【日記】2000円の本を買う
ご無沙汰しております。とても久しぶりになってしまいました。
いろいろと、読んだ本の感想など書きたいなと思っていながら、なかなか文章がまとまらず滞っています。
今日は日記です。
ちょっと前に、X(旧Twitter)で、とある編集者の方が「どんな本だったら2,000円でも買いたいですか?」という内容のポストをしていました。
たまたま目にしたそのポストをなんとなく眺めていただけで、特にブックマークなどもしていなかったので後からは探し出せなかったのですが、そのポストを探そうと検索していたら、どうやら「2,000円の本は高いか」論争なるものが起こっていたんですね。最近ネットでは自分が欲しい情報以外は入ってこないようにしていたので知りませんでした。それで、その編集者の方はああいうポストをしたのか、と合点がいきました。
2,000円の本が高いかは後で考えるとして、「どんな本なら2,000円でも買おうと思えるか」を考えたとき、たまたま先日2,000円超する本を買ったなあと思ったので、そのことを書こうと思います。
買った本はこちら。
この雑誌が発売されたときもいくつかの書店さんがネット上で紹介をしており、書影を見たときはお恥ずかしながら農業雑誌なのかな? と思っていました。すみません。
久々に紹介ページをお見掛けし、上の一文にグッサリ刺さったので、公式HPにあった取扱店マップをもとに、ちょうど名古屋に行く日が近かったこともあり、TOUTEN BOOKSTOREさんにお伺いすることにしました。
余談ですが、この取扱店マップ、行ってみたい書店マップとしても活用できそう…!
こちらの本が1冊3,150円です。雑誌にしては高いかな、とは思うものの、限定6,966部発行、再版なしということなので、出会ったときに買っておかないと後から後悔しそう、ということで購入しました。シリアルナンバー入りで、ひとつひとつに手がかけられている感じ。大量生産、大量廃棄の世の中で、これは面白い取り組みだな、と思いました。
この発行部数だったらこのお値段も相応なのかな。
せっかくなので店内をうろうろしていたときに出会ったもう1冊がこちら。
絲綴さんという庄内刺し子作家さんのリトルプレスだそう。
最近、趣味でちくちくと刺し子を始めたので、へえ、刺し子の本か~と軽い気持ちで手にとってびっくり。綴じ方のこのセンス。刺し子の本ならでは。
また、中に刺し子をした布(実物)もつけられています。
日本語だけでなく英文でも綴られているので、刺し子に興味を持った海外の方にも響きそう…!
なにより、introductionで投げかけられる、モノのあふれる現代、そのモノに対する関わりのありかたについての一文で、グっと共感し、正直、お値段も見ずに他数冊と一緒にお会計へ。
お支払いしながら、いや~本って高いけど、頑張って働こ…と思ったのでした。
ちなみにこちらの本は1冊2,000円でした。(値札、ちゃんとありました)
リトルプレスですし、これだけ手の込んだ作りなら、するでしょう2,000円。
この素敵な綴じ方も、よくみると玉止めがしてあるんです。お手製でしょうか…!?
正直、こちらに関しても、ここでしか二度と出会えないだろうという気がしたので、迷わず購入です。
どちらの本も、共通して言えるのが、共感できる思いがあったこと、一期一会を大事にしたこと、が決め手だったのではないかな、と思います。
ですので、冒頭で書いた編集者の方の「どんな本だったら2,000円でも買いたいか?」の私なりの答えはこの2つかな、と。他ではあまり出会えない内容だったり、今しか手にできない、自分にとっての希少性なのかな、という気がします。
2,000円の本が高いかどうか、の論争の話でいうと、たぶんそれは人それぞれなのではないかな、と。論争しても、結論はでないものかと思いますが、どうなのでしょう。三度の飯より本が好き! という人なら、飲み代より安いよ、と思って買えるのでしょうし、月のお小遣いの予算が5,000円しかないよ、という人にしたら高いと感じるのだと思います。
私だったら、好きな本でしたら買ってしまうし、参考にしたい本や一度読んでみたいと思うような本だったら図書館で借りてみて、手元に置いて置きたいくらい気に入ったら買っています。
最近は本の物々交換がとても気になります。
いつも日程が合わなくて参加できずじまいですが、皆さんがどんな本をもって来られるのか興味津々です。
それにしても近頃、めまぐるしくないですか。情報、多すぎませんか。
好きな人やお店の情報が欲しくてつながるSNSも、オススメとか広告で不必要な情報を押し付けすぎじゃないですか。(こちらはカスタマイズしていよいよ動物関連のポストばかりになってきたので少し安泰にはなりましたが)
ネットの広告、購買意欲をあおりすぎじゃないですか。
そう、情報に煽られすぎている。そんな気がします。
私が昭和の生まれだからそう思うのか、現代っ子は慣れっ子なんでしょうか。
ネットニュースは悪意を増幅させている気がするし、テレビのニュースもなにも正しくないんだな、これは情報操作の箱なのか…と思うと、テレビは不要品になり、早々に処分してしまいました。なるべく一方的な情報は受け取らないようにしよう、と心がけ、ほしいものだけ取りに行けば、現代は昔に比べてそれは便利だなと思います。
現代でなければ、得られなかった情報もあるでしょうし、その情報が行動のきっかけになったことも多々あります。
便利さも一長一短だな、と感じます。
ただ、やはり便利に慣れてしまった自分もいます。
あふれる情報の取捨選択をしていかなければ、と思います。
モノに関しては、やはり生活が苦しい時期があったこともあって、そのころはとにかく安さを重視していました。安いこと、それがだめだとは思いません。それで助けられたことも事実です。
ただ次から次へと消費を促されることについては、モノがただの消耗品の扱いで、無くなったら替えがきく、ダメになったら捨てたらいいよ、みたいに思えてしまい、しんどくなってしまう。疲れてしまうのです。なぜだか。
仕事が変わった関係で、とにかく人の足りていない部署にいるせいか、ここ数年は本当に仕事が忙しく、時間に追われる毎日で、食事をはじめとする「つくる」ことから遠ざかってしまった気がします。
そんな中で、ある日ものをつくるワークショップに参加したことをきっかけに、「つくる」っていいな、これがモノに愛着がわくってことか、と気づきました。大事に使おうと思うこと、綻んだら繕おうと思うこと、だんだんと、同じようにモノにたいしてもっと愛着を持ちたい、最後まで大切に使うことができたら、と思うようになりました。
モノを選ぶときの見方も、長く使いたいものに関しては、愛着がわくかどうか、に変わってきたように思います。自分でつくってみたら、どうだろう、と、実際につくる時間はなくとも、つくることに思いをはせる時間が好きです。いつか、つくることを老後の楽しみにしようかな。なんて思います。
話がだいぶそれましたが、今回購入した2冊が、わりとこのことに近いテーマを扱っていたように思います。
本になる、ということは、それだけ共感する人がいるということなのかな。
押し付けられる広告の価値観より、自分の価値観を大事にしていきたいし、同じような価値観を持った人が少数ながらいるということが心強いな、と思うのでした。