2021年10月、マイクロ・アート・ワーケーションの旅人募集を目にした。マイクロ・アート・ワーケーション、この三つの言葉はそれぞれ単体ではよく使われるが、三つが組み合わさって一つの言葉になっていることがとても新鮮だった。そして、参加者やアーティストではなく「旅人」を募集しているという点も面白いと思った。

 かつて大学で美術を学んでいた頃、アーティストになるためには「就職したら負け」「海外に出て行ってなんぼ」そんなことを度々耳にしてきた。そうとは限らないとわかっていたが、一方で憧れのアーティストたちの多くがそんなふうにしてアートの出世街道を歩み、活躍してきたという事実も知っている。だから私も、学校を離れた後も、なんとかアート界に接点を持ち続けようとアーティストのアシスタントをしたり、地元のアーティスト・イン・レジデンスで滞在制作したり、奨学金を受けて中国の美術大学に進学したりしてきた。

 しかし新型コロナウイルス流行が始まった2020年2月以降、かつて私が思い描いていた「アーティストとして生きること」の理想や希望がガタガタ崩れ落ちていった。コロナ以前に在学していた中国の大学にも戻れなくなってしまった。中国のアトリエや寮に、作品や道具、お気に入りの本や洋服、いろいろなものがほったらかしになっているが、私には何もできない。この虚しさも作品に昇華できたらと何度も思ったが、なかなか行動に移せなかった。どうしようもなさや不安、絶望感、焦燥感、あらゆるネガティヴな感情が自分の中で渦巻く苦しい時期が続いた。


 「アーティストとは、アートをやめなかった人のこと」。誰かに教えられたわけではないけれど、心の中でそう思い続けてきた自分がいた。はじめその言葉は自分を鼓舞するためのメッセージとしていたが、コロナ以降「アートをやめる、やめない」という価値観や「アーティスト」という言葉が指すものについて考えるのが苦痛になってしまった。

 そんな暗い気持ちで過ごしていたところに、マイクロ・アート・ワーケーションの募集情報を見つけたのだった。「このマイクロ・アート・ワーケーションなら、こんなに落ち込んだ私でも受け入れてもらえるかもしれない」と希望が持てた。私はこのマイクロ・アート・ワーケーションの「やさしさ」応募する前から、旅の始まり、そして旅の終わりまで励まされてきた。


 世界、日本各地にあるアーティストインレジデンスは長期滞在や展覧会開催が必須というような条件が多く、「参加したい」という熱い思いがあっても、実際は仕事や家庭が足かせとなって応募すら諦めてしまう人が多いと思う。アーティスト業を最優先できる人にのみ開かれたチャンスでしかないと感じてしまうことがある。しかしマイクロ・アート・ワーケーションは「旅人」となるチャンスを多くの人に向けて、両手を広げて歓迎してくれていた。

 私は浜松市で生まれ育ち、大学時代は中国の浙江省杭州市で過ごした。中国では新しい高層ビルや鉄道が次々と建設され、脅威のスピードで生活が都市化・デジタル化していくのを目の当たりにしてきた。静岡も中国の都市部のような目紛しい変化はなくとも、それぞれの地域に暮らす人々は日々入れ替わり、自然環境も少しずつ変容し続けている。ある日突然、地震や台風、土砂災害でそこに暮らすことすらできなることだってあるし、ある時を境に人々の価値観がガラリと変わることだってある。


 でも、それぞれの地域には「変わらない何か」あるいは「守り続けたい何か」があるはずだ。それは建造物や自然環境、祭りや伝統行事、方言や言い伝えだったりするかもしれないし、目には見えない精神的なものも含まれるだろう。その地域で大切にしていきたいものは一体何なのかを話し合ったり、探しあったりし続けることができたら、それは地域の大きな活力になると思う。そしてもし、そこにアートが関わることができたのなら、協働することや視聴覚化すること、共有・発信すること、保存することをアートがゆるやかに繋げることができると考える。

 つかみどころ、よりどころを見つけ出すのが難しい世の中だからこそ、今一度アートができること、私がアートを通してできることを考え、少しずつ進んでいきたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?