愚痴らせろ❗️

我が推しの板垣李光人くんが始球式を務めるということで、ソフトバンク公式Twitterにコメント動画がアップされた。引RTにはファンの「楽しみにしてます💕」などの応援コメントが並ぶ。

その中に一つ気になるコメントが。

「中性的、喋り方女性っぽいけど男性だよね?苦手だなぁ😅」

思わずプロフ欄を見る。フム、「独身のオッサン」か…。スーーーー(深く息を吸う)

推してる俳優が、顔が嫌い、声が無理、低身長嫌、性格悪そう、芝居が下手などの理由で嫌いと言われることは全然気にしない。だってそれは事実だから。その人がそう思ったならそう。見た目や表現が嫌いならそうですか、としか思わない。
私は何に怒っているのか、それは勝手にカテゴライズして、だから苦手だと言っていることだ。
李光人くんはそもそもジェンダーレスを自称していない。メイクをすることも、ドレスやフリルを纏うことも、ジェンダーへの反逆や社会への問いかけとかそんなんじゃなく、ただ好きだからやってる(んだと思う)。それを知らずにただ「男らしくないから」「女っぽいから」という理由でジェンダーレスにカテゴライズするな。安易にやって良いことではない。
仮に件の「独身のオッサン」が「喋り方が嫌い」とだけ言っていれば怒らなかった。なぜ怒っているか、彼が李光人くんを見て感じた女っぽさは、私に求められた女性らしさでもあるからだ。
社会から求められる「らしさ」の呪いから解放してくれたのは李光人くんだった。僕は勝手に好きなことやってるんで、皆さんも好きにしてくださいという奔放さに救われた。なのに、また呪いをかけられたような、逆戻りしたような、そんな絶望感があった。どうせ変わらないんだと悲しくなった。
そしてそのコメントを公式の場で出すこと。それがファンはもとより本人の目に入るとなぜ思わない?それを立派な批評だとでも思っているのか?なぜそのような、時代遅れで配慮に欠けた発言を堂々とできるのか?
李光人くんの中性的な装いや達観的な姿勢に違和感や不快感を覚えることはその人の自由だ。しかしそれをステレオタイプに当てはめて、「らしさ」を縛ることは本当に、違う。

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