見出し画像

たとえれば夏、18時頃の空の色

 わたしはちょうど1年前の夏からおよそ半年間、ずっとひとりで小説ばかりを書いていた。誰にも見せないつもりのものを、ひたすらに。
 朝から晩まで情景描写をこねくりまわし、主人公を自分の中に憑依させては彼女の気持ちを考える。あらゆるところに伏線を張り、書き進めながら今後の話を組み立てる。

 ちょうど1月半ば頃まで、毎日そうして生きていた。以降はまったく小説なんて書けていない。ちびちびリライトしながらnoteで連載しているくらいのものだ。しかもめちゃくちゃ亀更新。

 だから最近、自分の書いた文章のうち、“芸術” っぽいものたちが徐々に衰えてきた気がしている。これはわたしの手応え的な観点で。
 noteを始めたばかりの頃より、明らかに何か足りていない。エッセイがただのエッセイだ。あとから読んで我ながら「好き」と思えるような表現力に欠けている。

 ああいうふうに物語を書かなくなって半年くらいが経ったこと。Webライターの仕事を5ヶ月継続してきて、“装飾” なしの文章にかなり慣れたこと。
 十中八九、これらが大きく影響している。良い意味でも悪い意味でも、わたしの言葉の用途はかなり変化した。

 当時の小説、3月初旬のnoteを読んでは「今この表現、自分の中から出てくるか?」と思ってしまう。“情報” でなく “芸術” としての文章のほうが好きなわたしは、そんな事実がいたく寂しい。

 でもこればかりは仕方がないし、抗えない。文章以外のことであっても空白期間が長く続けば当然腕は落ちてゆく。この現状を何とかするには、再び継続するしかない。

 綺麗なものが書きたいです。
 もっと綺麗な、優しい彩度の。

 ちょうど今の時間の空色、西から零れるやわい光に近しいものを。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?