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Palantirが想像以上にSIerだった件

ソフトウェア企業のIPOとしては史上最高額をつけたSnowflakeをはじめとして、Asana、Sumo Logic、Unityなど、2020年の秋はコロナ禍を受けた前半の鬱憤を晴らすかのように、ソフトウェア企業のIPOラッシュとなった。多くがクラウドの機動性を活かしたモダンなSaaSで、スケーラビリティのあるビジネスモデルで急成長を遂げた企業である。その中に一社、異彩を放つ企業がある。

Palantir – Paypal創業者ピーター・ティールが率いるデータ解析企業である。Palantirは、その極端な秘密主義とペンタゴンやCIAとの強い結びつきによって、様々な「神話」のヴェールを纏っている。ビンラディンの居場所を特定するのに決定的な役割を果たした(Palantirはこの噂を否定も肯定もしていない)とか、バーニー・マドフの逮捕に貢献したというのは、よく語られるエピソードだ。

Palantirは創業以来、長らく財務諸表や事業内容について秘密にしてきたが、上場のために必要となる上場目論見書(S-1)によって、初めて詳細な内部データを公開した。これはPalantir自身がSEC(証券取引委員会)に提出したので、虚偽記載はまずありえない、事実性の高い資料である。このS-1を主な典拠として、Palantirの秘密のヴェールの内側を覗いてみよう、というのが本稿の趣旨である。

なお、本稿はニュースサイト「Axion」の吉田拓史氏の記事に多くの示唆をいただいている。いわば「後追い記事」であるが、後半で筆者独自の視点も提供できると思う。いずれにせよ併読をお勧めする。

ペンタゴンのSIer

まず、S-1の財務諸表からPalantirのビジネスモデルを探ってみたい。Palantirの収益構造には、非常に特徴的な点がある。

1) 赤字上場
Palantirは創業後17年間、一度も利益を上げていない。昨年の赤字は$579.6M。これ自体はユニコーンには珍しいことではなく、多くの企業が上場後の「エクスポーネンシャル・グロース」を謳って投資家と証券会社を説得するのはよくある。しかし、Palantirのコスト構造には、他のソフトウェア企業と異なる大きな特徴がある。

2) 販売・マーケティング費が多い
PalantirのP/Lを見ると最も驚くのが、Sales & Marketing比率の高さである。IT企業にもかかわらず、研究開発費よりも多い$450.1Mを費やしている。

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S-1に記載されているP/L。赤枠が営業、青枠がR&D

Palantirには宣伝・広報のチームが存在しないため、ほぼすべて営業費と考えてよい。これは、Palantirのソフトウェアが非常に高額であるため、セールスにマンパワーを動員しなければならないことを意味している。事実、PalantirのCEOアレックス・カープは、売り上げが1億ドル(110億円)以上を見込める顧客しか相手にしないと述べている。Palantirの顧客は政府を別にすればBank of America、Walmart、ドイツ銀行、アクサなど世界的大企業ばかりである。中小企業が気軽に使えるサブスクではない。

Palantirのソフトウェアが高額な理由は、同社が販売する製品がOne-to-Manyのパッケージではなく、連邦政府のオンプレ環境でも動作する一品ものを作りこんでいるからだ。多くのSaaSベンダは、標準的ソフトウェアをカスタマイズせず導入するスケーラビリティのあるビジネスモデルを志向する。Palantirは逆だ。ペンタゴンやCIAなど機密性の高い情報を扱う政府機関には、そもそも環境がクラウドではないケースも多い。そこに泥臭くつきあっていくのがPalantirの戦略だ。

Palantir自身、設立が2003年とけっこう古く、まだクラウドがない時代のソフトウェア・アーキテクチャを引きずっていることも想定される(AWSのサービス開始は2004年)。その証拠に、S-1には次のような記述がある。

当社の業績の改善は、主に収益の増加と、当社のソフトウェア・プラットフォームのインストールと展開に必要なソフトウェア・エンジニアの時間と人数の大幅な減少によってもたらされました。
特に、当社のソフトウェアをインストールしてお客様との作業を開始するのに必要な時間は、2019年第2四半期から5倍以上に短縮され、2020年第2四半期には平均14日となりました。場合によっては、当社のお客様が6時間で稼働できるようになりました。

