見出し画像

③アトピーな私の人間学〜感謝と切なさ〜

③アトピーな私の人間学〜感謝と切なさ〜

🟡音声で聴きたい方はこちらから→https://youtu.be/-ImgS4hvSP0


脱ステ中は自分の周りのことさえ出来なかった

私は自分のことだけで精一杯だった


本来持っている感情がなかなか出せなかった
出す余裕がなかった

いつも
悲しく、辛く、自信がなく、ただ今の現状を嘆いていた

そんな中、私をずっと見守り支えてくれた
母の存在は
私がこの治療を行っていて唯一の支えだった。

一軒家の2階に私の部屋があり
母は、何度も何度も階段を上り下りし
食事を部屋まで運び
毎日剥がれた皮膚で覆われたシーツを替え
ベッドメイキングをし
皮膚がベットリついたシャツとレギンスを
毎日お湯で洗って
1日2回お風呂の支度
上がった後のバスタブにこびりついた皮膚の掃除をし
食事にも相当気を使い
食材選びから調理の仕方まで色々と工夫してくれていた。

私が呼ぶとすぐに背中を掻きに来てくれ
夜中も時間関係なく起こされ背中を掻いてくれる。
かなり強く掻かないと全く痒みに届かないため
汗だくになりながら掻いてくれた。

私は自分のことだけで精一杯だった

皮膚が削げ落ち浸水液が出ると
途端に発狂するくらいの強烈な痒みがやってくる

度々くる死にたくなるような痒み地獄を
猛烈な勢いで掻きまくる私の姿を側で見ていた母。

かつてみたことのない娘の変わり果てた姿に
相当なショックと不安と迷いがあったのではないかと思う。

脱ステ治療が4年を過ぎたある日
中々良くならない状況にたまらず
「なんでこんなになってしまったんだろう、もうどうすればいいかわからない」
と弱音を吐いた私に
母はマーガレット・F・パワーズの「あしあと」の話をしてくれた。


「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
 あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
 わたしと語り合ってくださると約束されました。
 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
 ひとりのあしあとしかなかったのです。
 いちばんあなたを必要としたときに、
 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
 わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。
 わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
 ましてや、苦しみや試みの時に。
 あしあとがひとつだったとき、
 わたしはあなたを背負って歩いていた。」


「だから神様は今、道子を背負ってくれているんだよ」


母がそう言った瞬間に涙が抑えきれなくなって
わーーーっと泣いた。

私の背中を掻きながら母の鼻をすする音が聞こえた
母の泣いた姿は初めて見た。
正確に言うと背中を掻いてくれていたので
顔は見れなかったが
泣いていたのはわかった。

変わり果てた姿
希望を失いかけている娘に

母の心も体も相当疲労していたに違いない。
良いと思って始めた治療でこんなにも苦しんでいる娘を
毎日見るのはとても切なく辛かっただろうと思う。

自分の時間を奪われ大変な日常なのに

母はいつも「笑顔」で接してくれた。


脱ステ治療から5年が経ち
中々改善が難しい状況と
年齢的にも将来への不安が何度もよぎる中
ある皮膚科医との運命の出会いにより
私は新たなチャレンジに踏み出す決心をした。
(詳しくは④アトピーな私の実践学をお読みください)

その皮膚科医に言われた言葉が私を気づかせてくれた

『道子さん、私はこんなに症状の酷い患者さんは正直初めてです。』

『そしてもっと驚いてるのは
 こんな酷い状態なのに精神的に普通でこんなに前向きであるあなたに驚いています。』

ここまで酷いと
うつ状態になるかぼーっとしているか精神的に病んでしまう人が普通だと言う。

私はその時「ハッ」とした。

私は自分のことだけで精一杯だった
そして、自分のことだけで精一杯でいれたのは母のおかげだった。

私は「母の笑顔があったから頑張れた」


「母の笑顔」が私の心の支えになり
今の私がいる。


感謝と切なさがこみ上げてきた。
体重が6キロ痩せても「ダイエットになったわ〜」と変わらず笑顔の母。
私は本当に幸せだと思う。


この経験はずっとずっと心の中に生き続ける。


私が「笑顔」の仕事についたのも
この経験があったからこそだ。


脱ステロイドは全身全霊で支えてくれる人がいないと
本当に精神的に参ってしまう。


私と同じ経験をしている人で
孤独で闘っている人がいたら
私でよかったら相談に乗りたい。

一人で、孤独の中で耐えるには
どうしようもなく果てし無く辛いから。


体験した人にしかわからない本当の話。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?