だからわたしは就活をしない
大学3年生の3月、就活ではなくnoteを始めた。「文章を書きたい」と思ったからだ。
半年前から周りのみんなは企業研究や自己分析を進めている。その間もわたしはずっと1人で黙々と物語などを書いたりしていた。週に3日、息抜き代わりのアルバイトをし、あとの時間はひたすら書く。そんな変わり映えのない生活が気づけば最高に楽しいものになっていた。
「自分は就活をしないのかもしれない」と、ぼんやり思い始めたのは何も今しがたのことじゃない。高校卒業後の進路を決める夏あたりからおそらく兆しはあった気がする。
わたしは好きなロックバンドへの憧れから音楽の専門学校や、得意だった英語を活かせる職業に就くための学校に行こうとした。担任教師と母親は口を揃えて「大学に行け」と説得した。
結果としてわたしは言われた通り大学生になったけど、それは心の底から志望できるところに出会えたからのこと。自ら望んで、己の意志でここに来た。
そういう選択、つまり自分にとって“最高”の選択ができたとき、わたしの目には必ず「未来」が映っている。気持ち良いほどの合格をして、意気揚々と通学している自分の未来。当時のわたしは受験勉強に取り組みながら、そんな姿が疾うにはっきり頭の中で見えていた。
そしてこの「未来」の透視は、わたしが「就活をしない」という選択に至った最大の理由でもある。
黒いリクルートスーツに身を包み、内定をもらうために日々奔走する自分の姿が全くもって想像できない。明朗快活に志望動機を話すイメージが湧いてこない。週5日間、新入社員を務める「未来」が映ってくれない。
つまり「就活をする」選択はわたしにとっての“最高”じゃない。
だからみんなが就活をしている間、わたしはせっせと文章を書くことにした。就活はしないとしても働きたくないわけではないから、文章を書く仕事がしたい。今みたいに、執筆を生活の中心に置いていたい。
とりあえずnoteと一緒にクラウドソーシングを始めた。頭の中から出た文章がお金となって喉を潤し、お腹を満たす。それは初めての経験で何だか不思議な心地がした。「誰かに届ける文章」を新たな形で体感できた。
アルバイトも出版社のアシスタントに変えてみたって良いだろう。労働時間は今より大幅に増えそうだけど、別の角度から文章に携わることは必ずわたしの力になる。
他に言うならちょっと詩的な植物図鑑も作ってみたい。こことはまた違った場所でブログを開き、植物たちの花言葉や言い伝えをロマンチックに紹介する。少し息抜き代わりになりそう。
ちなみに就活をしないことは親にも既に話してある。当然反対されているけどそれでも良い。わたしの進路が周囲から全面賛成されたことなど1度もないから。
高校受験は実力よりもかなり下の学校を第1志望し、入学した後も「もったいない」と言われ続けた。心の底から行く気になった大学でさえ、1人暮らし必須の私立校だったせいで「親不孝だ」と祖父に言われた。
春風、北風、木枯らしよりも向かい風が強いだろう。だけどわたしは自分の思う“最高”をいつも貫いてきたし、それが何より幸せだった。
己の選択が己の人生をダメにすることは絶対ない。そう信じて今年は1年、進んでみようと思っている。
とはいえ優先的に書くべき文章は卒業論文です。
頑張れわたし、頑張れ大学4年生。
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