なんだこれは、と思わないだろうか。ソフトウェアのインストールにかかる日数が14日に短縮されたことを誇っているのだ。いったいこれはどこのSIerの話なのか。「ソフトウェアのインストールにかかるエンジニア工数を減らしてコスト削減できたわ」って・・・神秘的な謎の企業と思っていたPalantirに、急に親近感が湧いてこないだろうか。きっとPalantirのエンジニアたちは、ペンタゴンのオンプレで動くサポート切れのWindowsにソフトをインストールしようとして出てくる謎のエラーメッセージと格闘しているのだ(驚くかもしれないが、2017年のレポートによれば、ペンタゴンではまだWindows 95が現役である)。

真面目な話をすると、Palantirは自覚的に、オーダーメイドの作りこみこそ至高という時代に逆行する信念を持っている。再び、S-1から引用する。

アルファ対ベータ
パッケージ化されたソフトウェアは、標準化されたニーズを満たすように設計される傾向があります。しかし、コモディティ化されたソリューションは、市場に追いついていくこと、つまりベータ版がゴールである場合にのみ、十分なものとなります。差別化された価値、つまりアルファを生み出す時には、典型的なパッケージ・ソフトウェアでは不十分であると私たちは考えています。独自のリソースを活用したり、競合他社が満たされていないニーズを発見したりしようとする企業には、単に定義されたベストプラクティスに準拠したソフトウェア以上のものが必要です。

確信犯なのである。すべてがサービス化していくこの時代において、Palantirは自覚的にその流れに抗しようとしている。

筆者は、この文章を読んだとき、少し感動をおぼえた。ティールはかつて、PaypalというFintechとSaaSを融合させた画期的サービスによってオンライン決済に革命を起こした。SaaSのスケーラビリティの威力を誰よりも深く知る人物である。その彼が、国のために最高の仕事をするには、泥臭い作りこみしかないと決断したのだ。もちろんこれは、ティールの潜在市場を見抜く鋭い嗅覚とセットになっている。次にそれを解説したい。

3) 政府機関との結びつきの強さ
Palantirは、もともと政府、特に軍事・諜報機関を明確な想定顧客としてスタートした。創業時にCIAのベンチャー・キャピタルであるIn-Q-Telから資金を得たことは有名な話である。現在においてもその傾向は変わっておらず、売り上げの50%以上を政府機関に依存する。しかもその依存度は年々高まっており、2019年から2020年の売り上げの伸びは、民間向けが27%だったのに対し、政府向けは76%である。会長のティールはトランプ政権の技術アドバイザーも務めており、政府との繋がりが強い(一般に米国のテック企業はリベラルの気風が強く、トランプ政権とは距離を取っている)。

連邦政府の視点から見ても、Palantirはありがたい存在である。連邦政府は多くのエンジニアを直接雇用しているとはいえ、AIエンジニアやデータサイエンティストのような高級人材を惹きつけるのは容易ではない。そうした人々は、シリコンバレーに来れば天井知らずの報酬を得られるので、敢えて政府で時代遅れの仕事をする理由がないからだ。Palantirは、政府のペインポイントを見抜き、高級人材派遣というビジネスモデルを開発したとも言える。

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Palantirの政府と民間の売り上げ内訳 (S-1より)

この政府べったりのビジネスモデルには、当然ながら時の政権の意向によって命運が左右されるという分かりやすいリスクがある。オバマ政権時代にもPalantirは人種差別を理由に政府から訴えられたことがあるが、再び民主党政権が成立すればパージされる危険がある。たとえば、バイデン政権は、不法移民を敵視したトランプ政権との違いをアピールするため、Palantirが請け負っている移民税関捜査局(ICE)の仕事が亡命希望者や移民の人権侵害に寄与しているというアムネスティの批判を支持するかもしれない。また、民主党には、オカシオ-コルテスのようにPalantirのコーポレート・ガバナンスに疑問を持つ有力な議員もおり、これまでのように政府関連の仕事を受注できなくなる可能性がある。彼女は現在、「トランプの追従者をリストアップしろ」と主張している。レッド・パージでもやるつもりだろうか。

実はこれが、このタイミングでPalantirがIPOに踏み切った理由の一つかもしれない。Palantirは今回、ダイレクト・リスティングという最近流行の方法で上場を行った。このスキームでは、新規株式の発行を行わず、創業者や社員などインサイダーが持っている既存株式を売却することができる。Palantirは、トランプ失脚に備えて、これまで会社に貢献してくれた社員が株を売れるようにして報いることを選んだ、という推測は可能だ(Palantirの給与は高くても14万ドル程度で、シリコンバレーでは安月給に属する)。すでに共同創設者のティールとカープもIPO後に$400Mの株式を売却した。

