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エンパスはカメレオン⁉️

「心の自殺」そろそろやめませんか。

これはエンパスの特徴なのか、はたまた巫女体質の影響なのかはっきりとした区別が私にはわからないのですが、久々にやってしまいました。

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ずっと不思議だったことがあるんです。
例えば5人の友達に別々に会うとすると、私は5パターンのキャラになる。ちょっとやんちゃな友達の前では私もちょっとやんちゃな感じ。清楚な友達と会う時はお上品な私。繊細な友達に会う私はより一層繊細に…

その中のどれが一体私なのか。
というか、あまりにもナチュラルにキャラが変わるため全部私だと思っていたのです。

だけど今考えてみるとその5キャラの中のどこにも私はいなかったと思うのです。
だとしたら、私ってどんな人なんだろう?
それが本当に全く全くといっていいほど分からなかったのです。

そんな私と関わるそれぞれの友達によく言われていたのが
「ミチヨちゃんとは一番気が合う」
という言葉。それを聞くとホッとする自分がいたことを記憶しています。

どこにもいないはずの私…だけどちゃんといるんですよね。心の奥底に。しっかりと。そしてある時アレルギーのようにコップ一杯限界が来た時に突然出てくるのです。

怒りとして。

怒りって二次感情と言われていて、悲しみや寂しさなどの感情を感じることに恐れがある場合、その感情たちを伏せている扉が開かれないよう警備してくれることがあるのです。

限界が来ないと自分が出てこない。しかも出る時はまず門番の「怒りちゃん」から。そして結果は毎回こうでした。

相手を強烈に怒らせ捨て台詞を受け縁が切れる。

そうなると「私」を表現してしまうと嫌われるという観念に仕上がっていき、自己価値がより一層下がり、益々自分が出せなくなっていく。この悪循環のループが繰り広げられていたのですね。

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「心の自殺」をし続けていた…

そして、最近の私は、自分を助けることができるようになり「私」という人間の輪郭を知りつつありました。

どうやったのかと言うと、小さなこと。
心にフォーカスしていったのです。何をすると心がニコっと微笑むか。それを重ねて全く知らなかった「私」という人を知りつつある段階でした。

その状態の私が、古くからの知人と関わった…反射的にその人が知る「私」、つまり相手をカメレオンした状態の「私」になっていたのですが、自分を少しずつ知り始めていた私は、もうカメレオンになることができなくなってしまったのです。

そしていつもの通り怒りをかってご縁が切れてしまうという道を辿ったのでした。
これ、何回繰り返すんだろう。友人関係、仕事関係、全ての人間関係においてこのループ。

いつもなら自分を責めて責めて罪悪感で数日苦しむのですが、これ、もうやめることにしました。だってその人が会っていた私は「私」ではないのだから。

本当の私で生きよう。
カメレオン、やめよう。

ああー、今まで悲しかった。

正直今回ばかりは悲しいという自分の感情をしっかりと認識することができ、矛盾するようですがなんだか爽快な気分になりました。

手立てが分からず、結果として人を傷つけ恨みを買い、生霊まで来て念を感じて苦しかった。怖かったし悲しかった。その恐ろしさに屈して自分の心を殺し続けてきたから感覚もなくなっていた。

自分の心を殺し続けていたなんて…そりゃ感覚なくなるわ。「私」は悲しみでできていました。そんな自分に寄り添ってしばらくそれを堪能しよう。

ところで、地球というのはアカシックの世界では「ロゴス」と名付けられていて「悲しみの星」とも言われているそうです。つまり、悲しみを経験したいから地球に来ているという説もあるのですね。だとしたら、地球旅行を満喫しているじゃないか、私よ。

凄く信頼してくれていた人を毎回裏切る形となってしまって心から申し訳ない気持ちもあるんだけれど「脱!カメレオン」することができた。
そして「私」という人間の輪郭が前よりハッキリとしてきました。正直、感謝しかない…

もし、あなたもカメレオンだったなら一緒に心が小さくニコッとすることを集めてみませんか。
そしたらきっとあなたも「あなた」に会える。

そうやって心を少しずつ蘇らせながら
「本当の自分」を表に出しても安全なんだという経験をお互い重ねていけるといいですね。

ミチヨ



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