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2024年のはじまり

2024年1月1日🎍
家族で来ていた地元北陸の山中温泉。
1人でお風呂に浸かりながら、自然を見てのんびりしながら決意した。

”今年こそ、何か人生を一歩変えたい”

お風呂から出て、1人で温泉街をぶらぶらしてみた。
元旦ということで、やっているお店もほぼなく観光客もまばら。少し残ってる雪をふみふみして懐かしさを感じながら、友達からのLINEを返しのんびりお散歩。
お仕事どうしよう。
何かを変えてイキイキしたいな。
今年こそ結婚したいなあ。
そんなことを考えて歩いていた日。
能登半島地震が来た。

携帯の緊急地震速報がなり、周囲の知らない観光客の人たちと、目を合わせた。ゴゴゴゴッと地響きのような音が鳴り地面が揺れた。
山間の温泉街。山が崩れたらどうしよう。
東日本大震災や、ここ数年の災害の映像が頭をよぎった。
周囲の観光客の人とすぐに宿に戻ろうと声を掛け合い宿泊先の宿に戻ると、両親の地元能登半島を震源とする大地震が起きていた。
TVの中で、とにかく、すごいことになっていた。

地震が起こる6分前に撮影した温泉街の写真

石川県珠洲市は、両親の故郷であり親戚が今も住んでいる思い出の地だ。
子供の頃、毎年夏は祖父母の家に行き、美味しい祖母が作った魚料理を家族みんなで食べ、海に泳ぎに行き、従兄弟とお祭りをみた。

9年前母が亡くなってからは、お盆やお正月の休みになったら石川に帰り、1人で暮らす祖母の珠洲の家に泊まりに行くこともあった。
一緒に近所の神社に初詣に行った。
特別大きな観光施設がある場所では決してないけど
私にとってたくさんの、何気ない日常の思い出がたくさんある場所。
母がいなくて寂しいと素直に言える場所であり、母の思い出を語れる場所がそこだった。

ニュースで流れる思い出の場所の映像は見るだけで辛かった。温泉どころじゃない、でも貴重な家族で過ごす時間。気持ちが忙しなかった。

幸いなことに、親戚全員助かった。
しかし津波で叔母の家は住めなくなった。
家族で過ごした大好きな思い出が、災害で汚されたような気持ちになった。
10ヶ月以上経つ今、能登を離れたくない親戚は
前を向いて新生活を少しずつ始めている。

9月の豪雨でまた能登半島が被害にあった。
都会に比べて何もない場所かもしれないけど、たくさんの人が今も毎日前を向いて生きてる。
元気?って伯母と叔父が今日は電話をくれた。
自分たちの暮らしが大変なのに、ありがとうが溢れる。

石川を離れ暮らしていると、報道されることも少なくなり、すでに能登は忘れ去られかけているように感じる。
でも、全国のどこかで、人でも多くの人が、能登に想いを馳せてくれるといいなと感じる今日この頃。

さあ、あと2024年も残りわずか。
どう過ごそうか。

mico☀️

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