経営陣が上場後に株を売却するのは、日本でも「長期的に会社を発展させていくつもりがない」サイン、いわゆる「上場ゴール」として敬遠される傾向があるが、米国でもそれは同じで、Palantirへの投資を警戒する声もある。経済誌Forbesも「Palantirは避けるべき」という記事を掲載している。

もっとも、Palantirが上場に初めて言及したのは2017年なので、「トランプの旗色が悪くなったから上場を決めた」というストーリーだけで説明できるかというと、怪しいところもある。ティールは自身をビジネスマンよりは投資家に向いていると公言しており、Paypalの時も会社売却後にあっさり退任して別の分野に興味を移したので、今回も「そろそろ別のことやるか」という気分になっただけかもしれない。一方、他に良い選択肢がなければペンタゴンはPalantirを使い続けるだろうという現実的な観測もあり、この帰趨はまだ分からない。

ところで、Palantirには日本のSOMPOと富士通が出資しており、特にSOMPOは500億円という巨額の出資を行ってジョイントベンチャーを立ち上げている。Palantirとしても、米国政府というパトロンを失った場合に備えて別の市場を探す必要があるので、日本に目を付けたのは別におかしなことではない(米国内でも、民間企業への販売を強化する方向ではある)。

しかし、すでに見たように、Palantirの強みはコンサルティングとインテグレーションという旧来のSIer的なところにあり、モダンなSaaSではない。SOMPOは、日本政府への販売を計画しているが、Palantirのソフトウェアをそのまま日本政府が利用するのは難しいと思われる。

候補とされるのは、米パランティア・テクノロジーズのAIを使ったデータ解析システム。政府関係者らは「防衛や安全保障、貿易管理などの分野でパランティアと話をしている」と語った。ドローンなど軍事転用可能な機器が急増し、日本では部品の流通状況の把握などが課題とされる。

まず、日本語データをPalantirのソフトウェアでそのまま扱えるとは思えないのでローカライズが必要だろう。Palantir自身が翻訳エンジンや多言語対応のNLPエンジンを持っているか分からないが、持っていない場合はサードパーティ製品を利用するのだろうか。また、どういうデータをどう活用するのかというグランドデザインは、政府職員と細かい協議を重ねて決めていく必要がある。サイロ化されたデータを集めてきてクレンジングする泥臭い「データ・インテグレーション」も必要になる。こうした実務レベルのタスクは、おそらく言語の壁やコンプライアンスの問題からPalantir のエンジニアが直接やるのは難しいのではないだろうか(その場合に備えて富士通が出資したのだ、という見方もできる)。

米軍のおさがりを日本政府が購入することは今に始まったことではないので、日米外交の潤滑油になればそれで充分、という割り切り方もあるかもしれないが、民主党から「トランプの追従者」と見られると扱いが難しくなるかもしれない。

それにしても、気になるのはなぜティールがこんな時代の流れに逆行するような軍事・諜報特化の高級SIというビジネスに賭けたのか、という点である。彼が逆張りを信条とする投資家であることは有名だが、4年ごとに会社の命運が大きく変わる不透明感のあるビジネスは、かじ取りが難しい。シリコンバレーで時代の最先端を作り上げた人物がやる価値のある仕事なのか? 最後に、その点について考えてみたい。

クリーブランドの落とし子

クリーブランドは米国没落の象徴そのものだ。 
(トーマス・ラッポルト『ピーター・ティール 世界を手にした「反逆の起業家」の野望』

2016年7月、ティールはオハイオ州クリーブランドで開かれた共和党の全国大会に出席した。大統領選に立候補したドナルド・トランプの支持を表明するためである。ティールは、子ども時代にクリーブランドに住んでいたことがある。当日の演説でも、かつてクリーブランドが米国中産階級のアメリカン・ドリームを体現していたこと、その夢が潰えてしまったこと、もう一度その夢を取り戻さねばならないことを熱弁した。

