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パズル遊びから見えたこと
私は、答えを早く求めすぎる傾向があって
何を取り組んでも完成を早く求める傾向にありました。
早くこなせるようになりたい
早くクリアしてやりたい
といった感覚です。
探しているものがすぐに見つからないとイライラしてしまう、やるべきことを早く済ませたい、等せっかちと呼ばれていたのも納得です。
やがてそんなことから、せかせかと生き急ぐような感覚が習慣になっていってしまっていました。
時間にゆとりがなかったので、食事も作業のような扱いになっていたり
何もなくてもゆっくりと歩いているひとを邪魔に感じてしまったりといった具合でした。
好きなことに対しては練習を重ねるのが嫌いというわけではなかったのですが、何でも答えや結果を早く欲しがってしまう傾向があったので
コツコツとした作業のようなものが苦手なのです。
そのような私なのですが、
時間にゆとりがある今ふとしたことがきっかけで
パズルをやってみようと思い購入しました。
子ども時代ぶりにしたパズルをとおして感じたことを今日は話したいと思います。
パズルのピースをつなげていく時、最初は何もない額縁の白に「最後まで仕上がるかな…」と思い、少しゴールの見えない途方もなさを感じました。
分からないなりにも、手に取ったピースをお手本の絵を見ながら照らし合わせていくちまちまとした時間が続き、
3-4割仕上がって来たところから楽しくなってきて、大きなピースとピースがぴったりと合った時は達成感と『パチッ』という音に気分が上がりました。
パズルのピースには、大まかに『この辺りだろうなぁ』というところまでは分かるものの、なぜかピッタリした箇所が見つからないなんてこともあるのですが、
向きを変えたり近くの位置に合わせてみて探していったり、全く違うところに合った!こんなところだったのか!ということも込みで、楽しかったです。
ピースとにらめっこしながら数十年ぶりにジグソーパズルを心ゆくまで取り組んでみて
色々とピースのゆくえが予想とは違ったけれど、なんか完成したし楽しかった!という感想に至りました。
このパズルの組み立て過程は
一筋縄ではいかない予測のつかないところが人生と少し似ているなと思ったのですが
やはり、少しずつ絵が繋がって来て…というところが体感的にいちばん楽しかったです。
これまで見えなかった景色が見えてピタッと形になって来た時、やはりやりがいというか嬉しさが込み上げて来ることや、やり始めてしまうと割と勢いに乗って仕上げられると分かったことが
やってみて良かったなと思えました。
ちまちまとした最初の時間も、いやいやするのではなく、子どもに戻った気分でどこかな〜?なんて歌いながらやってみると楽しかったです。
どんなことに取り組むにも、
最初は何もない真っ白なところからスタートし
少しずつ時間と回数を重ね『感覚を自分の身につけて』いくということを思い出しました。
知人から教わったことなのですが、
日本ではパズルを組み立てていく過程とその後の完成品としての結果を楽しみ、
海外ではパズルを組み立てていく過程そのもののみを楽しむのだそうです。
なので日本では額縁にセットをしてお部屋に飾ったりしますが、
海外ではすぐにまたバラして組み立てる遊びとして楽しむのだそうです。
思い返せば、小さい子は積み上げた積み木や砂場をひたすら壊すことを楽しいと感じ、何回も何回も壊すということで遊んだりします。
私たちはいつの間にか、『壊す』ということへの抵抗が大きくなりすぎて
何かこれまで所有してきた価値観や習慣になっている物事を「手放す」「辞める」「崩す」ことが簡単に出来なくなっていっている気がします。
大人になるにつれ、自分を守りすぎるのだと思います。
だけど、何かを『変える』とき最初にするのはこの、『手放す』『辞める』『崩す』ことです。
いつの間にか必要以上に持ちすぎた荷物が、自分を苦しめていることはよくあることだと思います。
私は、周りからの自分のイメージ像みたいなものが、自分を勝手に縛りつけて疲弊していました。
だけど、これをしていたのは紛れもなく『自分』だったのでがこの執着を手放し、勝手な妄想を辞めて
他人からのイメージが崩れてもいいやと自己像を捨てるだけだったのです。
自分でしていたのだから、自分で気付いて自分が変わることでしか、荷物は減らせない。
特に思考や精神面のものは、見えないので分かりづらく気付き難いですが、
自分で気付いていくしかない。
だけど逆に言うと
自分で勝手に変えられるし、変えて良いのです。
その最初にやっぱり『捨てる』というステップを通して、自分のことがよく見えて来ますし、
自分のことを知っていくのは、幾つになってもとても楽しいです。
パズルの話をしましたが、
日常のご飯やお風呂、洗濯、ただ歩くことなど
どんなことでも作業だと思いながらするのか、
楽しんで取り組むかは自分で決められるのだなと気付きました。
その『今、楽しい』体感が長いほうが、先の人生はどんどん楽しくなっていくのだと思います。
今回はパズルをとおして
『過程』を楽しめるか?を人生から
今一度、改めて提示されている気がしました。
大人になるとついつい、意味や結果ばかり求めてあらゆることを「楽しめない」ようになっていってしまいますが、
楽しんだ過程の体感時間こそが自分の血肉となって、経験として『これから』に活かせるのだから、ゆくゆくは結果にもつながるのです。
小さい頃は誰もが遊ぶ天才だったはずです。
ただ目の前の景色をどれだけ楽しめるか?
それが地続きに続いた先に、結果は見えて来るのだから
それまでの期間だって楽しんだらいいじゃんって思えました。
今日は考え方・感じ方のお話になりましたが、
私がこういった考えと見方に至ったのは
体を整えることを習慣にしたことと、
『休むこと』生活と体を『緩めること』を始めたからです。
休息、ダラけることや緩めることはバカにできないなと私自身、ここ数年間で痛感しています。
このゆるりとした休息の時間がなかったら
今回のパズルをやってみようと思いつくことすらなかったからです。
休むことが出来ていなかった私の体と心を、
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不調の根本原因=“内臓(子宮)下垂”について
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今では、快調な体と軽やかな心でパズルのピースがぴたっと合った時のような、小さな達成感と口角の上がる気持ちですごせる毎日が最高にしあわせです。
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