高嶋敏展「歩きたくなった」焼津4日目
朝から歩きたくなった。
小泉八雲が歩いたように港町を歩いて海岸に行こうと朝から決めた。
八雲が泳いだ海岸までは現代人の足にはちょっとした距離がある。
八雲通りには八雲の記念碑がある。
もう少し歩くと八雲が避暑に毎年訪れていた山口乙吉の家跡がある。
山口乙吉の家は現在は明治村に移築されている。後ろの家は空き家になっているがどなたが持ち主なんだろう。
所々に古い護岸がある。
これは明治時代のものだろうか?
地元で詳しいのは「ぬかや」の西藤五十一さんだと聞いたので訪ねてみる。
ぬかやさんは水産加工の製造販売をやってる。
有名な魚河岸シャツの仕掛け人の一人。
古い護岸の話しだけでなく、地元の津波や災害の話しまで詳しく教えてくれた。
歩く。
家が歯抜けになって駐車場になっていると空間がわかって面白い。
この幅ならと思って手を叩いてみるとフラッターエコー(竜の鳴き)が生まれて面白かった。
とにかく今日は海沿いに歩く。
堤防の向こうがどうなっているかはよくわからない。
とにかく歩く。
港に出た。ぬかやさんの話しでは当時は港はなく、松林を抜けて海に行ったはず。
川を渡る。
小さなお堂があったので寄ってみる。お供えものがたくさん。地元で大切にされている。ポケットにホテルの朝ご飯の時に部屋で飲もうと思って取っておいた紅茶のテーバッグがあったのでお供えしておいた。
海が見えた。
小泉八雲は長男の一雄をつれてここの海岸を訪れている。
途中のお茶屋でラムネを買って一休みというのがお約束のコースだったらしい。
昼すぎまで写真を撮ったり昼寝をしたりして過ごす。
石が波に転がって音を立てる。
八雲の書斎には焼津で拾った石が2,3個置いてあり、いつも焼津の海を懐かしんでいたという。
帰り道にお寺があったので墓地にまぎれこんでみる。
八雲の趣味は墓地の散策。
飾り気のないシンプルな墓石が多い。
焼津は京都や奈良のような目立った社寺があるわけでもない。
小泉八雲は焼津の海をただひたすらに愛した。
焼津の海はギリシャに似ているという人もアイルランドのトラモアに似ているという人もいる。
荒々しくてとても子どもを連れて海水浴をするような場所ではないと思うんだけれど。
さて、旅も中盤。
天気は今日までだというが、さて、写真はなかなか撮れないがどうするかな。