クリーブランドの共和党大会でトランプ支持を訴えるティール

クリーブランドというのは、ミシガン州のデトロイトと並んでラストベルトを代表する街だ。エリー湖のほとりに位置し、運河や鉄道の起点となる立地の良さも手伝い、かつては工業都市として栄えた。全米上位10位にもランクされる米国を代表する大都市だった。しかし現在はグローバリズムのあおりを受けて工場がなくなり、産業は衰退し人口流出も止まらない。トップに来るランキングといえば「全米危険な街トップ10」であり、Forbesからは「全米最もみじめな街」の称号まで与えられた。死にゆく街である。

ラストベルトと言われても、製造業がまだ生きている日本では想像しにくい。『ヒルビリー・エレジー』『ルポ トランプ王国』を読んでもらってもいいが、日本でもヒットしたドラマ『glee』の舞台がオハイオ州である。『glee』の舞台はクリーブランドよりさらに田舎町だが、あの閉塞感と惨めさが、米国人にはリアルに響く。『glee』の表向きのテーマは合唱の楽しさやスクールカーストだが、通奏低音として流れているのはラストベルトの衰退だ。実際、ドラマの中でも、レイチェル、カート、サンタナなど才覚ある若者たちはニューヨークへ出ていく。主人公の一人フィンが高校の同級生に向かって「お前らの半分はこのオハイオを出ていくことも出来ず、みじめな人生を送るだろう」と言い放つシーンは、残酷すぎる名場面だ。

筆者も、このクリーブランドに少しだけ縁がある。2010年代の前半に、通算で1年ほど滞在したことがある。冬は極寒で、夏はエリー湖から襲来する謎の羽虫に悩まされ、夜ごとにホームレスに「アジア人だろ、金出せ」と絡まれ、クレジットカードはスキミングされ、白人からは露骨な差別を受け、あまり良い思い出のある街ではない。もちろん日本人はほとんど住んでいない。これが超大国の底辺か・・・と暖房をいくら焚いても寒さの和らがない部屋で一人ガタガタ震えていたのを思い出す。

それだけに、トランプとティールが2016年に「クリーブランドを救う」と宣言したときは「本気なのか?」と疑った。最初は泡沫も泡沫のお笑い枠だったトランプを、大方の日本人と同様、筆者も真面目に考えてはいなかったが、この共和党大会の演説を聞いたときは驚いた。

そんなことが可能なのか? いったいどうやって?

そのプランはすぐに実行に移された。トランプはTPPを脱退し、ティールはソフトウェア技術を駆使して不法移民の取り締まりを始めた。これが本当に米国とラストベルトの復活に寄与するのか、筆者には分からなかったが、彼らは本気だった。S-1の冒頭には、シリコンバレーと技術コミュニティに対する決別の文章が掲載されている。西海岸のテック企業はユーザの思想や行動のデータをトラッキングし、それをどう換金するかに熱中している、当社はそのような価値観に与することはない、と。―― お前らに国が救えるものか、という静かな怒りの込められた文章だ。

そして分断との戦いは続く

2020年、オハイオ州は激戦のすえトランプ大統領が勝利した。しかし、地域別の結果を見ると、クリーブランドのあるCuyahoga郡は圧倒的にバイデン支持である。

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画像はNew York Timesより

クリーブランドは、トランプとティールを支持しなかった。4年前、二人を熱狂的に迎えた人々の多くが幻滅した。それが歓迎すべき事態かどうかは難しいところだ。バイデン政権はTPPに再加盟すると見られており、ラストベルトはますます苦しい状況に追い込まれていく可能性が高い。オカシオ-コルテス、サンダース、ウォーレンなど民主党左派は都市-地方の経済格差是正の取り組みを重視する可能性もあるが、左傾化を嫌う政権との内部抗争に勝てるかどうかは未知数だ。

敗北した共和党、ティール、そしてまだ見ぬ「ネクスト・トランプ」はどのような復活のプランを描くだろうか。今回はほぼトランプの信任投票の色合いを帯びてしまったが、本当に共和党と民主党が国の形をかけてぶつかり合うのは2024年の選挙だとも言われている。共和党は、もはやラストベルトのブルーカラー労働者の支持だけでは勝てない。今回支持を伸ばした黒人やヒスパニック層の取り込みも必要になる。新たな保守主義の形を模索することになるだろう。ティールもまた4年後、Palantirとは異なる形で米国の保守主義の陣営で米国を再生させる戦いに参戦している可能性は高いし、その姿を見られるのを今から楽しみにしている。

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