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苦しくて、孤独で、居場所がなくて

昼にこんな投稿をしました。

なんとかなりたい
なんとかなるって信じてるよ、

宮崎駿さんのプロフェッショナル仕事の流儀を観て、ぼろぼろと泣きました。父に「あなたみたいな人こそが見るべきだ」と言われて配信で見ました。

以外、ひとりごと(読まなくてもよい)

なんかやっぱり生きるって、生活するってつらくて。
今朝は布団の中でひたすら「死に方」「死ぬ方法」を検索していました。ひたすらスクロールしていて、きっとどこかで救いを求めているんだろうなと思いました。ここまでいろんなことを感じ取ってしまうのも、まあまあつらいですね。
人と衝突するのも嫌だし、体力使うし、わかってもらいたいと自分から戦いに行こうとは思わない。私にも充分言えることだけど、やっぱり体験しないとわからないことはあって。私は精神を病んでいるからこそ、寂しかったり孤独だったり、息がしにくい人たちの気持ちがわずかにわかるのかもしれないと思って。だからほんのわずかでも絵やぬいぐるみ、本などで何か救いになりたいとも思ったりもする。わからない人とわかりあうというのはかなり難しい。いろんなことをもう諦めつつある。

無理な人と無理に関わる必要もない、自分を嫌っている人と無理に仲良くなろうとしなくてもいい。関わりたいと思ってくれている人、応援してくれている人、そばにいてくれる人、それだけでいいはず。といいつつも、ラインでSOSを伝えられる人がなかなかいないからそんなん綺麗事かと思ったり。

つらいね。
とにかく今はひとつひとつと、ちょっとずつ向き合って、なんとか、なんとなく生き延びれたらと願うばかりです。

重い、重すぎる文面、失礼しました。
本当、たまに吐き出さないと本当にしんでしまう。

昼の投稿

夜はこんな投稿をしました。

やさしいお言葉、ありがとうございました。

また以外ひとりごと(読まなくてもよし)

私の好きな作家さんの一人に、雨宮まみさんがいます。
23〜25歳ぐらいだったでしょうか。その時も過食症や自分の見た目の醜さに嫌気がさし、何かネットで検索したらたまたま雨宮まみさんの連載「穴の底でお待ちしています」を見つけてなんとなく読みました。文面でのやり取りであるのに毎回、雨宮さんはその投稿者さんに合わせてお茶を出すという不思議な始まりの連載でした(今もネットでその連載は残っていて読むことができます)。その連載に容姿についての相談があり、当時とても救われたのをよく覚えています。
雨宮まみさんはもう亡くなっており、私はぼんやりと悲しい、寂しいと一読者として思っていました。

今日、自分がどうしてこんなに苦しいのか、どうしてこんなことを思うのかはっきり知りたくて、とあるテーマに対するいろんな記事やコラム、連載を読みました。そこで再び雨宮まみさんの連載やコラムに出会いました。彼女は、私が今まさに悩んでいるテーマについて、いろんな本を出し、いろんな連載をやっていました。昔、雨宮さんを知り始めた頃には出会わなかったブログの存在を今知り、読みました。死にたくなる夜のことについて、書いてありました。それを読んで涙が止まらず、どうして死んでしまったんですかと素直に思いました。矛盾しているけど、しにたい気持ちはよくわかる。でも雨宮さんには生きていてほしかった、と思ってしまいました。そう思う人も少なからずいたのではないでしょうか。かなりファンの多い作家さんでもあったみたいです。それだけ救われた人がたくさんいたのだと思います。

昼に書いた私の投稿、文章。
夕方ぐらいにアーカイブ(非公開の場所)に移動しました。あまりに醜くて、嫌われるのがこわくて。でも投稿を元の場所に戻すことにしました。私が雨宮まみさんに救われたように、私もいろんなものを残すことで誰かを救える、なんてそこまで思ってはないけども、誰かに自分だけじゃないんだと思ってもらえたら良いかなと。まあ私如きがとは思うんですけども。

とりあえず今日は雨宮まみさんの連載や本を読みながら過ごそうと思っています。先のことは考えず、今も深く考えずに。

お騒がせしました。
今日はなんとなく夜空がとても綺麗に見えました。
ではまた。

夜の投稿

とりあえず今日は本を読んで寝ます。
おやすみなさい。

サポートは よく飲む紅茶代、創作代とさせていただきます。