跡に行くため、お地蔵さまの横の道から山道を登る。かなりの急勾配で、自転車を押して歩いた。約30分かけてマイケルジャクソンの角度で登った。ジャンバーを脱ぎながら、ひたすら歩いた。

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 しかし、Googleマップを見ていたのが間違いだった。公道の頂上についても、河津城跡に繋がる道がない。よくよく検索すると、駅から徒歩5分のところに登山口があるらしい。え〜ん、すんごい疲れたよ〜ちゃんと検索すればよかった〜と思っていると、道端の雑草の中にまんまるの毛玉を見つけた。
 お昼寝している猫だった。

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 まあいいか…猫に会えたし…と思っていると、視線を感じる。
 こちらを監視する親子の猫だった。

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 猫一家に別れを告げ、長い長い下り坂をブレーキいっぱい握りしめてゆっくりゆっくり下った。しばらく山は登りたくないが、城には行きたい…。

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 山をくだると、ものすごく低い位置でトビが飛んでいた。何か握っている!と思って見ていると、握ったものを食べ始めた。葉っぱごと捕まえたカマキリのように見えた。飛びながら食べるの器用だなぁ、と関心していたが、私だって食べ歩き出来るぞ、と謎の対抗心が出てくる。

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15:30 栖足寺

 町を海の方へ抜け、かっぱの伝説が残る栖足寺に向かった。

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 境内にも本堂の中にもかっぱのモチーフがたくさんあり、千と千尋の最初のテーマパークみたいだった。かっぱの愛され具合は妖怪の中でもトップレベルだと思うが、どうしてこんなにメジャーな存在になったのだろう。栖足寺のかっぱ伝説は明日また詳しく調べることにする。
 それにしても、かっぱの目ってつぶらすぎて怖い。目と鼻だけ魚すぎる。ビジュアル的にも村で悪さしそうというのを超えて、全く話が通じなさそう。

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 本堂の天井画。非常に美しかった。江戸時代のものと推測されているらしい。よく見ると、全ての絵の部分に丸く切り込みが入っている。何のための切り込みかわからず、住職さんに聞いてみた。
 曰く、「取り外しは出来ないが、外した状態で絵を書いたんじゃないか」とのこと。最初正方形の板だったものの真ん中をくり抜いて画家に渡し、描いたらまた嵌めたのだろうか。なんだか効率だけが悪く、メリットが思いつかない。「間違えてもいいようにかな?」などと考えたが、円板と外板の木目もあっているのでそれも違いそう。切り込みの理由がわかる人いましたら教えてください…。

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 アマビエカッパの御朱印があったのでこれにした。よく見るとKapabie(カパビエ)と書かれている…遊び心…。仏教のこの懐の広さがかなり好きだ。

 近くの川でカワセミを見たが、撮れなかった。青や黄色の鳥を見る度に、「野生におしゃれ必要ある?」と思うが、必要あるんだろうな。同じように鳥側も「俺たち写真に撮る必要ある?」とか思ってるかもしれない。

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 「いづくまで ゆく鴨ならむ 夕波の 高まる沖に 一羽なやめる」という中河幹子の石碑近くにいた水鳥達。この詩の近くに鴨がいるのいいなあ、と思っていたけど、どうやら鴨じゃなかった。キンクロハジロだと思っていたが、母に聞くとオオバンというクイナ科の種類らしい。しかもよくよく考えたら「沖」って書いてあるし絶対違うわ。

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 今日はよく動物に会う日だった。 
 踊り子温泉会館に行くと、「今日の露天風呂はゆず湯です」という看板があり、冬至だったことを知る。昼のみかんと一緒にかぼちゃを買っておけばよかった。
 露天風呂はゆずの匂いで最高だった。


 作品が作りたくなってきた。
 明日は図書館に行って、資料を読もう。

チェキ









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